「一心称名」の大切さ
ご存じのように日頃私たちが読んでいる観音経は無尽意菩薩がお釈迦様に観世
音菩薩様はどうして「観世音」とおっしゃるのかと尋ねるところから始まりますね。お釈迦様は無尽意菩薩のその質問に「もし数え切れないほどの多くの人々が
様々な苦悩を受けて一心に観音様の名前を唱えたとき観世音菩薩は即座にその声をお聞きになってその苦悩から解き放って下さるのだ。衆生の世音を聞(観)い
て下さる故に観世音と言われるのだ」とおっしゃいます。
私たちは人間として生まれたときすでに大いなる御手のなかにあるのですから
本来救われている存在と言えます。しかし、そこが人間の嬉しさ悲しさ。私たちは日々喜び悲しみ悩み苦しみの連続ですね。だからこそ観音様がいて下さるので
す。観音様のお名前をお呼びしたとき観音様はその声を聞いて苦悩から解放(解脱)して下さると言うのですから私たちにとってこんな有難い菩薩様はおりませ
ん。観音様が私たちに最も身近な仏様として信仰されてきた所以ですね。
しかし、観音様のお名前はただ呼べばいいのでしょうか。実はそうではありま
せん。口先だけでは駄目なのです。「一心称名」。一心にひたすらにお呼びしなければならないのです。一心称名とは祈りなのです。祈りの心が観音様に届き
「感応道交」という不思議が起こるのです。祈りは決して気休めではありません。真の祈りはエネルギーでありパワーなのです。だからこそ観音様にも聴いて頂
けるのです。
一心称名。それは念仏も同じです。一心称名が大切なことは分かっても一朝一夕には行かないかも知れません。秘訣はやはり「継続」ではないでしょうか。継続は力なり、は一心称名にも言えるようです。皆さま、がんばりませうね。
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