よい種を播く №19

平成21年7月17日


よい種を播く

 今年はトウガラシの種まきに失敗してしまいました。四月半ばに播いた種が芽を出した後二カ月しても双葉のまま本葉が出ないのです。さすがにおかしいと思って植え替えをしてみましたがその後も成長思わしくなく改めて種まきせざるを得ませんでした。

 失敗の原因はどうも種そのものにあったのではないかと思います。毎年私は秋に収穫したものの中から種をとっていましたが種用に完熟させなければよい種にはならないのでしょう。当たり前のことながらそれをしなかったための失敗です。西洋にも「As they sow, so let  them reap」(種をまいたとおりに刈り入れをさせよ)という諺があるそうですが、よい収穫を得ようとすればまずよい種を播くということでしょうね。

 それで思い出したのですが「修証(しゅしょう)()」のなかに「(しか)あれば則ち一句一偈の法をも布施すべし、此生侘生(ししょうたしょう)の善種となる、一銭一草の(たから)をも布施すべし、此世侘(しせた)()の善根を兆す」という言葉があります。今生次生によい種を播き、この世あの世によい根を張ろうとするならまず布施こそが大切とおっしゃっているのですが、まさに私の種まきの失敗と変わるものではありません。

 悪しき業論に堕してはいけませんが、自分自身にとっては善因善果、悪因悪果は真実だと思います。行為には必ず結果が伴います。よい行為よい種にはよい結果よい収穫がもたらされます。反対に悪い行為悪い種には悪い結果少ない収穫しか期待できません。そう考えると、私たちが日常よい種をまくことがいかに大切かと思われます。布施に限りません。愛語、利行、同事。道元禅師はこれらがよい種を播くことだとおっしゃるのです。
 
 私はそれと同時によい思いを持ち悪い思いを消すことが大切だと思います。思い、念はエネルギーです。よい思いを持つ習慣はよいエネルギーを出し、そのエネルギーが善種となってよい縁を頂けるのだと思います。




善の根がはって蓮の上に座し
           ~古川柳~