五木の子守唄 №66

平成22年12月17日

五木の子守唄

 おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんど 盆が早ょ来りゃ 早よもどる
 おどまかんじんかんじん あん人達ゃよか衆 よかしゃよか帯よか着物(きもん)
 おどんが(うっ)(ちん)だちゅて (だい)(にゃ)てくりゅきゃ 
 裏の松山蝉が鳴く
 蝉じゃごんせぬ 妹でござる 妹泣くなよ 気にかかる
 おどんが(うっ)(ちん)だば 道端いけろ 通る人ごち 花あぎゅう
 花はなんの花 つんつん椿 水は天から 貰い水

 皆さま御存じの「五木の子守唄」です。最近この歌について考えることがあって改めて調べましたら私はこの歌の背景を全く知っていませんでした。歌詞自体二番位までしか知りませんでしたから無理もないとは言いながら、この歌の本当の悲しみを知らなかったのです。

 この歌は「子守唄」と言いながらその真実は子守奉公に出された子供達の切ない悲しみの歌です。当時五木地方の貧しい農家は口減らしのため子供達が七、八歳になると人吉や八代に子守奉公に出したと言います。今ならまだ両親に纏わりついている年齢でしょう。その子供達が遠く離れた奉公の土地で自分たちの貧しさをいやというほど感じさせられ、つらい生活の中でふる里の父母や弟妹を偲びながら口にしたのがこの歌なのです。

 私が特に切なさを覚えるのはその小さな子どもたちが死と隣り合わせの生活であったということです。同じ境遇の者が悲運のうちに死んでいくことが決して稀ではなかったのでしょう。「私が死んだら道端に埋めて下さい。そうしたら通る人が花を上げてくれるでしょう。水は天が雨を降らせてくれましょう」という言葉に胸が詰まる思いがします。

 私はこの歌も祈りの歌だと思います。死んでいった同じ境遇の子供達への祈り。そして同時に自分への祈りの歌だと思われてなりません。



    心の暗い日に ふるさとは 
      祭のように あかるんでおもわれる
                 ~八木重吉~