願って生まれる №76

平成23年3月17日

願って生まれる

 先達て、といっても二月半ばのことですが、たまたまつけたテレビ「金スマ」で「ダウン症の天才書家・奇跡の母娘感動の物語」という番組を見ました。ご覧になった方もお出でと思いますが、ダウン症をもって生まれた金澤翔子さんという女性が書家として名を成すまでを追った感動的なドキュメンタリーでした。

 生まれた翔子さんが思いもしなかった障害を負っていることを知ったお母さん。その容赦ない現実を乗り越えて翔子さんを育てる決心するまでの苦悩。さらに追い打ちをかけるようなお父さんの死。まさに運命に翻弄されるような翔子さんとお母さんの半生に見ていた私は胸を締め付けられる思いを禁じ得ませんでした。

しかし、私が一層感銘を受けたのは書家として成長した翔子さんが、お母さんに対して「お母さまが大好きなのでお母さまのところに生まれました」と言われたことです。修証義をお読みの方はご存知と思いますが、第五章最初に願生(がんしょう)()娑婆(しゃば)国土し(きた)れり」という言葉が出て来ます。私たちは自ら願ってこの娑婆に生まれて来たという意味です。私たち一人ひとりは何かをしたくて或いは何かをしなければいけなくてこの世に生まれてくるのです。

これをさらに突き詰めれば、私たちは自らの人生をあらかじめ設定し、誰を親とし何をするか予定して生まれてくるという考えになるでありましょう。翔子さんはきっとダウン症という障害を持った書家として自らの人生を計画してきたに違いありません。翔子さんの言葉は奇しくもそれを証明しているのではないでしょうか。

考えれば、存在するものは偶然に生じたのではありません。一切のものは願望と意志と目的を持って存在しているのです。私たち人間はその最たるものでしょう。どうぞ皆様、ご自分が何をしたくて生まれてきたのかお考えください。そしてしたいことがあったら早速お始め下さい。人生に、もう遅い、はないのです。


われわれの地上の人生体験は、
われわれ自身があらかじめ用意しておいたものだ。
           ~R・シュタイナー~