平成23年5月26日
夏は来ぬ
うの花のにおう垣根に 時鳥 早もきなきて
忍音もらす 夏は来ぬ
さみだれのそそぐ山田に 早乙女が
裳裾ぬらして 玉苗ううる 夏は来ぬ
作詞佐々木信綱・作曲小山作之助(明治29年 新編教育唱歌集)
お花守のYさんがお堂に卯の花を活けてくれました。卯の花と言えば、真っ先に思い浮かぶのは唱歌「夏は来ぬ」ですね。この歌発表されたのが明治29年ですから115年も前の歌になります。イネの苗を貴んで「玉苗」と言っていますし、歌詞三番には「軒端の窓近く蛍飛びかい」とありますから物の考えもあたりの風情も今とはかなり異なっていたに違いありません。
ところで、私が不思議に思ったのは山地に来る夏鳥、のホトトギスが垣根に来て忍び音を洩らすということでした。で、改めて調べましたら渡りの時は市街地にも姿を現わすことがあると言いますし、キョッキョッキョッというあの甲高い声も鳴き始めは自信がなくてそっと鳴くのだそうです。しかし、ホトトギスが今でも垣根に来て鳴くということがあるのでしょうか。どうもこのあたりは長い歳月の落差がありそうに思います。
ついでながら「におう」というのは「香りがする」という意味ではなく「照り輝く」という意味でしょうね。卯の花(ウツギ)は特段香りを持つ花ではありませんから真っ白に咲き揃った様を「匂う」と言ったのだと思います。
歌は世につれ世は歌につれ、と言いますが、歌の世界が過去のものになることも珍しくはありません。お堂の卯の花に「夏は来ぬ」を考えてその思いを深くしました。恐らく今ではホトトギスが人家近くで鳴くことは稀でしょう。早乙女が裳裾濡らしての田植えはイベントでしか見られなくなりました。世相風情ばかりではありません。私たちも同じと思います。私たちも時と共に変化して止みません。すべて諸行無常なのですね。
卯の花や雨によく来る東慶寺
星野立子