祈り №105

平成23年8月17日

祈 り

 ご覧になった方もおいでと思います。この12日、NHKテレビの「検索でゴー・とっておき世界遺産」で「戦争と平和」という特集がありました。番組ではその特集の観点から様々な世界遺産が紹介されていましたが、出演者の一人、戦場カメラマンとして有名な渡部陽一さんが戦争と平和のキーワードを尋ねられた時、即座に「祈り」と答え、その象徴としてアフガニスタンのバーミヤン遺跡をあげられたことに私は深い感銘を覚えました。

 バーミヤン遺跡は3~7世紀、この地に仏教が盛んだったころ作られた高さ55メートル、38メートルに及ぶ二体の巨大な石仏とその石仏を中心に掘られた多数の石窟の壁画を言いますが、その石仏は2001年3月、タリバンによって破壊されてしまったのです。番組の中でその破壊後の姿が映し出されましたが、(がん)だけになってしまった石仏の姿には息を呑む思いでした。

 渡部陽一さんがおっしゃった「祈り」とは、石仏の無残な姿に対する怒りと悲しみの祈りだろうと思います。タリバンは神はアッラーのみという教条的な独善で世界の願いを聴き入れず石仏を破壊してしまいましたが、その愚かな行為に対して私たち同時代の者が許しを(こいねが)う祈りであろうと思います。渡部さんはタリバンの愚かさではなく人類全体の愚かさに対して、祈り、と言われたに違いありません。

 たより№102で広島の原爆ドームはいま世界平和の象徴であると申し上げました。原爆ドームは被爆後21年にして保存が決まったということですが、バーミヤンの石仏(がん)は世界人類がそれぞれの宗教の違いを超えて共存共栄していくための祈りの象徴になったと思います。

 前、広島の平和記念公園に建てられた慰霊碑の「安らかに眠って下さい/過ちは/繰り返しませぬから」という言葉が物議を醸したことがありましたが、祈りというのは自分が当事者であるとかないとかという狭量なものではありません。原爆投下がアメリカだけの問題ではなく石仏の破壊がタリバンだけの問題ではないのです。どちらも人類共通の愚かさであるゆえに祈りがあるのです。私達の世界人類平和への願いが祈りなのです。




  弱きもの人間 欲ふかきもの にんげん
  偽り多いもの にんげん
  そして 人間のわたし   
              ~相田みつを~