デルヴォーの魅力 №174


平成241218 

デルヴォーの魅力  


 いま下関市美術館で「ポール・デルヴォー展」が開かれています。皆さまもデルヴォーの絵はどこかでご覧になったことがあるのではないでしょうか。不思議と言えば不思議。不安と言えば不安。不気味と言えば不気味。ともあれ、人物にしても景色にしても尋常ではありません。やはり“夢のような”という絵でしょうか。
 
 大学に入りたての頃、私はこのデルヴォーの絵に取りつかれて図書館の書庫で毎日デルヴォー画集を眺めていた時期がありました。先達てキリコの絵について申し上げましたが、このデルヴォーもシュルレアリスム(超現実主義)に属する画家ということになっています。ですから、その絵が非現実的でどこか不気味さを感じさせることは共通しているのです。
 
 しかし、その不気味さを超えて私たちがその絵に魅力を感じるのは「私はその景色を知っている」「私はその景色の中にいたことがある」というデジャヴに似た思いをもたらすからではないでしょうか。少なくとも私にとってはそうでした。デルヴォーの絵にもキリコの絵と同じような衝撃を感じましたが、それはデジャヴ感覚だったのです。
 
 しかし、キリコやデルヴォーの絵の魅力が「私はその景色を知っている」というデジャヴだとすれば、私たちは何故その感覚を覚えるのでしょうか。これについて先日、下関市展を記念する講演会に来られた村松和明さん(岡崎市美術博物館学芸員)のお話を伺って思わず納得することがありました。村松さんは「超現実主義の“超”はいまの若者が使う“超かっこいい”の超です」と言われたのです。目からうろこでした。
 
 ということは、シュルレアリスムとは夢の世界を描いているのではなく現実中の現実、本当の現実を描いているのだということになります。それを物語るようにデルヴォーは「私はシュルレアリストではない。超ナチュラリストだ」と言っているそうです。デルヴォーは決して夢の世界を描いているのではなく現実を描いていたということになるのです。
 
 皆さん、皆さんはキリコやデルヴォーが描いた現実の景色がどこにあるとお思いですか。ご関心の方、どうぞデルヴォー展をご覧ください。


      「私は子供の時期の汽車を描いている。
       そうすることによって
       私の子供の時期そのものについての何かを描いているのだ」
                        ~ デルヴォー ~