ムンクの夕焼け №169

平成24年11月25日 

ムンクの夕焼け


 NHKラジオ深夜便のアンカー、迎 康子さんが、雑誌「ラジオ深夜便」11月号に「夕焼け」と題するエッセーを寄せています。お友達と旅行の折、夕方の飛行機の中から「空一面が青紫と赤のぼかし染めになり、まるで天女のために、透き通った絹の布を織りあげているような不思議な空」をご覧になったという話です。
 
 そのエッセーのなかで、迎さんはもうひとつ、“とてつもない”夕焼けのことを紹介されています。1883(明治16年)にインドネシア西部の火山島、クラカタウで起きた大爆発による噴煙が、その後数年にわたって世界各地に不思議な夕焼けを生んだという話です。その夕焼けのことを迎さんは“夕焼けマニア”を自称する人の書き物で知ったということでした。
 
 これを読んで私はそんな大きな火山爆発があったことに驚きましたが、もっと驚いたのはあのムンクの「叫び」は、その大噴火の夕焼けがヒントになっているという説があるということでした。「叫び」は1893年の作品ですし、その前年には「絶望」と題する同じテーマの作品がありますから、「叫び」の噴火夕焼けヒント説はあり得るのです。
 
 ムンクは1892年の日記に「二人の友人と道を歩いていた。太陽が沈み、ものうい気分におそわれた。 突然空が血のように赤くなった。私は立ち止って手すりにもたれた。とても疲れていた。そして見たのだ。燃えるような雲が群青色をしたフィヨルドと街の上に、血のように剣のようにかかっているのを。私は恐怖におののいてその場に立ちすくんだ。そして聞いた。大きな、はてしない叫びが自然をつらぬいてゆくのを」と記しています。
 
 まことに「叫び」の夕焼けの色は尋常ではありません。ムンク自身が言うように血の色です。しかし、それは想像ではなく噴煙がもたらした現実の景色であったのかも知れません。そして、その血の色の夕焼けのなかで、ムンクは意識下にうごめく不安を鋭敏に感じ取って「叫び」に表現したのではないでしょうか。
 
 私たちは日常、意識下を意識することはありません。しかし、氷山の一角という言葉の通り、私たちの意識は意識しない部分が大半なのでしょう。 夕焼けは時に非日常を現出し、意識下を垣間見させてくれるのかも知れませんね。






「私は生まれた時に、既に死を経験していた。真の誕生、即ち死と呼ばれるものが、まだ私を待っている。」~ムンク~