この一年 №239


この一年 
平成25年12月18日

   ゆへ知らず 人の悲しさ 思ふ日に ジェルソミーナ聴く さらに切なく
   もみじ葉を 散らし尽して (いさぎよ)し いてふ静かに 冬の青空

 今年もあと旬余、振り返って私は今年が決して良い年であったとは思いません。多くの悲しい事件がありました。怒りを抑えきれぬことがありました。政治も経済も社会も将来に不安を感じることが止みません。加えて時に、私は人間であることの悲しみに襲われることが少なくありませんでした。上の一首はその思いの歌です。

今年、日本が湧きかえったことは七年後のオリンピック開催が東京に決まったことでしょうか。テレビを見ていると日本中がその喜びに溢れているようでした。しかし、私はむしろそこに怒りに似た悲しみを覚えざるを得ませんでした。福島が忘れられていくという憤りと不安でした。福島の問題はまだ全く解決していないのです。

JR北海道の列車事故とずさんな保守点検にはあきれるばかりでしたが、あまっさえ検査データを改ざんしていたことには怒り心頭に発する思いでした。また、今年もストーカー殺人がありました。その都度指摘されたのは相談を受けていた警察の認識の甘さと油断です。これらはともに職業意識の欠如ということにならないでしょうか。

同じような事件や事故が続くのは当事者が責任を取っていないからです。JR北海道にしても警察にしても、テレビでは頭を下げながら当事者の責任がどう取られたのかは聞かれません。恐らくはうやむやのままなのでしょう。福島の原発事故にしても事故調査委員会が事故は人災であると断定したのに誰がその責任を取ったでしょうか。

このたより№185(置かれた場所で咲く)で紹介しましたが、私が今年感銘した言葉は、渡辺和子さんのこの言葉でした。置かれた場所で咲く、とは自分の立場、仕事に全力を尽くすということです。今この国の私たちが心しなければならないことはこのことではないでしょうか。イチョウは季節に違わずなすべきことを忘れません。そこに真と美があります。

 ネコちゃんの口を借りて渡辺さんの言葉をもう一度ご紹介しましょう。


      ていねいに生きる、とは
     自分に与えられた試練さえも両手でいたゞくこと
                     ~渡辺和子~