人生即遍路 №199

人生即遍路
平成25年5月30日



            人生即遍路         
      
      錫(しゃく)(じょう)の 音のみ響く 木漏れ日の 遍路山道 風観世音 
  
 51924日、高知県足摺岬の金剛福寺を目指す歩き遍路に行ってきました。因みにその期間の数字を申し上げれば、参加6名、56日、札所7ヵ寺、歩行距離93.9㎞。道中私が飲んだお茶500ml、10本、体重3㎏減少等々です。が、日数のうち2泊は往復の船中ですから、歩いたのは実質4日。私の体重3㎏減は残念ながら三日で終わりました(笑)。 
  
 正直、今回のお遍路は“足引き摺り岬”と言いたくなるほどきつかったです。しかし、ともあれ、お遍路札所間最長の80kmをみんなで歩くことが出来たのは立案準備を初め、今回も歩行者のサポートという菩薩行に徹して下さった高林寺さんのお蔭です。まずそのことに深く感謝申し上げます。きつかったけれど嬉しいお遍路が出来たのはそのお蔭なのです。
 
 上述のように、今回のお遍路は第37番の岩本寺から第38番金剛福寺までの80km余を三日がかりで歩こうというものでした。足摺岬までは時に山道、時に砂浜、そして国道。ひたすら歩くしかない延々たる道は体力と気力を要します。だからでありましょう。道中私は様々なことを考えました。その一つが山頭火の言葉「人生即遍路」です。
 
 お遍路には人それぞれきっかけがあります。神奈川からのNさんは3年前、間をおかず姉と兄が、そしてOさんは6年前、ご主人が亡くなったことがそれだったと言います。途中、出会った方も奥さんの七回忌をきっかけに、ということでした。人は何かをきっかけに何かを始めるのでしょう。そう思えば、人それぞれの人生は人それぞれの遍路ではないでしょうか。
 
 お遍路には嬉しい時も楽しい時もあります。時に苦しく時に淋しいこともあります。冒頭の拙詠のように、苦しい登りの山道も尾根を渡る涼風には有難い嬉しさを覚えます。それは人生も全く同じでありましょう。 私たちが人生の苦楽を、いまここに生きているということは、私たちがそれぞれの遍路を歩んでいるということです。
 
 嬉しいことも悲しいことも生きていればこそです。人生という遍路道をそれぞれに歩むことが私たちの修行であり使命なのでありましょう。

 


     年たけて又越ゆべしと思ひきや
       命なりけりさやの中山
               ~西行~