「はじまりのみち」 №212



「はじまりのみち」 

平成25 719



 映画監督、木下惠介さんの生誕100年を記念して作られた映画「はじまりのみち」を観る機会がありました。木下監督と言えば、「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾年月」等々、多くの感動的な作品を生み出した国民的な巨匠ですが、今回の「はじまりのみち」はその監督自身の実話に基づく映画です。私はこの映画の題名に思うことがありました。


 戦時中の昭和19年、木下さんが監督した映画「陸軍」が軍情報局から時勢に合わないとして次に撮るはずだった映画の製作を中止させられるということがありました。「陸軍」のラストシーンには出征する我が子を行軍の中に見つけて必死に追いかける母の姿が映し出されますが、軍はそれを「女々しすぎる」としたのです。


 軍にも会社にも失望した木下さんは辞表を出して故郷浜松に帰ります。木下さん32歳の時です。しかし、浜松も空襲がひどくなってお母さんが療養中の気賀の町も安心できなくなり、意を決した木下さんが荷物運びの便利屋を同行させて兄と二人、お母さんをリヤカーに乗せて60㎞先の気多村まで山越えを決行するのです。 


 それは深夜12時の出発から翌日夕方5時までの17時間、険しい山道と土砂降りの雨に苦しめられる道中になりました。が、奇しくもこれが木下さんを再び映画の道に戻らせるきっかけになります。まさか木下さんが監督とも思わず「陸軍はいい映画だから見ろ」と勧めた便利屋は、天の配剤ではなかったでしょうか。はじまりのみち、という題名の所以です。

木下さんが松竹に入れたのは、ツテを頼って道を開いてくれたお母さんのお蔭だそうですが、その母のために意を決してしたことが、木下さんの映画監督としての再出発のはじまりとなったことは不思議としか言えません。後年、木下さんは山越えの経験を「底力」と表現しておられますが、その経験が人生の力になったのでありましょう。 


「はじまりにみち」には軍が女々しいと非難した「陸軍」の場面が11分も出てきます。それを観ていて私は「はじまりのみち」はもう一つの始まりの道を示唆しているのではないかと思いました。差別や暴力、そして戦争を憎んだ木下さんが、今の日本のもうつの始まりの道を懸念している、と。 

    愛するもののためには
    コジキになったってがん張りぬけるさ、
                おれは。
                    ~木下惠介~