「静夜思」 №222

平成25年 9月24日
「静夜思」 №222


         「静夜思」

      牀前看月光    霜と見まがう
      疑是地上霜    寝間の月
      擧頭望山月    思い出ずるは
      低頭思故郷    故郷ばかり

 上の詩は盛唐の詩人、李白の「静夜思」。和文は拙訳です。この詩は李白31歳、安陸(湖北省安陸市)にいた時の作と言われています。才気渙発、酒をこよなく愛した李白でしたが、その才気ゆえに讒言を受ける破目になり、25歳の時から十数年は長江中下流域を中心に各地を放浪していたと言います。この詩はちょうどその頃の詩になります。
 
 この詩を思い出したのは、この19日、仲秋の名月の日でした。今年は十五夜と満月が重なったこともあり、雲一つない夜の青空に皓皓と輝く月が見事でした。しばらく庭で眺めた後、寝間に行くと、まさにこの「静夜思」のように、白い月の光が部屋に差し込んでいたのです。その白さは霜かと疑った詩そのものでした。
 
 月の光に李白は何を思ったのでしょうか。李白は同時代の詩人、杜甫と意気投合の仲であったと言いますが、その詩風はむしろ正反対でした。杜甫がその詩で人生を慨嘆することが多かったのに対し、李白は詩においても才気と情熱がほとばしる生き方をしたと言えるでありましょう。しかし、「静夜思」においては望郷の思いに沈む詩人が目に浮かんでなりません。

 私はこの詩のキーワードは「故郷」だと思います。前述のように、この「静夜思」は李白若い時の作ではありますが、身は流浪の境遇にあって、ひとり物思いに沈む時がなかったとは言えません。人は誰しも苦難にあって思うのは故郷です。故郷は自分が生まれたところ、そして同時に帰るところ。それが故郷なのです。
 
 私たちは人生の旅人です。人生という時の旅人です。私たちもいつか故郷に帰るのです。私たちの故郷、人間の故郷、あなたの故郷はどこですか。人間の一生は己の故郷を尋ねることなのでしょう。






                 帰りなんいざ、
       田園まさに()なんとす
                 陶淵明「帰去来辞」