「少年H」 №234


「少年H

平成25年11月25日

  先達て映画「少年H(降旗康男監督)を観ました。これは舞台美術家そしてエッセイストとして名高い妹尾河童さんの同名の自伝的小説「少年H」を映画化したものです。少年HHは、小説の主人公、妹尾河童さんの本名「(はじめ)」のイニシアル。妹尾さんは少年時代、お母さんが編んでくれたセーターに刺繍されたHから「H」と呼ばれていたのだそうです。


昭和16年、少年H一家は神戸市長田区本庄町に住んでいました。Hは小学生。父は洋服の仕立て人。母は敬虔なクリスチャン。家族はHの二歳下の妹と合わせて四人。「少年H」は、その家族が戦争の激流に巻き込まれてゆく物語です。映画はその「名もなき家族」を描くことに徹しますが、それだけにそこに一層、私は今という時代を重ねない訳にはいきませんでした。

 妹尾さんは「少年H 」の映画化を断り続けていたといいます。“あの時代”を正確に再現するのは不可能と思ったからだそうです。しかし、プロデューサー松本基弘さんらの「先行き不安ないまの時代だからこそ」という言葉に共感して映画化を了承されたといいます。そして、降旗監督に唯一頼まれたことが「あの時代を撮って頂きたい」だったそうです。

 戦争へ突き進む中で父は仕立ての仕事を失います。それどころか、Hが友だちに見せたニューヨークの絵ハガキ一枚のために特高に連行され拷問を受けます。Hにオペラ音楽を聴かせてくれたうどん屋の兄ちゃんは思想犯として逮捕されます。自由な発言も自由な考えさえも許されない世の中になっていくことにHは「おかしい」「何で?」と問い続けるのです。

 私は妹尾さんが、唯一こだわった「あの時代」とはその事だと思います。時流に迎合して戦争に加担し、自由な発言をする者を”アカ”として密告する。まず国家があってそれに足並みを揃えない人間は排除することが公然と行われた時代。戦争をする国には平和はありません。自由も人権もありません。それが「あの時代」だと思います。

 そのことを思う時、私はいまの日本に不安を覚えてなりません。映画の「あの時代」に再び向かっているのではないかという心配を拭いきれません。妹尾さんが“今だからこそ”少年Hを映画化しようという言葉に共感されたのも同じではないでしょうか。平和をくるのも守るのも私、そしてあなたです。


   “過去の歴史は未来への予言”
      と言われていますが、本当にそうだと思います。
                   ~妹尾河童~