人生という商売 №300

人生という商売 №300
平成26年12月17日


人生という商売
 
 のっけから余談になりますが、金魚売り、風鈴売り、納豆売り等々、今では見られなくなった商売ってありますね。金魚売りや風鈴売りは季語としてはありますが、実際に目にすることはもう殆どないと思います。こういう季節の情緒を豊かに演出する商売がなくなっているというのは私たちの生活から情緒やゆとりがなくなっているということなのでしょう。
 
 消えた商売と言えば、羅宇屋(らうや)ってご存知ですか。煙管(きせる)、と言っても若い人には通じないかも知れませんが、煙管の雁首と吸い口をつなぐ竹の管(らう)をすげ替える商売です。まだ商売として成り立っていたのか、昭和30年代末に私は上野の池の端公園で見た記憶がありますが、当時すでに消滅必至だったと思います。
 
 こんな余談になったのは、あの「異邦人」の久保田早紀さんに「トマト売りの歌」という曲があるからです。歌になっている以上、「トマト売り」という商売があるのでしょうが、確認は出来ませんでした。ただ、久保田さんがレコーディングに通っていたポルトガルの主要農産物はトマトですから、この歌はポルトガルが舞台かも知れません。
 
 この「トマト売りの歌」のお人好しで話好きのトマト売りは、「路地から路地へ」「お嬢さん、燃えるような恋の赤い実をどうぞ」「お嬢ちゃんお一つ、お日様からこぼれた紅いトマトを」と「声かけて歩く」のですが、私が感銘したのは、その自分を「気楽なもんさ、人生なんて商売は」と歌っていることです。
 
 普通に考えれば、「トマト売り」の商売はトマトを売ること。でも、この歌のトマト売りはトマト売りを商売にしているのではなく、“人生という商売”でトマトを売っているという訳。「人生なんて商売」という言い方に正直、目からうろこが落ちる思いでした。商売に浮き沈みは付き物。しゃかりきにならず、もっと気楽に、と思えるではありませんか。
 
 人生は一生懸命送らねばなりません。真面目にせねばなりません。でも、時にこのトマト売りのように人生を気楽に考えることも必要でありましょう。トマトが売れない日があっても「こんな日もあるさ。また明日だ」考えられれば、くよくよせずに明日を迎えることが出来ましょう。それが“人生なんて商売”の秘訣かも知れませんね。

 
    
       ケセラセラ(whatever will be will be)。
       明日という日があるわ(Tomorrow is another day