ベビーシッター事件 №254

ベビーシッター事件 №254
平成26年3月22日


ベビーシッター事件 
  
 つい先日、埼玉県富士見市でベビーシッターに預けられた2歳の男の子が亡くなるという痛ましい事件がありました。男の子は口をふさがれた可能性があり、ほとんど裸の状態で発見されたと言います。一緒に預けられた生後8ヵ月の次男もやはり裸の状態で低体温症になっていたものの命は取りとめたという報道でした。
 
 この事件を聴いて、恐らく皆さんも多くのことをお考えになったと思いますが、悲惨なニュースであっただけに私も深刻に考えざるを得ませんでした。その一つは、男の子兄弟の母親はどうして見も知らぬベビーシッターに子どもを預けたのかという疑問です。中にはそれを安易な行動と母親を責める人もあるに違いありません。
 
 しかし、よく考えれば、今回の事件はネット社会の一端と言った方が当たっているのではないでしょうか。母親の行動を安易と責める以前にネット社会はここまで来ているということではないでしょうか。恐らく母親はマッチングサイトで知り得たベビーシッターに子どもを預けることに躊躇することはなかったのだろうと思います。
 
 ケータイの普及と共に育った22歳の若い母親にとってパソコンやネット情報は生活に不可欠なものになっているに違いありません。それはネットにあまり縁がない人間には理解し難い部分です。ただ言えるのはネット情報には危険が伴うということです。ネット社会になればなるほど、私たちはその反面の危険を知らなければなりません。
 
 昨年秋、このたよりでも中学生、高校生のネット被害の心配を書きましたが、今回の事件を聞いて一層この問題への対策の必要性を痛感しました。ネット情報に対する無防備な対応には大きな危険が潜んでいることに注意しなければなりません。どうぞみなさん、お子さんやお孫さんにネット情報に潜む危険性を伝えて下さい。
 
 もう一つ、今回の事件で思ったことは、保育に対する国の政策の貧しさでした。厚労省はようやく同様のサイトの実態調査に乗り出すことを決めたと言いますが、そもそもは多様な保育ニーズに対する対策があまりにも貧困だからこその事件ではないでしょうか。責められるのはまず国だと思います。





たとえば人あり、手に密器(みつき)を執って
動転軽躁(きょうそう)して但密のみを見て 
(じんきょう)を見ざるが如し。     
             「佛遺教経」