人生は日常2 №304

人生は日常2
平成27年 1月17日


 人生は日常2
        
           朝々悠然見南山      楊枝くわえて山眺め
      暮々淡然了日間      日暮れて今日も終わったか
      行住坐臥日常底      食うては眠る毎日が
      坦々無憂心自閑      何のことなく過ぎて行く
 

 昨年、日常こそが人生だと申し上げましたが、最近一層その思いが強くなりました。上の詩はこの正月のものですが、何の変哲もない毎日の暮らしこそが人生そのものだという思いです。そこには特段の華やかさも気負いもありません。

 朝起きて顔を洗い歯を磨いてご飯を頂く。勤め人であればそれから仕事に行きます。夕方、家に帰って風呂に入り一杯やってご飯を食べて床につきます。主婦の方も同じでありましょう。主婦にとっては家が仕事場。日中は炊事、洗濯、家事、育児に追われる毎日だと思います。それは共に同じことの繰り返しに過ぎません。

 いつでしたか、ハレとケということを申し上げましたね。ハレは晴れ着のハレ、冠婚葬祭など普段とは異なった特別の日です。どちらかと言えば公、祭りの日です。その代表が盆と正月でしょう。お盆はご先祖に感謝し供養する祀りの日ですし、正月は新しい年を迎えられたことを感謝し、その一年が無事であることを祈る日なのです。

 ハレの日というのは一年のうち何日かです。ハレ以外の大半の日はすべてケ、日常の日、労働の日々です。武士は宮仕え、百姓は野良仕事、職人はものづくり、商人は商売に勤しみました。このハレとケというダイナミズムが往時の日本人の人生を規定していたのです。ハレとケという生活の枠組みが人生を捉えやすくしていたに違いありません。

 上の詩に戻ります。行住坐臥とは文字通り、行く、止まる、座る、臥す、こと。それは日常動作、つまりケです。毎日の繰り返しですが、惰性に陥らずおろそかにせず、丁寧に一生懸命するのが行住坐臥です。ケの毎日に一生懸命に取り組む。私たちの人生はそこ以外にはありません。心したいと思います。
 
 
                  一代の 守り本尊 たずぬれば 
                 朝夕食べる 飯と汁なり
                          大田蜀山人