「蟻の町のマリヤ」 №323

「蟻の町のマリヤ」 №323
平成27年 5月17日


「蟻の町のマリヤ」
 
 こんな話を聞きました。S子さんの亡くなった兄が、S子さんの夢に現われたのだそうです。が、その兄の姿が浮浪者同然のみすぼらしい身なり。そして、S子さんに「水をくれ」と言ったのだそうです。S子さんは兄のあまりの姿に「どうしたの!」と叫んで目覚めたものの、その夢が気になって仕方がないと言われるのです。
 
 その兄さんという方は、周囲の人から敬愛される人望の厚い人だったそうです。 むろん妹であるS子さんにとっても優しく頼もしい兄であったそうですから、その兄がそんな姿で夢に現われるとは思いもよらず、兄が水も飲めない地獄の苦しみを受けているのではないかと不安になったというのも当然でありましょう。
 
 この話を伺って思い出したのが「蟻の町のマリヤ」でした。1950(昭和25)年、東京隅田公園にあったバタ屋(屑拾い業)の人たちの共同体「蟻の町」に身を投じたカトリック信者北原怜子(さとこ)さんは、蟻の町の人々への献身的な奉仕によって「蟻の町のマリヤ」と慕われましたが、その北原さんが思い出されたのです。
 
 この人間世界には動物にも劣る人間もいれば仏様のような人間もいます。悲しみや苦しみに喘ぐ人を見て自らその人と同じ立場になってその悲しみや苦しみを分かち合おうとする人がいます。それが北原怜子さんでした。人の苦しみや悲しみは、その人と同じ境遇にならなければ分かりません。その立場に自分を置いたのが北原さんだったのです。
 
 このことは霊界でも同じだと思います。霊界で苦しむ人を見て自らもその立場になって苦しみを分かち合う崇高な魂の人がいるに違いありません。S子さんの話を聞いていて思ったことはそのことでした。恐らくS子さんの兄さんも自らの力を苦しむ人たちに分かつために敢えてその人たちと同じ境遇を求めたのでありましょう。
 
 それは観音さま、お地蔵さまと同じです。如来の力を持ちながら悲願を立てて菩薩に留まり、私たちの救済に当たって下さっているのが観音菩薩さま、地蔵菩薩さまなのです。私たちもせめて時には悲しみ苦しむ人に寄り添い、共に泣き共に笑って頂いた命を全う出来るよう願って止みません。

 



      衆生を先に(わた)して自らは(つい)に仏にならず、
      但し衆生を度し衆生を利益するもあり。
                      <修証義>