私を貫くもの
平成28年2月25日
私は私の身体を動かします。私は私の心を動かします。
しかし、私の身体には何かが貫いています。私の心には何かが貫いています。
私は私です。しかし、その私には何かが貫いています。
皆さんはこの宇宙や人間には創造主がいるとお思いでしょうか。宇宙科学者や生物学者には宇宙や人間に創造主を考えなくてもその成り立ちや存在を矛盾なく説明できると考える人が多いと思います。創造主、言ってみれば神の存在を認めるかどうかは、これまでそうであったようにこれからもそれを信じるかどうかなのでありましょう。
先達て新聞を見ていましたら、天皇陛下の心臓手術をされた天野 篤(順天堂大教授)さんの「平常心で手術に臨むために」という記事がありました(2月4日毎日新聞)。天野さんは正月に箱根神社で頂いた厄除けのお札を大学病院の神棚に飾るのだそうですが、そのことによって「その年の手術が安全に進められ、不測の事態でも乗り越えられると感じ、平常心で手術に臨むことができるようになるのです」と言われるのです。
天皇陛下が受けられた「冠動脈バイパス術」は胸板の裏側にある内胸動脈という血管をバイパスにするのだそうですが、天野さんは、その内胸動脈が心臓のすぐ近くに備えられているのは「進化の過程で備わったというより、創造主が準備しておいてくれたと思う方が神秘的で、神の存在を身近に感じることもできる医学的事実と考えています」とおっしゃるのです。
感銘でした。この言葉通り、天野さんは人間の存在には進化でもたらされたものの一方、創造主が関与しているものがあることを身を持って実感されているのだと思います。医学の最先端においでの方が神の存在を思い、神への祈願を人生の試練を乗り越える前に行うべき通過儀礼と考えられていることに深い感銘を覚えました。
私も神仏の存在を信じています。いやそれどころか、冒頭の言葉の如く、私たち人間には自分以外のもの、神仏が貫いているのではないかと思います。天野さんは人間の身体の神秘を知ることによって、そこに神の存在を確信されました。私たちも身の回りの神秘に一層意識していきたいと思います。
音もなく香もなく常に天地は
書かざる経をくりかへしつつ
~二宮尊徳~