また「ゴミ屋敷」考 №425


また「ゴミ屋敷」考
平成29年3月25日


 先日のたよりでゴミ屋敷はたちまちのうちになってしまうこと、そして、それは私たちの心もまったく同じで意識的な努力がなければ心がゴミ屋敷になってしまうことを申し上げましたが、今回もう一度、純粋にゴミ屋敷のことについてご留意をお願いしたいと思います。最近続けて二度これが切実な問題であることを知ったのです。

 一つは毎日新聞の報道でした。「<ゴミ部屋>女性救出…体埋もれ両足壊死」(2/17)という記事によれば、千葉県で昨年五月、部屋いっぱいのゴミに埋もれていた60代後半の女性が救出されたものの自らは動くことができず、両足の先端は真っ黒く壊死していたと言います。食事は娘が運んでいたと言いますが悲惨としか言えません。

 この件で指摘されているのがセルフネグレクト(自己放任)でした。認知症などで生活意欲や判断力が低下し、不衛生が健康にまで影響しているにも拘らず放置されている状態をセルフネグレクトと言い、ニッセイ基礎研の調査によれば、2011年すでに孤立死した高齢者の8割近くにこのセルフネグレクトの疑いがあったというのです。

 もう一つは、つい先日の「しものせき議会だより」でした。定例会一般質問でゴミ出し困難者への対応が話題になっているのです。障害者はむろんですが高齢者にとってゴミ出しが大変になるのは当然でありましょう。市側は「行政が手を差し伸べていかないといけないと認識している」と答えていますが、これも高齢化社会の問題です。

 上述した二つのことはいずれも高齢化・独居が進む一方の私たち日本の大きな問題です。どんなにしっかりした人でも高齢になり独居となれば、すべきことさえ困難になることは避けられません。ましてそこに認知症が加われば問題はさらに深刻化せざるを得ません。これは決して他人ごとではありません。まさに自分の問題なのです。

 私たちの生活を支えているのは自助・共助・公助ですが、ゴミ一つにしても自助が不可能になった時、それを補助してくれるのは隣近所の共助ではないでしょうか。高齢化を防ぐことは出来ませんが、共助があれば孤立を防ぐことは出来ます。これからの時代、私たちに益々大切なことは助け合いだと思います。



   「武士は相見互い」いやこれからは 
   「庶民は相見互い」だにゃ~