春の祈り №522

春の祈り
平成31年1月20日

春の祈り 

        オーン

       宇宙の光が

       この身に 降りそそぎ 降りそそぎ

       身と心が

       清らかな愛に包まれる

       悪しきものは悉く去り

       春の草木が萌え立つように   

       生きる力に満ちていく

       私は今 

       宇宙の光を浴びて

       新生を生きる 

       オーン オーン        

 今日20日は大寒の入りです。今日から23日立春までがいま一年で最も寒い時期ということですね。年間の月別最低気温の大半は一月ですからやはり寒中は寒いということでしょう。しかし、この寒い時期に草木も虫も春の準備を急いでいるのです。

 ルドルフ・シュタイナーが著わした「魂のこよみ」というマントラ集があります。一週ごとのマントラが宇宙全体のいとなみの部分としての各週を魂に体験させることを意図したものです。シュタイナーはこのマントラによる「大自然との交感こそ魂の深い内的要求にこたえるものであり、本当の自己理解に至る道なのである」と言っています。

 「こよみ」の126日~21日のマントラは次の詩句です。どうぞこのマントラを心に念じて大自然との交感をして下さい。
 
 /深い冬の中で/ 霊の真存在が目覚める。/それは心の働きを通して/
  宇宙の現象に実在の確かさを与える。/人間の内部では魂の火力が強まり、
  /宇宙の冷気と戦う。/
 
 
     たが宿の 春のいそぎか すみ売りの
    重荷に添へし 梅の一枝
          
                          ~伴林光平~
 
 
 
 


 
 
 
 
 

永遠に生きる №521

永遠に生きる 
平成31年1月17日

この地球には沢山の生物が棲んでいます。微生物からトリムシケモノサカナ、様々な生き物がこの地球に生息しています。そして私たち人間もその生き物の一つに過ぎません。私たち人間は今その生き物の頂点に立って我がままに生きていると思います。しかしいまその生き方を改めて反省し私たち自身を捉えなおす必要があるのではないでしょうか。

     人間地球一人員   人は地球に生かされて

     地球宇宙一星雲   地球も宇宙に包まれて

     人間地球共周行   ともに巡るよ永遠に

     永遠回帰逝沄沄   恰も水が旅するように

 この地球に存在する人間は一体どんな存在なのか。そう思って作ったのが上の法語です。前述しましたように私たち人間はこの地球に生息する一生物です。生きているというより地球によって生かされている生物です。常日頃、私たちは自分の意志と自分の力で生きていると思いがちですが実は地球に生かされているに過ぎません。

 そして、私たち人間を生かしている地球も実は太陽系の一惑星として存在し、この宇宙にはその太陽系が存在する銀河系と同じような銀河が無数に散在するということが分かっています。しかもビッグバン(大爆発)宇宙論によれば、この宇宙は137億年前から今なお膨張を続けているというのです。

 この途方もない無限の時間と空間のなかに生きている人間とは一体何でしょうか。そう思うと、永遠の宇宙と同様、私たち人間も宇宙的存在、つまりは永遠の存在ではないかと思われてきます。宇宙は無限の時間の中で無限の広がりを続けています。しかし、私たちも実は無限の時間の中で無限の発展を続けているのではないでしょうか。

 上述した宇宙を大宇宙と呼ぶのに対して人間の身体を小宇宙(ミクロコスモス)と呼びます。私たちの身体の中に大宇宙を体現しているという考えです。精妙な宇宙を私たちの身体が体現しているというのが真実ではないでしょうか。それはそのまま私たち人間も永遠の存在だということに他なりません。


  仏も昔は人なりき、我等も終には仏なり、
  三身仏性具せる身と、
  知らざりけるこそあはれなれ  
              <梁塵秘抄>
 

「棲(す)み合(あ)いの論理」 №520

()()いの論理」
平成31年1月8日
 
 大変な感銘を受けた本があります。それが表記の「棲み合いの論理」です。副題に「近縁種は競争しない」とあるこの本、蝶の世界の話です。著者中井衛さんは宇部興産研究所でのご研究の傍ら中学生時代からの蝶の観察を続けてこられたお方。ご自分では「アマの観察」と言われますが本の内容は高度な研究そのものです。

 それだけに私がこの「棲み合いの論理」をどこまで皆さまに伝えられるか自信がありません。とんだ見当違いのことになりはしないかと不安ですが中井さんのお考えの要点だけでもお伝えできればと思います。私は中井さんが言われる「棲み合い」こそが生物のあり方の真実だと思えてなりません。その一端を皆さまにご紹介できればと思います。

 まず本題の「棲み合い」。これは「棲み分け」に対する中井さんの造語だそうで、その概念は「相手を排除するのではなく、また競争を避けて別々の場所に棲み分けるのでもなく、近縁種が同一の環境に相互に混棲するという考え方である」と言われます。中井さんは長年の蝶の観察から「棲み合い」こそ「生物本来の姿」と思い至ったと言われるのです。

 では何故この「棲み合い」がされるのか。その理由を中井さんは「近縁種の棲息域が完全に分離してしまうと再度遭遇した時に交雑が多発し互いに絶滅の危機に陥る可能性がある。これを避けるため常に分布域が重なるように行動し、互いの種の識別能力を失わない仕組みが維持されているのではないか」と推論されたのです。

 中井さんは「混棲・棲み合いして種の識別能を残すことが相互に生き延びることにつながる。この棲み合いこそ本来の姿である」と言われます。そしてこの「棲み合い」に「生物多様性の原理が秘められている」と言われるのです。蝶という小さな生き物の生き方の中に生物多様性の原理があるということに私は感銘を受けざるを得ませんでした。 

 私はこの「棲み合い」に生物多様性の原理があるという指摘に生命の神秘、宇宙の神秘を思わざるを得ませんでした。そしてその神秘こそ地球民族・国家が平和に共存していく原理ではないかと思えたのです。世界人類の平和はまさにこの「棲み合い」によって実現するのではないでしょうか。
 
 

  「棲み合い」の発見は
   ノーベル平和賞ではないかにゃ~ん

アナログ生活のすゝめ №519

アナログ生活のすゝめ
平成31年1月1日

平成最後の新年になりました。皆さまどんなお気持ちでこの新年をお迎え下さいましたでしょうか。平成という元号がなくなるという感慨をお持ちの方もお出ででしょうし、今年新たに何かを計画していらっしゃる方はその進め方について案を練ってお出ででありましょう。一年の計は元旦にあり、と言う通り年初の思いが大切だと思います。

 で、私もこの新年に思うことがあります。それが表題の「アナログ生活のすゝめ」。自分自身の反省を込めて、これを皆さんにも提案したいのです。でも、アナログ生活ってなに?ってお思いの方も当然お出でのはず。私が考えるアナログ生活とは何かということを申し上げたいと思います。

 アナログと言えばその反対のデジタルという言葉を連想する方が多いと思いますが、このデジタル、アナログを比喩的に考えた時、いま私たちの生活はデジタル化する一方ではないかと思います。例えば移動。歩いたら一日の距離を車なら一時間足らずです。という時代に遠い目的地まで歩くという人はまずいないと言ってよいでしょう。

 食事もそうではないでしょうか。食の給食化が急速に進んでいます。学校や病院、施設では給食が当然ですし、家にしても買ってきたものをレンジでチンが多くなりました。そして私がいま危惧しているのがコミュニケーションのデジタル化です。若い人たちのコミュニケーション手段はラインなどSNSが当然になっていると思います。

 私たちのコミュニケーションがスマホに代表される機器を仲介し、それが当然になるということは何を意味するでしょうか。それはいつしか私たちの感情の喪失につながり人間がロボット化するだけのように思えてならないのです。互いの表情を見ることなく画面上の文字だけによる意思疎通が私たちの感情を奪ってしまうと思えてならないのです。

 そこで私はこの際敢えて皆さんに提案したいのです。運動以外にも歩くこと。素材から調理する食事を意識すること。そして互いの意思疎通のためにSNSだけでなく会って顔を見ながら話をすること、たまにははがきや手紙を書くこと。これらは些か面倒なアナログ手段ですが、これこそ大切ではないかと思えてならないのです。
 
 
  道具は使うもの。
  道具に使われてはならない。