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共存 №765

 共存

令和6年3月31日

本号をもちまして、小圷洋仙方丈の「かんのんだより」は最終号と相成りました。

右、「遺偈(ゆいげ)」とは“禅僧が臨終に及んで、その禅境や弟子に対する遺誡などを偈頌(げじゅ)したもの。辞世の句”

を言います。方丈はこれを毎年新年の年頭に当たり更新しておりました。しかしながら219日病名宣告を受けたその日、病室に持参していたメモに改めて記し、託されたものがこれです。「いつも皆様と共にいたい」という思いの強い方丈らしい自戒と感謝と 輪廻を信じ、交えた句に思えます。

方丈は「斃れて後やむ(たおれてのちやむ)」をモットーとし、山頭火のように最期は放浪しながら生涯を閉じる「遊行期」を過ごしたいとも語っておりました。山口、小月をこよなく愛しておりましたので、実際遊行期をどう過ごすかは難しい問題でもあったようですが、“死んで(斃れて)、その後に終わる(已む)”=生きている限り懸命に努力を続け、全力でやり抜くについては全うしきった心持ちでいるのではないかと感じております。


死後、人はどこへ行くのか、それは永遠のテーマであり、方丈も常々考えてきたことです。ですが、後年申しておりました「共存」とは死者との生活もまた然り、と考える今日この頃です。語りかけた時方丈は私と共にいる、と捉え、考えて参る所存です。227日遷化し、方丈は「観音五世慈雲洋仙」となりました。皆様にもご紹介しておりました当山かやの木墓苑にて皆様と共に眠りたいとの達ての希望通り、納骨いたします。

しかしながら方丈が最も案じておりましたのは皆様が観音さまへお詣り頂けなくなるのではないかということでした。温かなお心の皆様に支えられ、観音様の会を継続頂けますことは何よりの安心です。「祈りは力」祈りによって人は生かされ、力得ることができる。それは亡くなった方も同じ、と方丈は良く申しておりました。皆様どうぞこれからも折に触れ、祈りを続け、お詣り頂ければ幸いに存じます。そして清浄山観音寺を皆さまの手で発展させて頂けますよう切にお願い申し上げます。            遺族拝




皆さま、長らくご愛読いただきましてありがとうニャーン


地震共存 №764

 地震共存

令和6年2月5日

 11日に起きた能登半島地震から1か月が経ちました。復旧復興は依然として進んではいません。被災者たちが雪の降る寒空の中電気も水道も使えず温かい食事を取ることもお風呂にも入れない苦しい生活を余儀なくされていることを思うと胸の痛みを覚えてなりません。

 今回の地震には幾つかの悪条件が重なったように思います。一つには半島であったこと、もう一つは冬さなかであったことです。海岸べりにつくられた道路が寸断されたために多くの集落が孤立状態になりました。また真冬であったために一次避難しながら病気の悪化や寒さのために亡くなる人も続出してしまいました。

 能登半島というところは地震の多いところです。2007H19)年には今回に匹敵するM6,9の地震が起きていますが死者が1人であったため行政が動くことはなく2020年になって群発地震が活発化してから動き出したものの時すでに遅く今回の地震になってしまったという憾みを拭い切れません。

 折りしも群馬県に住む中学時代の友人から、地震国日本では今後、北陸学院大学の田中教授が持論としているライフラインが復旧するまでの間、生活拠点を代えて避難生活する施策をシステム化するべきだと言うことが伝えられました。全くだと思いました。友人が言う通り、「地震疎開」をシステム化すべきだと思いました。

 この地震疎開は1市町村でできることではありません。近隣の市町村や各府県が協力して協定を結び万一の災害の時には災害を免れた市町村や県が準備しておいた避難生活所を迅速に提供できるように準備しておくことが必要になります。まず第一にはライフラインが確保されていなければなりません。


 そのためにはその場所を事前に確保し、必要が生じた時に即刻避難住宅がつくられるように資材の常時確保とライフラインの提供のための準備がされていなければなりません。日本はこれから先もどこかで地震、津波の災害を受ける国です。間違いなくその災害を受ける国です。国はもちろん各県、市町村がとるべき施策なのです。


自然災害と共存していくこと、

気象異変のこれからは大切なことです。

不断の努力 №762

 不断の努力

令和6年1月17日

いきなり余談ですが、皆さまご存知、千昌夫さんの「北国の春」。この歌は1977(昭和52)年の歌ですからもう47年にもなるんですね~。いえまた何でこの歌の話かと言いますと、この歌は言わば望郷の歌ですよね。歌詞3番とも最後は「あの故郷へ帰ろかな帰ろかな」で終っています。心から故郷を思う気持ちがにじんでいます。

 いや余談失礼しました。この歌1番は「白樺青空南風 こぶし咲く あの丘北国の ああ北国の春」で始まりますね。春真っ先に咲くこぶしは分けて北国の人にとってはうれしい花なのだと思います。春が来たことを実感させてくれるのがそのこぶし。北国の人はこぶしの花に春が来たという喜びを感じたに違いありません。

 しかし、思って下さい。春真っ先に花を咲かせるには真冬のうちにその準備をしなくてはなりませんね。落葉樹の多くは夏から秋にかけて冬芽(冬の休眠する芽)を形成しますが、これは日の長短が関係していると言います。ということは、こぶしの開花は日が伸びたことを真っ先に感じ取ってということなのでしょう。

      厳寒辛夷育花芽   こぶしは真冬も休みなく

      早春先開純白花   春一番に花咲かす

      自彊不息従光陰   時の流れのゆくままに

      流去不断雲水華   水の如くに移りゆく

 因みに仙台の日の出日の入りの時刻を見ますと、1月から2月にかけて日の出は30分近く早くなりますし日の入りは50分近く遅くなっています。つまりは一日のうちで1時間半近く日中の時間が長くなるのですが、こぶしはそれを確実に感じ取って早春にその花を咲かせるということなのでしょう。


 思いました。植物は春夏秋冬、寒暖に関わらず成長を続けていきます。まさに不断。一瞬も活動を止めることはありません。法語に易経の「自彊不息(じきょうやまず・自ら勉めてやむことがない)」という言葉を引用しましたが植物の不断の努力が春には花を咲かせ秋には葉を落とす営為になっているのです。珍重


花開かば 満樹(くれない)

花落つれば 万枝空なり

         「五灯会元」



「共存」考 №761

「共存」考

令和6年1月8日

 前号で共存の祈りの輪を拡げたいと申し上げました。それができたらどんなに素晴らしいかと思います。しかし、祈りの輪が拡がっても共存の実現にはなりません。まずは互いの違いを知ることでしょうが、知った違いを乗り越えるためには容認とか妥協とか宥和とかが必要になるのです。

 先日、面白い話を聴きました。共存を考える上での参考にその話をご紹介しましょう。先達て暮れのこと、奄美諸島の徳之島で飼っていたハブ11匹が逃げてしまうことがあったそうです。どうやら閉め忘れた排水溝から逃げ出したようですが、同じかどうかは別にしてその後11匹は捕らえられたそうです。

 すごいと思ったのは島民の反応です。住民は平然として「共存してます」と言ったのだそうです。むろんハブは人間にとって恐れの対象ですし、他の動物にとっても脅威の存在であることは言うまでもありません。そのハブに対して平然と「共存してます」というのはどういうことなのでしょうか。

 一つにはハブが島の主要農産物であるサトウキビを食い荒らすネズミを食うということがあります。怖い存在ではあるけれども役にも立っている。その思いが「共存」につながっているのでしょう。国立環境研究所の五箇公一さんは「大事なことはこういったものとうまく共存していくというライフスタイル」だと言われますが。まさにそれでしょう。

 昨年秋には東北各県でクマに襲われる人身被害が頻繁に起きました。この原因についてはクマが山でエサにしているどんぐり類が不作だったからだとかクマが人里近くに棲むようになったからだとか言われていますが、これからクマとどのように共存していくかも考えなければならなくなりました。


 暮れ129日に還暦を迎えられた皇后雅子さまがそのご感想で「平和な世界を築いていくために人々が対話を通して相手の置かれている状況を理解しようと努め、互いを尊重しながら協力することがいかに大切か改めて感じます」と言われましたが、まさにこのお言葉こそ人類共存ではないでしょうか。


「地球規模の環境問題は、

 私たちが協力し合いながら

 真剣に取り組まなければならない

 喫緊の課題だと思います」

                  皇后雅子様


「共存を祈る会」同志募集 №760

 「共存を祈る会」同志募集

令和6年1月1日

令和3年のこのたより、11日号で「人類共存元年」ということを申し上げました。その前年、令和2年に発症したコロナ禍が瞬く間に全世界中に広がり、私たちは「3密」を避けながらアマビエに頼るしか手の打ちようがありませんでした。コロナウイルスは人間が撲滅できる存在ではなかったのです。

 その時、私が4歳の孫娘に言われたことが「コロナさんに会わないでね」という言葉でした。コロナウイルスに罹患すればただではすみません。時には死に至ります。そんなコロナウイルスから身を守るためにはコロナウイルスにかからないことしかありません。孫娘はそのことを教えてくれたのです。それが「人類共存元年」でした。

 私はその時思いました。コロナウイルスはこの地球上のあらゆる生物の共存を教えるために出現したに違いないと。地球上の生物はみな意味なくして存在していない。コロナウイルスと人間のように互いの利益に反するものがあってもそれぞれはそれぞれの存在意義を持っているのです。

 私が共存ということを思った時、まず第一に思ったことが人類共存でした。しかし、この3年で私たちは共存が進んでいるでしょうか。否々ですね。ロシアによるウクライナ侵攻、そして昨年からはイスラエルとハマスが戦闘になってしまいました。共存どころか互いのせん滅を意図した悲惨な戦いは終わる気配がありません。

 私はいまこの時、人類の共存を祈る同志を募りたいと思います。私たちに出来ることは祈りしかありません。しかし、皆さんが「共存を祈る会」の自発的会員になって下さり、共存を祈る祈りの輪が百人千人万人と拡がっていけばそれは必ず大きな力になるに違いありません。私が祈りの同志を募る所以です。


 皆さん、観音寺「共存を祈る会」の同志になって下さい。そして一日一回時間を決めて「人類が共存しますように」と祈り、世界の平和を願って下さい。私たち一人ひとりの小さな祈りが大きな輪になって拡がっていけば、そこに必ず人類平和共存への力が生まれます。一人ひとりは小さな存在でも大きな力を生むに違いありません。


祈りの波紋は消えることなく拡がっていきます。

この一年 №759

 この一年

令和5年12月25日

令和5年ももうすぐおしまい。皆さま今年はどんな年でしたか。うれしいこと悲しいこと様々なことのあった一年ではなかったかと思います。私も同じです。でも考えたら私にとってはうれしいことや楽しいことより痛恨極まりないこと、いまなお怒りを抑えきれない悔しいことの方が多かったように思います。

 まず痛恨極まりないことの第一はイスラエルとハマスの戦争です。この2か月余りの戦闘でガザでは15000人以上もの死者が出ていますが、そのうちの半数近くは女性と子どもだと言います。罪のない子どもが命を奪われ、また親を失った子どもが悲嘆に絶叫している姿を見ると胸の痛みを覚えてなりません。

 たより前号でも申し上げましたが、人類はなぜ共存ができないのでしょうか。イスラエルとパレスチナは共存しない限り戦闘は終わりません。日本はどうしてこれを強く言わないのか。アメリカの後ろでイスラエルをかばっていては何の解決にもなりません。日本が独自の平和外交ができないことに残念を覚えてなりません。

 そんな日本の岸田内閣。支持率は20%台にまで低落していますが、国民が望む政治をしていないのですから当然でありましょう。申し上げた平和外交どころか核兵器禁止条約会議にはオブザーバー参加もしていません。その一方で国民の生活困窮化をよそに軍事費増強や原発回帰に躍起になっているのを見ると気は確かか、と言いたくなります。

  怒りに任せて言い過ぎましたでしょうか。寺のこの一年の反省もしたいと思います。正直のところ、恥ずかしながら寺は満足なことができませんでした。この一年はこの観音寺が住職そっちのけでみんながわいわいがやがややってくれる寺になってくれることを意識しましたが十分ではありませんでした。


 反面、寺は皆さまの援助には助けられました。いつものお花替えの方々が庭掃除や草取りはじめトイレや階段掃除、観音さまの会の時の調理やお接待などをして下さりそのご援助がなければ寺の運営は成り立たなかったと申し上げて過言ではありません。私の一年は感謝の一言に尽きます。厚く御礼申し上げます。

 守られている ありがたさよ

 生かされている うれしさよ

 朝に夕に 手を合わせよう

 感謝のまことを ささげよう

       
         <坂村真民>

いろとりどり №758

いろとりどり

 令和5年12月16日

いま放送されているNHKの「みんなのうた」に「いろとりどり」という歌があります。幾つかのバージョンがあるようですが、そのうちの一つ「ツバメ」という歌に心惹かれるものがありました。多分皆さんもお聴きになっているだろうと思います。ちょっと長い歌詞ですがその1番をご紹介しましょう。

 「きらめくみなものうえを むちゅうでかぜきりかける つばさをはためかせて あのまちへいこう うみをこえて ぼくはそう ちいさなツバメ たどりついた まちでふれた たのしそうな ひとのこえ かなしみにくれる なかまのこえ みんなそれぞれ ちがうくらしのかたち まもりたくて きづかないうちに きずつけあって しまうのはなぜ おなじそらのしたで ぼくらは いろとりどりのいのちと このばしょで ともにいきている それぞれ ひともくさきも はなもとりも かたよせあいながら ぼくらはもとめるものも えがいてるみらいも ちがうけれど てとてをとりあえたなら きっとわらいあえるひがくるから ぼくにはいま なにができるかな」 

 この歌詞を読むと、まさにこの歌はいまの世界今の私たちを歌っているではありませんか。世界の人はそれぞれ違う暮らしをしていていい筈なのにそれを忘れて傷つけあってしまっています。人も草木も花も鳥もみんなそれぞれ求めるものは違っても肩寄せ合って生きるべきなのにそれができていません。

 この歌の根底にあるのは「共存」ですよね。求めるものも描いている未来も違うけれど、その違いを認め合って存在するのが共存ですよね。まして人間、民族宗教言語文化習慣が異なるのであればその違いは違いとして容認し、そこに足を踏み込まないというのが共存の基本ではないでしょうか。


 ロシアのウクライナ侵攻がいまだに続いている今、新たにイスラエルとハマスが戦争状態になって多くの罪のない人々が命を奪われています。犠牲者の多くが子どもや女性だということに胸の痛みを覚えてなりません。世界の人々が「いろとりどり」の生活ができるように私たちはいま何ができるでしょうか。



鈴と、小鳥と、 それから私、

みんなちがって、みんないい。

         金子みすゞ


また「あぶらんけんそわか」 №757

また「あぶらんけんそわか」

 令和5年12月12日

 もう4,5年前のことですが、このたよりで「あぶらんけんそわか」というお話を申し上げました。神奈川にお住いのEさんは、子どもの頃、お母さんが新しい靴を下ろす時に「あぶらんけんそわか」と唱えながら靴底をやかんの胴に交互に当ててケガなどしないように祈ってくれたというお話でした。

 Eさんはその後結婚してからもお母さんがしていたように「あぶらんけんそわか」のおまじないをして、ご主人から「何してるの」と笑われたそうですが、幼少時の体験はそれほど根強く心に残っているということでありましょう。私もまた未だに新しい履物を下ろす時は必ず玄関を一度出てまた入るという母の教えを守っています。

 実は今日の「あぶらんけんそわか」は上のこととはちょっと異なりますが、小さい頃に母に聞いたことで未だに実践していることがあるのです。油料理の鍋やフライパンを洗う前に先ずその底を冷たい水で流すのです。そのことによって油がよく落ちるかどうかは分かりませんがともあれそのことを続けているのです。

 上のことはある日、母が「油鍋は洗う前に底を水で流すとよく落ちるね~」と言ったことによっています。母がそのことを何で知ったのかは知りません。新聞かラジオで知ったのかも知れませんが、ともあれその時の自分にはそのことが印象深かったことは間違いありません。それで未だに洗う前に水かけをしているのです。

 Eさんの「あぶらんけんそわか」も私の「靴を履いて玄関を出てまた入る」もその底にあるのは祈りです。その靴を履いて出かけて交通事故や悪いことに出逢わないようにという素朴な祈りがあってこそでありましょう。小さい時にその祈りを自然のうちに母に学ぶという有難さがあると思います。


 油鍋の底に先ず水を流すというのは祈りではありません。しかし、小さい時の体験を今なお継続しているというのは幼少時の体験が人間にとって如何に大きな意味を持っているかということであり、それが母親に教えられたものであればその人の母はその人の胸にずっと生き続けているということでありましょう。


幼少時、何を教えられ何を学ぶか。

そのことがその人の一生を貫く


ノラ猫考 №756

 ノラ猫考

令和5年12月8日

先月初めの季節外れの夏日数日から一ヵ月、朝晩の冷え込みはやはり冬に相応しくなってきましたね。寄る年波か、私は年々寒さに弱くなっているように思いますが皆さまはいかがお過ごしでしょうか。寒さが厳しくなってくるこの時期になると気になることがあります。ネコ。そう、ノラ猫のことなんです。

 以前にもお話ししましたが、この観音寺境内には常時数匹のノラ猫が徘徊しています。そのうちの一匹に時々エサをやるようになってもう数年になると思いますが、今年になってそのノラが本堂の縁の下に“常駐”しているらしいことが分かりました。。朝、エサやりの時間にその気配を感じて縁の下から飛び出してくるのです。

 実は2,3 年前の冬にそのノラが数日姿を見せないことがあって凍死してしまったのではないかと心配したことがありました。その時は別の場所にいたようで無事に戻ってきましたが、これから寒くなる一方ですから本堂の縁の下で冬の寒さを越せるだろうかと心配になるのです。ノラ猫も大変ですよね。

 思えば可哀相なノラ猫ですが、私はノラ猫の本当の悲哀は人とのつながりを持っていないことだと思います。いや人とだけではありません。ノラ猫同士もつながりを持っているようには思われません。ということは、ノラ猫はいつも一人。触れ合う仲間も話をする相手も持っていない孤独の存在ということになります。

 サン=テグジュペリの「星の王子さま」に王子さまがキツネと出会う場面があります。王子さまはキツネに「遊ぼう」と声をかけますが、キツネは「きみとは遊べない。なついてないから」と言います。それを聴いた王子さまは「なつくってどういうこと。なつくってどういうこと」と2度訊ねます。


 キツネは答えます。「なつくって絆を結ぶということだよ」と。私はいま改めて思います。私たちは絆を結んだ生活をしているでしょうか。親子兄弟夫婦友人知人、そして民族宗教文化を異にする人たちと絆を結べているでしょうか。絆を結ぶということはどういうことなのか改めて考えたいと思います。


「もしきみがぼくをなつかせたら、

 ぼくらは互いに、なくてはならない存在になる」

                <キツネ>  

白雲悠々清流滔々 №755

  白雲悠々清流滔々

令和5年11月17日

霜月にもみじ惑わす夏日かな   京都・小林茂雄

        義理のよに短い秋がやって来た  壱岐・中永郁子

  上の句は4日の朝日川柳。下の句は6日の中畑流万能川柳(毎日)。4日の朝日かたえくぼには「四季の歌 三番は省略しますー歌手」ってのもありました。

 立冬になってからはいつもの初冬になりましたが、今月初めは全国的に季節外れの夏日でしたね。東京では11月で過去最多となる3度の夏日を記録したと言います。上の中永さんの句やかたえくぼの通り、近年は四季のうちの春秋があっという間に過ぎてしまう気がします。これも気象異変かも知れません。

 古今和歌集や新古今和歌集を見ても夏冬の歌に比べて春秋の歌が圧倒的に多いのは日本人がいかに春秋に季節を感じて来たかでありましょう。季節から春秋がなくなってしまうのは人の心から繊細な感受性を奪ってしまうことになるに違いありませんが、それこそが無常ではないでしょうか。

    白雲悠々漂碧空    青い空に白い雲

    清流滔々逝秋風    秋風に逝く水は

    古今東西無別事    いまもむかしも変わりなく

     諸行無常万物空    すべてのものは移りゆく

 日本の季節から春秋がなくなってしまうのは残念でありますが、移りゆくということはそういうことだと思います。季節がどんなに変化しても移りゆくことには変わりありません。それが諸行無常ということだと思います。人間の思いとは関係なく変化し続けるのが無常ということだと思います。


 度々申し上げることですが無常は真理です。自然の摂理です。人間の勝手な思いとは一切関係ありません。非情無情です。だからこそ真理なのです。お釈迦さまはその真理に気づかれたのです。真理をつくったのではなく真理に気づかれたのです。私たち人間もその真理のうちに生まれて老いて病んで死にます。合掌。


祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり


イスラエル・ハマス戦闘を憂える №754

 イスラエル・ハマス戦闘を憂える

令和5年11月16日

ウクライナとロシアの戦争が停戦になっていないのに今度はイスラエルとハマスが戦争になりました。この1か月余り、イスラエルの攻撃は容赦なくガザ地区を襲い、これまでにガザでは1万人以上もの死者が出ています。空爆は病院や学校、難民キャンプまでに及び沢山の子どもたちが犠牲になっていることに胸の痛みを覚えてなりません。

 そうしたイスラエルに対して世界各地で攻撃停止を叫ぶ声が高まっていますが、米欧の多くの国はイスラエルの自衛権を支持して戦闘が収まる気配はありません。憎しみの応酬でしかないこの戦闘をどうしたら終わらせることができるのか。そう考えていて二つのことを思いました。

 その一つはイスラム原理主義です。ご存知のようにハマスは国ではありません。イスラム原理主義の組織です。ハマスも当初は難民や貧困層のための社会活動団体として発足したようですが1987年以降は武装闘争に転換してしまい、以来、シャリーア(イスラム法)に基づくイスラム社会への復帰を目指す過激な組織になってしまったのです。

 私は原理主義そのものを悪いとは思いません。しかし、それが宗教の中で組織化されると過激先鋭化、武力闘争化してしまう弊害を生じると思います。その端的な例がハマスでありタリバンではないでしょうか。ハマスはまずこのことを思うべきです。攻撃と報復は憎悪と対立の連鎖しか生まないのです。そこに平和はありません。

 思ったこと、もう一つは「共存」です。この4年以上、私たちはコロナウイルスに翻弄されてきました。私たちがこのコロナウイルスに学んだことは共存でした。絶滅させることができないウイルスとは共存するしかないというのがコロナの教訓だったと思います。このことは異民族同士でも全く同じだと思うのです。


 実はイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)には1993年に互いに共存する劇的な合意(オスロ合意)がありました。この和平プロセスを2002年に崩壊させたのはイスラエルですから今回の戦闘の責任はイスラエルにあるとも言えます。共存がどんなに大切かイスラエルも考えるべきでありましょう。


「彼、われをうちまかし

 彼、われをうばえり」かくのごとく

 こころ執せざる人々こそ 

 ついにうらみの(やす)(らい)を見ん

          (法句経)


四住期考 №753

 四住期考

令和5年11月11日

先日、中学時代の友人が来てくれた折、年齢のことから「四住期」の話になりました。互いに八十路になった今、これからどう生きていくかが切実な問題であることは言うまでもありません。八十路と言えば人生最終章であることは無論です。残された時間を如何に過ごすかなのです。

 四住期については以前ちょっとだけ申し上げたことがあると思います。古代インド法典では3上流階級であるバラモン、クシャトリア、バイシャはその生涯を学生(がくしょう)期、家長期、林住期、遊行期(遍歴期)の四つに分け、それぞれの時期になすべきことを決めておりました。

 学生期はベーダ聖典を読誦し祭式の施行法を学ぶなど宗教教育を受ける時期で512歳でこの時期に入り12年間修行することが決められていました。次の家長期では結婚し男児を設けることが義務づけられていました。そして3番目の林住期においては息子に家を託して森林に隠遁する、となっています。

 問題は最後の遊行期です。この遊行期では諸国を遍歴し、托鉢のみによって生活するとなっていますが、年齢的には幾つぐらいからがこの遊行期になっていたのでしょうか。学生期は1212とすれば24歳までになります。家長期はそれ以後家庭を持ち、仕事を息子に任せるまでですから6070歳でしょうか。

 とすると林住期はそれ以後の1015年間となり遊行期の始まりは70歳前後になるでしょうか。この時期になったら托鉢で命を支えながら諸国遍歴をすべきだというのがこの四住期なのです。してみると私はすでにこの遊行期になっていますが、遊行期どころか林住期さえ出来ていないことに愕然とせざるを得ません。


 ただ、インドでも四住期は理想的なあり方であり現実には必ずしも守られてはいなかったようです。それを知って私はいま自分はどうするかという思いに駆られています。僅かでも実行に移せることがあるか。気持ちだけでも林住期遊行期に近づけることができるか。遊行期を実践し続けた山頭火はすごいと思います。


分け入っても分け入っても青い山

           種田山頭火


最新葬儀お墓事情 №752

 最新葬儀お墓事情

令和5年11月8日

コロナが5類化して半年になりました。しかし終息した訳ではありません。いつまた猛威を振るうかという恐れはそのままでありましょう。それでも今年は催し事が4年ぶりに再開されたという話をよく聞きました。無事再開無事終了ならばそんな嬉しいことはありません。誰しもそう願っていると思います。

 しかし、コロナによって中断せざるを得なかった催事の中には消滅を余儀なくされたものもあったでしょうし、消滅まで行かなくとも規模や内容を縮小せざるを得なくなったものもあるに違いありません。そのことを考えるとコロナによる生活への打撃がいかに大きかったかと思わざるを得ません。

 コロナによる変化で大きかったものの一つとして葬儀があると思います。コロナ猛威の最中には遺体を目にすることも叶わず、葬儀も形だけにせざるを得ませんでした。会葬者を家族だけにする、いわゆる「家族葬」です。 しかし、そのやむを得ずであった家族葬がいまはむしろ積極的に選ばれるようになったのです。

コロナ以前から見れば大変な違いになりましたが、私はこの家族葬を否定はしません。儀式が先行しがちの大きな葬儀より家族が心を込めて亡き人を送ることができればそれに越したことはありません。恐らく家族葬はこれから葬儀として定着していくだろうと思いますが、それは決して悪いことではないと思うのです。

もう一つ。これはコロナとは直接関係はしませんが、近年はお墓に対する意識の変化があると思います。つい最近までは「○○家の墓」という形が多かったと思いますが、お墓の維持が難しくなるに連れて墓じまいする人が多くなり、結果として納骨堂、海洋散骨、樹木葬等が多くなっています。これも時代でありましょう。


このように考えると、私たちの死を取り巻く状況は変化の過渡期にあると思えてなりません。しかし、大事なことは葬儀無用ではありません。むしろ今まで以上に亡き人を懇ろに弔い、死者とのつながりを深めていくことではないでしょうか。そのために葬儀のあり方、お墓の形をしっかり考える必要があると思います。


皆さまに質問です。

「お墓って何ですか?」



生老病死を考える №751

 生老病死を考える

令和5年10月18日

生老病死(しょうろうびょうし)を四苦と言いますね。仏教では人が生まれて生きること、老いること、病むことそして死ぬことの四つを苦しみと捉えました。ま、生きることには喜びも楽しみもありますからすべてが苦とは言えませんが、生きることと捉えればやはり苦と言えるのかも知れません。

 先日、この生老病死を思っていて歌とも言えぬ言葉を思いつきました。「人はみな生まれて老いて病んで死ぬ諸行は無常命永遠」という言葉です。人はみな生まれた時から老いが始まります。その途中には病がつきものです。病気にならずに済む人はありません。そして最後はその病によって死んでいきます。

 上のことに当てはまらない人はいません。生物の宿命と言うべきでしょう。程度の差こそあっても人はみんな老いて病んで死んでいくのです。でもその私たちは無常の存在であることを考え合わせると、生老病死は1回ではなくなります。無常というのは変化し続けるということですから死の後も変化し続けることになります。

 その意味で思ったことが「命永遠」ということです。私たちは今生での肉体の命が終わってもなお変化し続けてまたいつの日か生まれ変わって人間として生きるに違いありません。無常とはそれを言うのだと思います。私たちの命は永遠の変化をしていく。変化せざるを得ない。それが無常なんだと思うのです。

 ご存知「修証義」の第1章総序は「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という言葉で始まりますね。そして「生死の中に仏あれば生死なし」と続きます。私はここに言う「仏」は無常と同意語だと思います。無常こそ真実。仏というのは無常そのものを言っているのだと思うのです。


 無常は瞬瞬刻々です。その無常の中には生も死もありません。生は生、死は死。ただ真実真理が存在するだけです。人間から見れば一瞬一瞬の変化に喜怒哀楽を思いますが、無常の仏から見れば変化の過程にしか過ぎません。「但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく涅槃として欣うべきもなし」なのです。


「この生死は、すなはち仏の御いのちなり」

       正法眼蔵「生死」


政治・メディアの責任 №750

 政治・メディアの責任

令和5年10月17日

たより前々号で最近痛切に思っていることとして「核のごみ」のことを書きましたが、その後改めて二つのことについて思うことがありました。一つは沖縄の普天間飛行場の辺野古への移設計画のこと、そしてもう一つはジャニー喜多川の性加害のことです。この二つのことで政治とメディアの責任を強く思ったのです。

 まず辺野古への移設のこと。9月に最高裁で沖縄県敗訴が確定するや国交相は4日までに埋め立て予定地の軟弱地盤の設計変更を承認するよう県に指示しました。しかし、玉城デニー知事は「期限までに承認することは不可能」と回答しました。これに対して国交相は翌5日、代執行に向けて福岡高裁那覇支部に提訴したのです。

 私はこれに強い怒りを感じてなりません。沖縄県知事の回答は解決を弄んでのことではありません。法を理解してなお法通りにはできない苦しみの結果なのです。その苦しみは玉城デニー知事一人ではありません。沖縄県民の苦しみなのです。その苦しみを一顧だにせず代執行提訴をする政府に怒りしかありません。

 もう一つのことはジャニー喜多川の性加害です。その性加害は何と40年以上、被害者は500人以上になると聞いてそのすさまじさおぞましさに身の毛がよだつが思いがしますが、ではどうしてそんなことが許されたのか、ではないでしょうか。なぜ長い年月多くの人への性加害がまかり通ったのか、ではないでしょうか。

 被害者救済委員会などの調査で明らかになってきたのは、性加害の事実を多くの人そしてNHK始め民放各局、新聞社などが知っていたという事実です。程度の差こそあれジャニー喜多川の性加害を周囲はむろんメディアも知っていながら見て見ぬふりをし続けてきたのです。犯罪を越える癒着があったとしか言いようがありません。


 沖縄のこと、そしてジャニー喜多川のこと、この二つに共通して言えることは当事者の悩み苦しみを無視しているということです。政府もメディアも当事者の悩み苦しみを全く思っていません。それで政治と言えるでしょうか。正しいメディアと言えるでしょうか。堕落ここに極まるという思いがしてなりません。


「公共放送が信じられなくなったら

 我々は何を信じたらよいのか分からなくなります」 

                <友人T君の嘆き>


人生の「勝ち組」 №749

 人生の「勝ち組」

令和5年10月10日

勝ち組負け組、という言葉がありましたね。元々は日本が敗戦した時、ブラジルに移民していた人が日本は戦争に勝ったという人と負けたという人の二つに分かれたことによっていますが、最近はこの言葉はもっぱら人生の勝ち負けを評して使うことが多くなりました。人生成功者は勝ち組、失敗者は負け組、という訳です。

 ちょっと以前のことになりますが、仁平寺様がこの勝ち組負け組のことを話して下さったことがありました。覚えておいでの方もあるかも知れません。仁平寺さんはその時、葬儀でどのように見送られるかでその人の人生における勝ち負けが判断されるように思うと言われたのです。

 話はこうでした。葬儀に立ち会っていると、ささやかな式ではあっても参列した人が一様にその人の死を悼み別れを惜しむ葬儀がある一方、沢山の人が参列し誠に盛大な葬儀でありながら死を悲しむ人は僅かしかおらず大半は義理儀礼的に参加しているに過ぎないという葬儀もあるというのです。

 いやまたなんでそんな話を思い出したかと言いますと、先達て仁平寺様のお母上様が亡くなってご葬儀があったからです。仁平寺様のご意向でむしろささやかなご葬儀でしたが、その式中、仁平寺様の小6になるお嬢さまがずっと泣き通しだったのです。特に最後のお別れ、お棺に花を入れるときは「おばあちゃん有難う」と号泣でした。

 私もそのお嬢さんの声に思わず涙をこぼさずにはいられませんでしたが、その時、私は仁平寺様がお話下さったこと、仁平寺様のお母上様は勝ち組の人生を送られたということをはっきりと実感したのです。自分の死を嘆き悲しんでくれる人がいるということがどんなに有難く得難いことかと思ったのです。


 近年、葬儀は儀式的になりつつあると思えてなりません。しかし、葬儀は悲しみを素直に表わすことが大切ではないでしょうか。それが亡き人のためではないでしょうか。この度の仁平寺様のお母上様のご葬儀でのお孫様の姿に私は葬儀の原点を教えられた気がしてなりませんでした。


皆の衆皆の衆 嬉しかったら

腹から笑え 悲しかったら 

泣けばよい



核のごみ №748

核のごみ

 令和5年10月8日

いま痛切に思っていることがあります。「核のごみ」です。先月27日、長崎県対馬市の

比田勝(ひだかつ)尚喜市長が原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物、いわゆる核のごみの最終処分場の候補地選定を巡り、この第一段階となる文献調査を受け入れない意向を表明したことです。

 比田勝市長は「市民の間で分断が起こっており市民の合意形成が十分でないと判断した」と言われましたが、その通りだと思います。この問題には住民の分断がつきものです。市議会は請願時に賛成10反対8と賛成が上回っていますから市長にとってはまさに苦渋の決断であったに違いありません。

 賛成派は市長の決断を「議会軽視だ。無責任だ」と言っているようですが、私は市長の決断を是としたいと思います。「市民やこれから育つ子どもたちの将来を考えた」という市長の言葉はその通りだと思われてなりません。核のごみは一刻で終る問題ではありません。対馬市民の生存を脅かすことさえあるかも知れないのです。

 比田勝市長は文献調査を受け入れた時の交付金については「ひとたび風評被害が生じれば20億円では代えられない」と言っていますが、これもその通りでありましょう。受け入れ派は文献調査時の交付金20億円に期待しているのでしょうが、島の産業である漁業や観光に風評被害が起こることを考えていないのでしょうか。

 核のごみのことを考えていてつくづく思うのは原発が如何に中途半端、人間の手に負えないものであるかということです。福島原発を見ての通り、事故原発の廃炉の目処もたっていません。汚染水は溜まり続けています。周辺の町や村が以前のように復興することも絶望的と言っていいでありましょう。


 ところが、岸田首相は原発の稼働延長ばかりか原発の新設さえしようとしています。ドイツは福島原発の事故を見て脱原発を決めました。着々と脱原発を進めています。この違いは一体何でしょうか。私たちはこの状況を傍観していてよいのでしょうか。岸田首相がしていることを許してよいのでしょうか。



「人間が天の火を盗んだーその火の近くに生命はない」  

     高木仁三郎