平和を祈る №740

 平和を祈る

令和5年8月6日

 8月は祈りの月。今日6日は広島平和記念日、9日は長崎原爆の日、そして15日は終戦記念日。1945(昭和20)年のその日から今年は78年になりました。人の一生に相当する年月が経ったいま世界は平和になったでしょうか。否々と言わざるを得ません。むしろ平和に逆行しているのが今ではないでしょうか。

 日本について言えば日本は辛うじて平和を保っています。これはひとえに戦後の日本が憲法9条を守ってきたからです。しかし、この日本の平和も「薄氷を踏むがごとし」という状況にあることは否めません。これからは一層一国だけが平和であることは不可能なのです。

 その日本は世界の平和のために貢献できているでしょうか。確かに日本もウクライナに対しては相応の支援を行い、米英やEU諸国と共にロシアに対する制裁を続けてはいますが、日本独自の平和外交は全くしていないと言わざるを得ないでありましょう。日本は憲法9条を掲げた平和外交をすべきなのです。

 今年519日から3日間、広島で主要7か国首脳会議(G7サミット)が開かれ、出席した各国の指導者が原爆資料館を訪れたほか、ウクライナのゼレンスキー大統領の異例の訪日がありましたが、会議で問われた「平和」と「核なき世界」への進展はあったでしょうか。私はこれにも否々と言わざるを得ません。

 分けて「核なき世界」については態々広島を会場にした意味は皆無であった思います。被爆者団体がその成果に「幻滅」したように核なき世界への一歩の前進もありませんでした。日本はいまだ核兵器禁止条約に批准どころかオブザーバー参加さえしていませんが、広島でするならそこに踏み出すべきではなかったでしょうか。


 ウクライナへの武力侵攻を続けている“野望鬼”プーチンには正常な判断力は期待できません。このままでは戦争が長引いて罪ない人々が犠牲になるばかりです。一刻も早く戦争が終わり、ウクライナに平和が戻るよう皆さま祈りを続けて下さい。真の祈りは力です、エネルギーです。


史上の戦争はすべて悪。

史上の平和はすべて善。

  <ベンジャミン・フランクリン>



続・人生未完成遍路 №739

続・人生未完成遍路

令和5年7月18日 

 前号「人生未完成遍路」を考えながら幾つか思い出したことがありました。それらは以前申し上げたことではありますが、人生は未完成に終るということ、未完成に終らざるを得ないがゆえに生死が繰り返されるということを思って頂きたく改めて申し上げたいと思います。

 その一。四国お遍路は札所が88ヵ所あります。その88ヵ所目が結願寺・大窪寺です。大窪寺は結願寺ですから順番に回ってきた人にとっては四国遍路が完了したことになります。でも実は大窪寺から第一番の霊山寺に戻って遍路サークルが完成するのです。ということは、四国遍路は何回も何回も繰り返すことに意味があるのです。

 その二。「下山の路は是れ上山の路(あさんの路はこれじょうさんの路)」。私たち僧侶は修行が義務づけられていますが、その修行のために道場に上がることを上山といいます。そして修行が終わって道場を後にすることを下山といいますが、この言葉の言うところは修行が終わっての帰り道は修行に上がる道だということです。

 修行者は誰しも道場で一定の修行を積めば悟りまでとはいかずとも一段階を終わったと思うでありましょう。でも上の言葉はそうではないのです。一つの修行が終わってもさらにその先の修行がある。一つの修行の終わりはその先の修行の始まりの一歩だというのです。人みな人生は修行。その修行に終わりはないということなのです。

 そう言えば、日本サッカーの師と言われたデットマール・クラマーさんに「タイムアップの笛は次の試合のキックオフの笛である」という有名な言葉がありますね。クラマーさんは「終了は次の始まりである」とも言っているそうですが、クラマーさんにとっても「下山の路は上山の路」であったのでしょう。


 その三。メビウスの帯。これも以前お話したことがあったと思います。一本の紙の帯の両先端を一ひねりして貼りつけるとねじれた輪になりますが、この輪の一点からずっと辿っていくとその線は元に戻ってきます。表裏のない曲面になるのです。この表裏のない曲面こそ人生ではないかと思われてなりません。


生きることは旅すること 

終わりのないこの道

  歌・「川の流れのように」

人生未完成遍路 №738

 人生未完成遍路

令和5年7月17日

 かねがね私は「人生は中途で終わる」と申し上げてきました。中途で、という言い方は聞こえがあまりよくないので最近は「未完成で終わる」と言い方にしましたが、いずれにしても同じです。私たちの人生はゴールに達することもなければ完了することもありません。中途、未完成なのです。

 私は人は輪廻転生するという考えを信じていますが、なぜ輪廻転生するかと言えば私たちの人生が未完成に終るからからです。人は誰しも人生を未完成のまま終わらざるを得ません。となると、その未完成の人生には反省や総括が伴ないます。その反省・総括こそが次の生まれ変わりを生じさせるに違いないと思うのです。

 人が輪廻する存在であるという考えはインドにはお釈迦さま以前からあったと言われていますが、その考えがいま私が申し上げたように人生未完成に基づいているのかどうかは知りません。ただその根底には人は肉体存在であると同時に魂を持った霊的存在だという考えがあるに違いありません。

 話は飛びますが、いま私は井筒俊彦さんが書かれた「意識の形而上学‐大乗起信論の哲学」という本を読んでいます。この本は私にとって超難解で9割方理解できていないと思いますが、中に一か所、輪廻転生について「おっ、これだ!」と思わせられるところがありました。それをご紹介したいと思います。

 「起信論の語る究竟覚(くきょうかく)の意味での悟りを達成するためには、人は己自身の一生だけでなく、それに先行する数百年はおろか、数千年に亙って重層的に積み重ねられてきた無量無数の意味文節のカルマを払い捨てなければならず、(中略)不覚と覚との不断の交替が作り出す実存意識フィールドの円環運動に巻き込まれていく」


 井筒さんは上のように述べた後、「この実存的円環行程こそいわゆる輪廻転生ということの、哲学的意味の深層なのではなかろうか」と言われます。私は「これだ!」と思いました。人間は悟りに到るために何百年何千年となく生死を繰り返す。永遠遍路。それが輪廻転生でありましょう。


人は生ある限り繰り返し繰り返し

「不覚」から「覚」に戻っていかなくてはならない」

           井筒俊彦「意識の形而上学」


「四有」考 №737

「四有」考

令和5年7月8日

 先達てある方の四十九日法要の折、式の初めにその法要の意味をお話しました。皆さまもすでに何回か四十九日法要に参加されたことがあると思いますが、この法要は人間の生存状態を四つに分けた時の一つであることはご存知でない方もあるかも知れません。今日はそのことについてお話ししたいと思います。

 四十九日を皆さんは「中陰」という言葉で聴くことが多いと思いますが、上に申し上げましたようにこの中陰が四つのうちの一つで中有(ちゅうう)とも言います。他の三つは(しょう)()本有(ほんう)()()です。生有とは受胎の瞬間、本有とは誕生から死までの一生、死有とは死ぬ瞬間を言い、さらに死有の後生まれ変わるまでの中有を加えて四有となります。

 この四有のうち生有と死有は瞬間ですから生有は本有とくっついており、死有は中有とくっついていることになります。ということは人間は生有によって生まれる一生の間と死有によって生まれる生まれ変わりまでの間がワンサイクルになりますね。本有は長い人もいれば短い人もありますが、中有は49日と決められています。

 中有の期間が何故49日とされたのかは知りませんが仏教では人は死後49日で生まれ変わるとされているのです。でも本当に人は死後49日で生まれ変わるのでしょうか。私はそれはあり得ないのではないかと思います。それが本当だったらこの日本も人口減少など起こらないと思うのです。

 ま、それはさておき、私はこの四有が教えることは人間は輪廻する存在であるということではないかと思います。六道輪廻の考えもその一つと言えるのではないでしょうか。人は死によって肉体を失った後も霊魂として存在し続け、その霊魂はいつかまた肉体を得てこの人間世界に生まれ変わるということを教えていると思うのです。



 実は私は障害児教育に携わっている頃にドイツの人智学者ルドルフ・シュタイナーを知って輪廻転生を信じるようになりました。障害児を理解する上でも輪廻転生という考えは納得ができたのです。以来私は人は輪廻転生する存在であることを信じるようになりました。皆さんはどうお考えでしょうか。


汝も私も無始の時から、

生まれ変わり死にかわって転変無常である。

         
  空海<三教指帰>


あっぱれ人生 №736

 あっぱれ人生

令和5年7月1日

 もう30年以上も前、養護学校で学級担任をしていた時の教え子、福井華子さん(華ちゃん)の訃報がありました。44歳でした。華ちゃんはダウン症でした。ダウン症は心疾患や眼疾患を伴うことが多いのですが、華ちゃんも最後の一年は視力をかなり失ってご両親の介護によることが多かったということでした。

 私が担任していた中学生時代、華ちゃんはダウン症児特有の明るさと頑固さを併せ持った誠に痛快な女の子でしたが、才能的には驚くべき視覚記憶に加えて独特な感性を持った絵画表現力を持っていました。後に絵画展を開くことができたのも偶然ではありません。華ちゃんの絵には他の人には真似できない力があったのです。

 ダウン症児は未来の人類といわれますが、華ちゃんはその言葉ピッタリでした。ウソも衒いもありません。素直そのまま、怒る時は怒るし楽しい時は喜ぶ。喜怒哀楽に正直です。私たちが自分の感情を素直に表せなくなっていると思う昨今だけに豊かに感情を表すことができる人は誰からも愛されるでありましょう。華ちゃんがその人でした。  

 だからであったでしょう。華ちゃんの葬儀には驚くほどの会葬者があったそうです。そして最後のお別れには沢山の人が「華ちゃん有難う、華ちゃん有難う」と声をかけて呼びかけていたそうです。この様子を見ていた元同僚のAさんの心に浮かんだのはただ一言、「華ちゃん、あっぱれ人生」だったと教えてくれました。

 Aさんの「あっぱれ人生」という言葉を聴いて私は二つのことを思いました。一つは華ちゃんは勝ち組ということ。たとえ盛大な葬儀であっても儀礼が主で碌に悲しむ人もいない葬儀だったら負け組ではないでしょうか。華ちゃんの死を惜しみ悲しむ人が溢れた葬儀は華ちゃん自身の人柄によってです。あっぱれ人生としか言えません。



 もう一つ思ったことは、華ちゃんはこの人生で多くのものを獲得したに違いないということです。人はみな人生未完成で終わるというのが私の考えですが、華ちゃんは44年の人生で私たちより遥かに大きな成果を得たに違いありません。ダウン症を生きることで常人の及ばぬ人生を成し遂げたと思えてなりません。


「あんと(ありがとう)

とうしゃん、かあしゃん。

あんと みんな」   福井華子


平和共存 №735

 平和共存 

令和5年6月23日

 今日623日は「沖縄慰霊の日」です。今年78年目、沖縄戦で亡くなった20万人に及ぶ犠牲者のうち半数の10万人が住民であったと言いますが、その悲惨な沖縄戦と同じことがいまウクライナで続いています。なぜロシアは許されない武力侵攻を止めないのか。無念でなりません。

 いまから69年前、1954(昭和29)年の折りしもこの6月、中国の周恩来首相とインドのネルー首相とが「平和五原則」という共同声明を交わしました。その第一は「領土・主権の相互尊重」、第二「相互不可侵」、第三「相互内政不干渉」、第四「平等互恵」、第五「平和共存」。この五つです。

 この平和五原則の背景には両国の国境紛争があったことは無論ですが、中国はこの平和五原則をビルマ(ミャンマー)、ベトナムにも当てはめて平和五原則を中国外交の基本原則にすることを内外に宣言しています。翌年の1955年に開かれたアジア・アフリカ会議、バンドン会議では五原則を基礎に平和十原則が確認されています。

 実はこの五原則にある「平和共存」(民族、文化、宗教、社会制度の異なる国が平和裡に共存すること)は、スターリン死後のソ連の対外政策の基本原則でもありました。ソ連は1956年のソ連共産党20回大会以降、フルシチョフ首相が外交政策の基本路線として平和共存を定着させたことがあったのです。

 思えば日本はすでに76年前に施行した憲法で「国際平和主義」を掲げ、世界の国々の共存を言っていますが、上に述べたように中国もロシアも69年前には平和共存を対外政策の基本にしたことがあったのです。中国もロシアも世界の国々が平和に共存することの大切さを思ったのです。


 誠に残念ながら中国とロシアはいま平和共存とは全く反対の国になっています。日本がすべきことは軍事費の増大ではありません。憲法が掲げている国際平和主義に基づいて世界の国々に平和共存を訴えることです。ロシアと中国に69年前に返ることを訴えるべきです。それが日本の役割です。

「いづれの国家も、自国のことのみに

専念して他国を無視してはならない」

     <日本国憲法・前文>


人間はゴミだ! №734

 人間はゴミだ!

令和5年6月16日

 先達てのこのたより(人生は掃除)で私たちの日常は毎日が掃除、そして私たちの身体も毎日、食べ物の摂取と排泄という代謝で掃除をしていると申し上げました。まさに「生きる」ことと「ゴミ掃除」は同義語と言えるのではないでしょうか。生きていなければ掃除をするということはないと思います。

 そのたよりを読んだかみさんが、晴(はる)君(中1の孫)が「同じようなこと言ってますよ」と教えてくれました。その晴君、2年前の小5の時「ゴミ。人間は生み出したゴミで遊んでいる。自分自身がゴミと知らずに」と思いついて、その言葉を紙に書いて部屋の壁に貼っているというのです。

 びっくりでした。この晴君、以前「地球温暖化を止めなければ僕たちの将来はない。戦争なんかやってる場合じゃない。」と言って家族をびっくりさせたことがあるのですが、この小5の時の言葉もゴミが地球の大きな問題になっていることを知って思いついたようです。並みの発想ではありません。

 私がハッとさせられたのは「自分自身がゴミと知らずに」という言葉です。私は「人生は掃除」と思いながらも人間自身がゴミとは思っていませんでした。しかし、言われてみれば確かにその通り。人間自身も間違いなくゴミです。地球から見ればゴミ。ない方がよいもの、ではないでしょうか。

 前にも紹介したことがあると思います。涅槃経の最後に「我今滅を得ること悪病を除くが如し、此れは是まさに捨つべき罪悪の物、仮に名づけて身と為す」という言葉があります。お釈迦さまから見れば私たちの身体は「捨てるべき罪悪の物」です。不用なゴミよりさらによくない物なのでありましょう。


 しかし、私たちは生きている限りこの「罪悪の物」を捨てるわけにはいきません。晴君が言うように、まずは私たち自身がゴミであることを認識し、さらにはお釈迦さまがおっしゃる通り、この身は罪悪の物であるという認識を持って生きていくべきなのでありましょう。


もしも人間がいなければ

 世界はもっと輝いていただろうに

      <晴君の言葉>

同行二人 №733

同行二人

令和5年6月6日

 先達てのお遍路の感想をもう一つ申し上げたいと思います。それが上に記した同行二人(どうぎょうににん)です。お遍路の人が被る菅笠にこの言葉が書いてありますからそれをご覧になった方もお出でと思います。お遍路はたとえ一人でもそばには必ずお大師様がお出で下さるという意味ですね。

 以前、申し上げたことがあったかも知れません。私は最初のお遍路の時にこの同行二人を実感しました。四国にはお大師様がいまもお出で下さっているということを確信する出来事があったのです。信じられないことですが、札所に置き忘れた日記帳をその翌日、ずっと先の宿で受け取ることができたのです。

 それには不思議としか言えないことがありました。私が札所に置き忘れた日記帳を見つけてくれたのが近くの駐在所のおまわりさんでしたが、何とそのおまわりさんの奥様のご実家が私の宿の近く、たまたまその奥様が明日、実家に行く用事があるので手帳を宿に届けて下さるというのです。信じられないではありませんか。

 今回お参りした87番長尾寺の大師堂に「あなうれし ゆくもかへるも とどまるも われはだいしと ふたりづれなり」という歌碑がありました。お遍路の人は多かれ少なかれこの歌を実感するのではないでしょうか。苦しい時あるいは私のように困りごとができた時、この同行二人を実感するに違いありません。

 その実感の現れでしょうか。八栗寺の大師堂前にはご夫婦で月参り700回を達成した記念に100万円寄付したという碑がありました。月参り700回を達成するには58年かかります。記念碑には令和310月と記されていましたが、ご夫婦はいまお幾つでしょうか。20代で始めても80歳を越えておいではもちろんでありましょう。


 私はこの同行二人はお大師様に限らないと思います。親子も夫婦も同行二人。そして私たちと観音さまも同行二人だと思います。本当に苦しい時、困った時、悩む時、その時には親や子や妻や夫が必ず助けてくれる。観音さまが救いの手を差し伸べて下さる。人生は同行二人です。


衆生被困厄 無量苦逼身

 観音妙智力 能救世間苦

     <観世音菩薩普門品偈>

一期一会 №732

 一期一会

令和5年6月1日

 先月下旬、お遍路に行ってきました。今回は最終回とあって85番八栗寺から結願の88番大窪寺までの4カ寺、その後、フェリーで和歌山港に渡り、翌日高野山奥の院にお礼参りという日程でした。実を申しますと、私これまで高野山に行ったことがなかったのでお遍路の掛け軸を仕上げるために有難いことでありました。

 余談はともかく今回のお遍路で考えたことの一つは「ここにも人が住んでいる」ということ。このことはお遍路で時々思うのですが、バスに揺られながら点在する家々を見ていて、そこには下関在の自分が一生会うこともない人たちが暮らしているということに不思議な感慨を覚えました。人が一生のうちに遭う人は本当に少ないのだと思います。

 思ったことのもう一つは表記の「一期一会」です。申し上げましたように私は今回が初めての高野山参りでした。かねて聞いてはいたものの実際に目にする伽藍の偉容には圧倒されましたが、その時ふと思ったのです。私は今生のうちにこの高野山を再び訪れることがあるだろうかと。最初で最後ではないかと思えたのです。

 茶会の心得で言う一期一会は今この時の参会を生涯ただ一度の参会と思えと言うことでしょうが、私が高野山で思ったのは文字通り自分にとって今回のお参りが一生一度のお参りになるであろうということでした。一期一会というのはその根底に無常という観念があるに違いありません。

 今回、バスの窓からあちこちの山裾に咲いている楝(おうち・センダンの古称)を見ていて「妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」という万葉集の歌を思い出しました。この歌は大伴旅人の妻が亡くなった時、旅人の心情を思って山上憶良が詠んだ歌ですが、思えば夫婦も一期一会でありましょう。


 私たちの毎日も同じです。私たちは今日の続きで明日があると思いがちですが、実は明日は今日の続きではありません。今日は今日、明日は明日。今日と明日は全く別の日です。一瞬も留まることのない無常の中にあって私たちが意識できるのはいまという瞬間に過ぎません。一期一会とはそれではないでしょうか。


年たけてまた超ゆべしと思ひきや

  命なりけり佐夜の中山

           西行

母を思う №731

 母を思う

令和5年5月17日

 この観音寺も時折水子供養をお願いされることがあります。その折、痛感するのは水子を持たれた方の水子さんへの思いの切なさです。水子さんは女性だけのことではありません。しかし、思いの上では男性に比して女性の方が遥かに大きく強いと思われてなりません。子を宿すということには男性には分からない思いがあるということでしょうか。

 拙衲も最近しきりに母のことを思うようになりました。私たちは誰一人欠けることなく母から生まれます。それ以外の人はありません。すべての人は母によって生まれてきたのです。その思いで、たより№713(母の願い)に「一切の生き物が母から生まれるということは命がつながるということです」と書きました。

 私たちは母によって命のつながりを頂くのです。母のお蔭でこの世に人間として生存させて頂いているのです。命のつながりを
担い、ただひたすら子の幸せを祈る母という存在は何と崇高ではないでしょうか。金子みすゞさんには母を思う詩が幾つもありますが、今回はそのうちの3編をご紹介しましょう。

 <つばめの母さん> ついと出ちゃ くるっとまわって すぐもどる。 つぅいと すこぅし行っちゃ またもどる。 つぅいつぅい、横町(よこちょ)へ行ってまたもどる 出てみても、出てみても、気にかかる、おるすの赤ちゃん 気にかかる。

 <すずめのかあさん> 子どもが 子すずめつかまえた。 その子の かあさん わらってた。すずめのかあさん それみてた お屋根で 鳴かずに それ見てた。

 <さびしいとき> わたしがさびしいときに、よその人は知らないの。わたしがさびしいときに、お友だちはわらうの。わたしがさびしいときに、お母さんはやさしいの。わたしがさびしいときに、ほとけさまはさびしいの。


 この3編の詩、どれもが子を思うお母さんの気持ちですね。巣にいる子どもたちが気になって仕方のないつばめ。子どもに捕らえられた子すずめを見ていることしかできない母すずめ。我が子のさびしさに優しくしてあげるしかない母。子を思うお母さんの切なさに胸を打たれてなりません。下の詩もみすゞさんの詩です。


空の、夕焼の、雲の上、天使のすがたもよくみえる。

そんないい眼があったなら、

いつも、母さんのそばにいて、いろんなことをみようもの。