四住期考 №753

 四住期考

令和5年11月11日

先日、中学時代の友人が来てくれた折、年齢のことから「四住期」の話になりました。互いに八十路になった今、これからどう生きていくかが切実な問題であることは言うまでもありません。八十路と言えば人生最終章であることは無論です。残された時間を如何に過ごすかなのです。

 四住期については以前ちょっとだけ申し上げたことがあると思います。古代インド法典では3上流階級であるバラモン、クシャトリア、バイシャはその生涯を学生(がくしょう)期、家長期、林住期、遊行期(遍歴期)の四つに分け、それぞれの時期になすべきことを決めておりました。

 学生期はベーダ聖典を読誦し祭式の施行法を学ぶなど宗教教育を受ける時期で512歳でこの時期に入り12年間修行することが決められていました。次の家長期では結婚し男児を設けることが義務づけられていました。そして3番目の林住期においては息子に家を託して森林に隠遁する、となっています。

 問題は最後の遊行期です。この遊行期では諸国を遍歴し、托鉢のみによって生活するとなっていますが、年齢的には幾つぐらいからがこの遊行期になっていたのでしょうか。学生期は1212とすれば24歳までになります。家長期はそれ以後家庭を持ち、仕事を息子に任せるまでですから6070歳でしょうか。

 とすると林住期はそれ以後の1015年間となり遊行期の始まりは70歳前後になるでしょうか。この時期になったら托鉢で命を支えながら諸国遍歴をすべきだというのがこの四住期なのです。してみると私はすでにこの遊行期になっていますが、遊行期どころか林住期さえ出来ていないことに愕然とせざるを得ません。


 ただ、インドでも四住期は理想的なあり方であり現実には必ずしも守られてはいなかったようです。それを知って私はいま自分はどうするかという思いに駆られています。僅かでも実行に移せることがあるか。気持ちだけでも林住期遊行期に近づけることができるか。遊行期を実践し続けた山頭火はすごいと思います。


分け入っても分け入っても青い山

           種田山頭火


最新葬儀お墓事情 №752

 最新葬儀お墓事情

令和5年11月8日

コロナが5類化して半年になりました。しかし終息した訳ではありません。いつまた猛威を振るうかという恐れはそのままでありましょう。それでも今年は催し事が4年ぶりに再開されたという話をよく聞きました。無事再開無事終了ならばそんな嬉しいことはありません。誰しもそう願っていると思います。

 しかし、コロナによって中断せざるを得なかった催事の中には消滅を余儀なくされたものもあったでしょうし、消滅まで行かなくとも規模や内容を縮小せざるを得なくなったものもあるに違いありません。そのことを考えるとコロナによる生活への打撃がいかに大きかったかと思わざるを得ません。

 コロナによる変化で大きかったものの一つとして葬儀があると思います。コロナ猛威の最中には遺体を目にすることも叶わず、葬儀も形だけにせざるを得ませんでした。会葬者を家族だけにする、いわゆる「家族葬」です。 しかし、そのやむを得ずであった家族葬がいまはむしろ積極的に選ばれるようになったのです。

コロナ以前から見れば大変な違いになりましたが、私はこの家族葬を否定はしません。儀式が先行しがちの大きな葬儀より家族が心を込めて亡き人を送ることができればそれに越したことはありません。恐らく家族葬はこれから葬儀として定着していくだろうと思いますが、それは決して悪いことではないと思うのです。

もう一つ。これはコロナとは直接関係はしませんが、近年はお墓に対する意識の変化があると思います。つい最近までは「○○家の墓」という形が多かったと思いますが、お墓の維持が難しくなるに連れて墓じまいする人が多くなり、結果として納骨堂、海洋散骨、樹木葬等が多くなっています。これも時代でありましょう。


このように考えると、私たちの死を取り巻く状況は変化の過渡期にあると思えてなりません。しかし、大事なことは葬儀無用ではありません。むしろ今まで以上に亡き人を懇ろに弔い、死者とのつながりを深めていくことではないでしょうか。そのために葬儀のあり方、お墓の形をしっかり考える必要があると思います。


皆さまに質問です。

「お墓って何ですか?」



生老病死を考える №751

 生老病死を考える

令和5年10月18日

生老病死(しょうろうびょうし)を四苦と言いますね。仏教では人が生まれて生きること、老いること、病むことそして死ぬことの四つを苦しみと捉えました。ま、生きることには喜びも楽しみもありますからすべてが苦とは言えませんが、生きることと捉えればやはり苦と言えるのかも知れません。

 先日、この生老病死を思っていて歌とも言えぬ言葉を思いつきました。「人はみな生まれて老いて病んで死ぬ諸行は無常命永遠」という言葉です。人はみな生まれた時から老いが始まります。その途中には病がつきものです。病気にならずに済む人はありません。そして最後はその病によって死んでいきます。

 上のことに当てはまらない人はいません。生物の宿命と言うべきでしょう。程度の差こそあっても人はみんな老いて病んで死んでいくのです。でもその私たちは無常の存在であることを考え合わせると、生老病死は1回ではなくなります。無常というのは変化し続けるということですから死の後も変化し続けることになります。

 その意味で思ったことが「命永遠」ということです。私たちは今生での肉体の命が終わってもなお変化し続けてまたいつの日か生まれ変わって人間として生きるに違いありません。無常とはそれを言うのだと思います。私たちの命は永遠の変化をしていく。変化せざるを得ない。それが無常なんだと思うのです。

 ご存知「修証義」の第1章総序は「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という言葉で始まりますね。そして「生死の中に仏あれば生死なし」と続きます。私はここに言う「仏」は無常と同意語だと思います。無常こそ真実。仏というのは無常そのものを言っているのだと思うのです。


 無常は瞬瞬刻々です。その無常の中には生も死もありません。生は生、死は死。ただ真実真理が存在するだけです。人間から見れば一瞬一瞬の変化に喜怒哀楽を思いますが、無常の仏から見れば変化の過程にしか過ぎません。「但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく涅槃として欣うべきもなし」なのです。


「この生死は、すなはち仏の御いのちなり」

       正法眼蔵「生死」


政治・メディアの責任 №750

 政治・メディアの責任

令和5年10月17日

たより前々号で最近痛切に思っていることとして「核のごみ」のことを書きましたが、その後改めて二つのことについて思うことがありました。一つは沖縄の普天間飛行場の辺野古への移設計画のこと、そしてもう一つはジャニー喜多川の性加害のことです。この二つのことで政治とメディアの責任を強く思ったのです。

 まず辺野古への移設のこと。9月に最高裁で沖縄県敗訴が確定するや国交相は4日までに埋め立て予定地の軟弱地盤の設計変更を承認するよう県に指示しました。しかし、玉城デニー知事は「期限までに承認することは不可能」と回答しました。これに対して国交相は翌5日、代執行に向けて福岡高裁那覇支部に提訴したのです。

 私はこれに強い怒りを感じてなりません。沖縄県知事の回答は解決を弄んでのことではありません。法を理解してなお法通りにはできない苦しみの結果なのです。その苦しみは玉城デニー知事一人ではありません。沖縄県民の苦しみなのです。その苦しみを一顧だにせず代執行提訴をする政府に怒りしかありません。

 もう一つのことはジャニー喜多川の性加害です。その性加害は何と40年以上、被害者は500人以上になると聞いてそのすさまじさおぞましさに身の毛がよだつが思いがしますが、ではどうしてそんなことが許されたのか、ではないでしょうか。なぜ長い年月多くの人への性加害がまかり通ったのか、ではないでしょうか。

 被害者救済委員会などの調査で明らかになってきたのは、性加害の事実を多くの人そしてNHK始め民放各局、新聞社などが知っていたという事実です。程度の差こそあれジャニー喜多川の性加害を周囲はむろんメディアも知っていながら見て見ぬふりをし続けてきたのです。犯罪を越える癒着があったとしか言いようがありません。


 沖縄のこと、そしてジャニー喜多川のこと、この二つに共通して言えることは当事者の悩み苦しみを無視しているということです。政府もメディアも当事者の悩み苦しみを全く思っていません。それで政治と言えるでしょうか。正しいメディアと言えるでしょうか。堕落ここに極まるという思いがしてなりません。


「公共放送が信じられなくなったら

 我々は何を信じたらよいのか分からなくなります」 

                <友人T君の嘆き>


人生の「勝ち組」 №749

 人生の「勝ち組」

令和5年10月10日

勝ち組負け組、という言葉がありましたね。元々は日本が敗戦した時、ブラジルに移民していた人が日本は戦争に勝ったという人と負けたという人の二つに分かれたことによっていますが、最近はこの言葉はもっぱら人生の勝ち負けを評して使うことが多くなりました。人生成功者は勝ち組、失敗者は負け組、という訳です。

 ちょっと以前のことになりますが、仁平寺様がこの勝ち組負け組のことを話して下さったことがありました。覚えておいでの方もあるかも知れません。仁平寺さんはその時、葬儀でどのように見送られるかでその人の人生における勝ち負けが判断されるように思うと言われたのです。

 話はこうでした。葬儀に立ち会っていると、ささやかな式ではあっても参列した人が一様にその人の死を悼み別れを惜しむ葬儀がある一方、沢山の人が参列し誠に盛大な葬儀でありながら死を悲しむ人は僅かしかおらず大半は義理儀礼的に参加しているに過ぎないという葬儀もあるというのです。

 いやまたなんでそんな話を思い出したかと言いますと、先達て仁平寺様のお母上様が亡くなってご葬儀があったからです。仁平寺様のご意向でむしろささやかなご葬儀でしたが、その式中、仁平寺様の小6になるお嬢さまがずっと泣き通しだったのです。特に最後のお別れ、お棺に花を入れるときは「おばあちゃん有難う」と号泣でした。

 私もそのお嬢さんの声に思わず涙をこぼさずにはいられませんでしたが、その時、私は仁平寺様がお話下さったこと、仁平寺様のお母上様は勝ち組の人生を送られたということをはっきりと実感したのです。自分の死を嘆き悲しんでくれる人がいるということがどんなに有難く得難いことかと思ったのです。


 近年、葬儀は儀式的になりつつあると思えてなりません。しかし、葬儀は悲しみを素直に表わすことが大切ではないでしょうか。それが亡き人のためではないでしょうか。この度の仁平寺様のお母上様のご葬儀でのお孫様の姿に私は葬儀の原点を教えられた気がしてなりませんでした。


皆の衆皆の衆 嬉しかったら

腹から笑え 悲しかったら 

泣けばよい



核のごみ №748

核のごみ

 令和5年10月8日

いま痛切に思っていることがあります。「核のごみ」です。先月27日、長崎県対馬市の

比田勝(ひだかつ)尚喜市長が原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物、いわゆる核のごみの最終処分場の候補地選定を巡り、この第一段階となる文献調査を受け入れない意向を表明したことです。

 比田勝市長は「市民の間で分断が起こっており市民の合意形成が十分でないと判断した」と言われましたが、その通りだと思います。この問題には住民の分断がつきものです。市議会は請願時に賛成10反対8と賛成が上回っていますから市長にとってはまさに苦渋の決断であったに違いありません。

 賛成派は市長の決断を「議会軽視だ。無責任だ」と言っているようですが、私は市長の決断を是としたいと思います。「市民やこれから育つ子どもたちの将来を考えた」という市長の言葉はその通りだと思われてなりません。核のごみは一刻で終る問題ではありません。対馬市民の生存を脅かすことさえあるかも知れないのです。

 比田勝市長は文献調査を受け入れた時の交付金については「ひとたび風評被害が生じれば20億円では代えられない」と言っていますが、これもその通りでありましょう。受け入れ派は文献調査時の交付金20億円に期待しているのでしょうが、島の産業である漁業や観光に風評被害が起こることを考えていないのでしょうか。

 核のごみのことを考えていてつくづく思うのは原発が如何に中途半端、人間の手に負えないものであるかということです。福島原発を見ての通り、事故原発の廃炉の目処もたっていません。汚染水は溜まり続けています。周辺の町や村が以前のように復興することも絶望的と言っていいでありましょう。


 ところが、岸田首相は原発の稼働延長ばかりか原発の新設さえしようとしています。ドイツは福島原発の事故を見て脱原発を決めました。着々と脱原発を進めています。この違いは一体何でしょうか。私たちはこの状況を傍観していてよいのでしょうか。岸田首相がしていることを許してよいのでしょうか。



「人間が天の火を盗んだーその火の近くに生命はない」  

     高木仁三郎


暗黒の恐怖政治 №747

 暗黒の恐怖政治

令和5年9月18日

陶芸家の友人、Tさんが手紙をくれました。その手紙に「1960年代に30億だった世界の人口がいまや80億人を越えてなお増加中という状況を考えると価値観も世界観も従来のものでは見切れないと思います。善悪も是非も離れて損得抜きで世界を見たい、考えたいと思っています」とありました。

 同感でした。この数十年の間に世界は人口問題だけでなく気象異変、貧困、飢餓、エネルギー、教育等、様々な問題が露わになりました。Tさんが言うように、従来の価値観ではこれらの問題を解決することは出来ません。昨年申し上げた孫の晴君ではありませんが「戦争なんかやってる場合じゃない」のです。

 しかし、いま世界の現実は民主主義国と独裁主義国に二分しつつあります。独裁主義国で行われているのは恐怖政治です。先日、戦争会社ワグネルのプリゴジンが飛行機墜落死しましたが、飛行機の墜落はプーチンの指示以外にないと言われています。ロシアは反政府活動家の抹殺や粛清を当然のようにする国なのです。

 一方、中国も目下、言論統制を強化して多くの若者を逮捕し拘留しています。ゼロコロナ政策に異議を唱えて白紙運動をした若者の中にはいまだに釈放されていない人がいると言います。その締めつけは半スパイ法の拡大や秘密警察等によって自国だけに留まらず日本など海外の留学生に対しても脅迫を繰り返しているというのです。

 上のような実態を知れば知るほどロシアや中国で行われているのはSDGsにはほど遠い暗黒の恐怖政治だと思われてなりません。中国は日本で活動する若者の親や兄弟を拘留してまで自由な活動を抑え込もうとしているそうです。習近平やプーチンは一体どんな野望に突き動かされているのでしょうか。


 思います。日本をロシアや中国のようにしてはなりません。かつては日本もいまの中国のような時代があったのです。そうならないために大切なことは人類共存への努力です。祈りです。宇宙船地球号に生存している人類は一蓮托生です。世界人類が助け合わなければ地球の未来はありません。


「私たちは自由のための活動をやめません。

 諦めません。」

    <中国人日本留学生>


般若心経の教え №746

 般若心経の教え

令和5年9月17日

ご存知、般若心経はその冒頭で観世音菩薩が深般若を行じていた時に五蘊皆空を悟って一切の苦厄から離れることができたとありますね。そして釈迦十大弟子の一人、智慧第一と言われた舎利子(シャーリプトラ)に「色即是空・空即是色」を教えるという構成になっています。

 般若心経の眼目はこの「色即是空・空即是色」であることはもちろんでありましょうが、難しいのは「空」の解釈ではないかと思います。。ものの本を読むと、形あるものは実体がないなどと書かれていますが、「目の前にあるものには実体がない」という説明に皆さますんなり納得できるでしょうか。

 以前申し上げたことがありますが、私はこの空を考えていて、空即是色をAとし、諸行(色)即無常をBとすれば、三段論法で「空即無常」と言えると思ったのです。そして、空=無常とすると、納得いく説明がつくように思ったのです。無常とは一瞬も留まらず変化し続けるということなら、そこには実体がないとも思えてきます。

 無常は止まったら無常ではなくなってしまいます。無始無終、永遠の変化を続けるという存在には生滅も垢浄も増減もありません。縁に従って変化をしていくというだけです。般若心経にいう色を私たち人間と思えば私たちの生死は変化の一過程に過ぎません。感じること思うこと考えること行うことも変化でしかありません。

 しかし、今日私が思ったことは「だからどうなんだ」なんです。この私たち人間を含めた一切のものは無常の存在だとしても「じゃ、それでどうなんだ」になりませんか。その答えが後半にある「菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無  」(菩薩は般若波羅蜜多に依るがゆえに心にわだかまりがない)だと思ったのです。


般若心経が真に私たちに教えたいことは上のこと。六波羅蜜に代表される修行を実践しなさいということではないでしょうか。お釈迦さまは今わの際にも自分が死んだ後には戒律を守って生きなさいと言われました。心経は私たちに戒を守って生きることの大切さを教えているのではないでしょうか。


我が滅後に於いて当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。


此れは是汝等が大師なり <仏垂般涅槃略説教誡経>

続「あんたはえらい!」 №745

続「あんたはえらい!」

 令和5年9月9日

養護学校に勤務していた時に同僚だったT先生がいます。私より二つ三つお若い女性です。T先生もすでに仕事は辞められましたが、退職後もかつての教え子さんたちの相談に乗ったり民生委員をしたり憲法9条を守る活動をしたりと忙しい日を過ごされていて話を伺う度に頭の下がる思いをしています。

 いつでしたか、そのT先生を評して「あんたはえらい!」と申し上げたことがあったと思いますが、今日はその続きのお話です。実は5月に頂いた手紙にT先生がお住まいの地域の老人会長を引き受けたとあったのです。老人会のもめごとに関わっているうちに受け手のない会長を引き受ける羽目になったということでした。

 その話を聴いた時、私はよくもまあお引き受けになったものだと思いました。苦労することが分かっている老人会長を進んで引き受ける人なんてまずいないでしょう。苦労を承知で引き受けられたことにT先生だからこそ引き受けられたのだろうと敬服し、頭の下がる思いを禁じ得ませんでした。

 今日の話はその後のことです。8月半ば、4年ぶりに地域の夏祭りが行われることになってT先生の老人会(あかね会)に盆踊りの依頼があったのだそうです。えらいなと思ったのはその時のT先生の対応です。とっさに3年前に元気よく踊っていた方を思い出してその方に援助を“直訴”されたのだそうです。

 T先生の熱意にほだされたのでしょう。その方は快く承諾して友だちを連れて練習日に来てくれて集まった8人が定番と言われる5曲をマスター。盆踊りは老若男女で盛り上がって久しぶりに楽しい夏まつりを行うことができたのだそうです。T先生の熱意がなければできなかったことでありましょう。「あんたはえらい!」です。


 前号のこのたよりで人知れずの働きほど尊いものはないと申し上げました。この度のT先生のように苦労を苦労とも思わず、というのははたやすくできることではありません。盆踊り最後の曲が「チャンチキおけさ」だったそうですが、恐らく皆さん、「知らぬ同士が小皿叩いて」踊ってくれたことでありましょう。


身と心おけさに託して盆踊り


有難う、車さん №744

 有難う、車さん

令和5年9月5日

秋暑き汽車に必死の子守歌   中村汀女

 上の句は暑苦しい汽車の中で泣く子をなだめようと必死に子守歌を歌うお母さんを詠んだのでしょうか。いやはやこの夏も暑かったですね。残暑はまだ続いていますが夏の暑さは年々酷くなっているように思えてなりません。

 そんなある日、車を走らせていてふと思ったのが「有難う、車さん」でした。炎天の真、熱せられた道を車はものも言わずに走ってくれます。タイヤにはそれこそ灼けるほどの熱がかかっているに違いありません。それを思うとこの自分の代わりに灼ける道を走ってくれる車に思わず「有難う」と言わざるを得なかったのです。

 なぜそう思ったか。実は私は灼ける道を走る車のタイヤと同じような体験をしたことがあるからです。もう20年以上も前、四国お遍路に行った時のことです。7月下旬の暑さ真っ盛りの時、行けども行けどもの国道を歩いていて靴底から伝わる熱さに耐えきれない思いをしたことがあるのです。

 その時の靴は分厚い底の頑丈なものでした。しかし、コンクリートの道を歩けば熱せられた道の熱が否応なく靴底を通して伝わってきます。それは並み大抵ではありませんでした。耐えきれずに靴を脱いで道路際にへたり込むことを何度繰り返したか分かりません。今なお忘れることができないほどの苦痛を味わったのです。

 考えれば車の有難さは夏だけではありません。冬には夏とは反対に凍てつく道を走らなければなりません。凍てつくという言葉通り、氷のように冷たい道を走らなければなりません。雪の道もありましょう。氷の道もありましょう。その道を自分に代わって走ってくれるのです。有難いとしか言えません。


 思いました。私たちのこの世界はこの車のような人があって成り立っているのです。縁の下の力持ち、誰にも知られず黙々と働く人たちがいてくれるからこそこの人間世界が成り立っているのです。私たちは車の有難さを知らなければなりません。そして私たちも車に倣って黙々と世の為を心掛けなければなりません。


花を支える枝 枝を支える幹

幹を支える根 根は見えねんだなあ

       <相田みつを>