「人類共存元年」 №615

 「人類共存元年」

令和3年1月1日

 令和3年。新しい年になりました。昨年一年を振り返るとその一番はコロナですね。この思いは皆さまも同じでありましょう。昨年早々、感染者が出始めて以来コロナのニュースがない日はありませんでした。しかし、収束してほしいという願いをよそにコロナは変異しつつ感染者が増え続けています。今年もその状態が続くのでしょうか。

 私がこのコロナについて思ったこと。というよりコロナに学んだことが二つあります。その一つは共存。そしてもう一つは祈り、ということです。私はこの二つのことを5歳の孫娘に教えられました。人類はもとより地球上の全生物は共存しなければならないこと、そしてもう一つ、私たち人間は祈りの存在であることを教えられたのです。

 コロナが蔓延し始めた時、私たちはこのコロナウイルスの絶滅を望んだと思います。しかしそれが不可能であることを知ってからはコロナに感染しないことを願いました。突然のように現れたアマビエがその象徴でしょう。コロナが収束しますように、そしてコロナに感染しませんようにと祈った方も多いと思います。

 無理もありません。ウイルスは人間が絶滅させられるものではありません。人類は洋の東西を問わず歴史上何度もウイルスや細菌による疫病の蔓延に悩まされてきました。人間の力が及ばない自然の脅威に対しては祈るしかないのです。コロナウイルスも地球に存在する権利を持っている以上共存するしかないのです。

 私は今回のコロナはそのことを教えてくれたと思います。コロナは全生物の共存ということを人間に改めて教えるために現れたのだと思われてなりません。まずは私たち人間同士です。世界は未だ平和を達成し得ていません。民族や宗教や文化の違いが互いの相克を生み、その相克が争いとなって多くの命が奪われています。

 新しい年初め、私は皆さんに今年が「人類共存元年」になることを呼び掛けたいと思います。いま地球人類は覇権や軍拡を争っている時ではありません。この宇宙船地球号に孫ひ孫たちが安心して暮らしていけるよう人類の共存を実現しなければなりません。互いに違いを知る。それが共存の第一歩です。


共生は難しい。でも共存は出来る。

努力すればできる。

 

 

 

この一年 №614

 この一年

 令和2年12月31日

 令和2年も今日が大晦日。今年も一年が終わりました。この一年を振り返ると様々なことが思い出されます。収束どころか一層蔓延のコロナは申すまでもなく色々なことがありました。近年毎年のように繰り返される豪雨によって今年も多くの命が奪われました。特に熊本県では球磨川水系の氾濫決壊によって65名もの方が犠牲になりました。

 その一方で切ない事件も相次ぎました。分けて胸が痛むのは今年も育児放棄や虐待によって亡くなる幼い子がいたことです。食べるものも水さえもなくて一人死んでいった子どもを思うといたたまらない気持ちになります。親に見捨てられ虐待されて死んでいった子に救いはあるのだろうかと思われてならなかったのです。

 ドイツの人智学者シュタイナーは人は自分の一生を予定して親を選んで生まれてくると言っていますが親に虐待されて死んでいった子にもそれが当てはまるのか考えあぐんでおりましたが、以前一緒に人智学を学んだKさんから「虐待死させられた子どもの方が宇宙の進化に深く関わっているかも知れないと感じます」と手紙を頂きました。

 Kさんは「(子どもは)ある意味では親の虐待を許しているかも」と言われます。子どもが虐待死させられることを計画したかどうかは分からないけれどその根底には「生れようという意思」があると言われるのです。私はこのKさんの「生れようとする意思」という言葉に大きな示唆を頂きました。虐待死させられた子もやはり計画した人生であったろうと。

 私が養護学校教員をしていた時確信したことがありました。障害児は障害を持って生きることを望んで生まれた、ということです。それを敷衍すれば虐待されて死ぬ子どももやはりそれを自らに課して生まれてきたに違いないと思われるのです。Kさんはその子どもたちは私たちより「ずっとヒエラルキーが高いのでは」と言われます。

 シュタイナーの言うように人は自分の一生を予定して生まれてくるといいうことがすべての人に言えるならば虐待死させられた子にも救いがあります。というより、その体験によって人間に光を与えようと意図した崇高な魂には次生での偉大な働きを期待して賛美が送られるべきでありましょう。瞑目珍重。

「自然には何らかの意図があり、

 それを人間に託しているのではないか」

        <Kさんの言葉>