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祈りということ №763

祈りということ

令和6年2月3日

 この地球上には多くの生き物が存在していますね。中にはコロナウイルスのように生物の範疇には入らないものもありますが、ともあれ生物はそれぞれ特有の不思議な力を持っています。分けて人間は「万物の霊長」と言われるほど霊妙不思議な力を持っていると言います。人知を超えた不思議な力を持っているというのです。

 私たち人間が人知でははかり知ることができない力を持っているというのは矛盾しているようにも思いますが、私は霊妙の「霊」にその意味が隠されていると思います。霊という字は「神秘的な力」を表わしていますが、一義的には「たましい」という意味を持っています。霊妙というのは魂の力を言っているのではないでしょうか。

 そう考えると霊妙というのは魂が持っている力、その端的なもの、すなわち祈りではないかと思うのです。前にも申し上げたことがあると思いますが、厳密に言えば祈願と祈祷とは違います。祈願は願いが主であり祈祷は祈りですが、いまではこのどちらも厳密に区別されることなく使われていることが多いように思います。

 前置きが長くなりましたが、私は人間は祈りの存在だと思っています。人間以外の動物たちも魂は持っていますが祈りはどうでしょうか。私は人間以外の動物は祈りは持っていないのではないかと思います。人間は世界の平和を祈りますが、イヌやネコはイヌ世界ネコ世界の平和を祈ることはないだろうと思うのです。

  太陽上東祈   太陽さん東に上がって下さい

  河川下海祈   川さん海に流れて下さい

  是自然摂理   祈りとは自然の摂理と

  祈宇宙同化   宇宙の真理に同化すること

 星祭は私たちの一年一年が自然の摂理に叶い宇宙の真理に同化しようとする祈りだと思います。私たちが生きること、生きていくことはその祈りの中になければなりません。太陽が毎朝東に上がり川のすべてが海に向かって流れるように自然の摂理に叶ったものでなければなりません。それこそが天命なのです。


皆さま、今年も星祭有難うございます。

どうぞ今年も元気にお過ごし下さい。


人生は砂漠の旅 №715

 人生は砂漠の旅

令和5年2月3日

もう50年も前のことです。バーミアンの石窟大仏を見たくてアフガニスタンを訪れたことがありました。アフガニスタンは砂漠ではありませんが、面積で言えば日本の1.7倍もあるその国土の多くは乾燥した不毛の土地と言ってよいのではないでしょうか。もちろん農業ができる場所もありますが、その場所は限られています。

 アフガニスタンには鉄道がありませんから移動はバスに頼るしかありません。私も何回か首都カブールからバスに乗って地方都市に行きましたが、窓の外に見えるのは草も碌にない赤茶けた土地ばかりでした。バスがなかったころはラクダを連れた隊商がオアシスのある町から町へと荷物を運ぶ旅をしていたのでありましょう。

 今ではもう時代的に隊商(キャラバン)はなくなっているのでしょうが、私はそのアフガニスタンの旅で一度だけ小さなキャラバンに出会ったことがあります。マザリシャリフ近くの小さな村にあるモスクを見に行った帰り、夕日に向かって歩む数頭のラクダを連れた隊商がいたのです。丘の道を黒いシルエットになって去って行くラクダを私は茫然と見送りました。

     征絲綢之路隊商    シルクロードのキャラバンは

     憩砂漠中緑水場    砂漠の中のオアシスに憩う

     人生相似熱砂旅    人生もまさにそれだね

     苦楽存観音妙光    苦楽は観音さまの中にあり

 思えば私たちの人生の旅はまさにキャラバンではないでしょうか。キャラバンを一家とすれば、その一家が夏は暑く冬は寒い砂漠を一歩一歩オアシスを目指して歩み、そのオアシスでしばしの憩いを取った後、また次のオアシスを目指して旅を続けていく。私たちの人生はオアシスからオアシスへの旅そのものではないでしょうか。


 私が皆さんのお話を聴いていて思うのは、何の悩みも苦しみもないという人はいないということです。生老病死。生きていくこと自体が大きな悩み苦しみと言えます。しかし、その悩み苦しみの中にも必ずオアシス、憩いの場があります。それを信じて毎日を一生懸命頑張る、それが人生だと思えてなりません。


皆さま今年も星祭り有難うございます。

どうぞまたこの一年お元気にお過ごし下さいますよう

リズムに生きる №666

リズムに生きる

令和4年2月3日 

皆さん、バイオリズムはご存知ですよね。生物体内に生じる一定の周期を持った変化を総称して言いますが、このバイオリズムには24時間を一周期とする概日リズムのほか、これより長いもの短いものがあります。いずれにしてもその人にあった生体リズムを生活に適合させることがエネルギー代謝を順調に働かせ健康を維持するうえで大切になります。

 上のバイオリズムは人間だけでなくすべての生物が持っていると言われます。昆虫や動物を使った実験では光が目や視床を通して神経系へ深く関わり、個体を維持するリズムだけでなく生殖のリズムにも影響を与えることが知られていると言います。ということは、私たちは自分が生きているというよりリズムに生かされていると言うべきではないでしょうか。

 そう考えると、リズムは生物だけではないように思います。太陽や地球の日毎月毎の運行。月の満ち欠け。これら天体の運行もまたリズムによっているとしか思えません。人間から見れば永遠のリズムを乱れることなく繰り返してこの宇宙の安定が保たれているのだと思います。宇宙の安定と秩序はリズムによって保たれているに違いありません。

 前置きが長くなりましたが今日の星祭。私はこの星祭は宇宙のリズムに合体することを意図した行事だと思います。私たち人間が平穏無事に過ごすために大切なことは宇宙のリズムに合体することです。宇宙のリズムに逆らうことは自分の生体のリズムに逆らうことです。そこには健康も無事平穏もありません。苦しみと悩みがあるばかりです。

    各々生物有律搖     リズムに生きる人間の

    日々良否律動潮     日々のよしあし司る

    天運天命従星供     星の祭りに願いを託し

    求福除災祈順調     平穏無事を祈ります

 上は今日の星祭の法語です。私たちはこの星祭を通して私たち自身がリズムによって生きている存在であることを改めて思うべきだと思います。自分が生きているのではなく自分が生かされているということに思いを致すべきだと思います。川の流れに身を託すように生体のリズム、人生のリズムに生きることが大切だと思います。

 

ああ 川の流れのように おだやかに 

この身をまかせていたい

   秋元 康「川の流れのように」

 

祈りの戦争 №620

 祈りの戦争

 令和3年2月17日

  星祭が今年もどうにかできました。お札をお申し込み下さった皆様に厚く御礼申し上げます。ぶっちゃけた話で恐縮ながら星祭のお世話人をして下さっている方の中には「星祭がないと観音寺はやって行かれないのよ」とお勧め下さっている方がお出でですが、星祭が寺の貴重な運営財源になっていることは事実なのです。

 そんな大事な星祭ですからむろんいい加減な気持ちでできるものではありませんが、私にとっては星祭の準備開始から当日、そして2月一杯は祈りの戦争と申し上げて過言ではないと思っています。戦争という言い方には語弊もありますが少しも気を抜くことができないという意味においてはまさに戦争なのです。

 私は以前から星祭の準備の始まる11月半ばから2月一杯までの3ヵ月余りを「星祭100日戦争」と思っています。1117日にお世話人様にお帳面をお渡しして後、2月末までの100日間が星祭を実施するための祈りの戦争だと思っているのです。正直この期間に「のんびり」という気持ちのゆとりはありません。祈りに直面する日々になります。

 その祈りを一番思うのはお札の名前書きでありましょう。例年1月初めからお札書きをしておりますが、お詣りの方で中断されないようお札書きは早朝にしています。お顔を知っている方ならそのお顔を思い浮かべながら、知らない人であれば想像しながら、小さい子であれば名前と歳を思いながら一年の健康をお祈りするのです。

 お祈りと言えばもう一つ。1月下旬、お札が大半書きあがった時に観音さまにお申込み頂いた方全員のお名前を読み上げて観音さまのお加護頂戴を祈っています。この1年、皆さまが観音さまのご加護によって健康に幸せに過ごすことができるようにとお祈りをするのです。私にとっては欠くことの出来ない祈りなのです。


 私は星祭を自分の修行だと思っています。祈りの寺を公言する観音寺であれば私は祈りを自らの修行にしなければなりません。「人生は祈り」と思う私にとって星祭の祈りは有難い修行です。この観音寺で皆さまの健康と幸せを祈る星祭ができることは誠に有難いことであります。珍重万歳。

    
  斃れて後已む

 

 

人類共存のために №618

 人類共存のために

令和3年2月3日

 コロナの感染拡大が止まりません。東京はなお1000人台の感染者が出ていますし、大都市を抱えるその他の府県でも毎日「最多」が繰り返されています。この山口県そして下関市でも感染者がいないという日はなくなっています。このままでは昨年同様どころか昨年以上に蔓延が続くのではないかと懸念されている方も多いでありましょう。

    周章狼狽疫病年     コロナ一向収まらず

    右往左往慨嘆天     どうなることかと嘆くだけ

    但如常行雲流水     なれどゆく雲ゆく水から見れば

    人類微粒子同然     人間ウイルス同じもの

 上の星祭法語は冒頭に述べた収まらないコロナを嘆くだけの私たち人間のあり様を思って作りました。私がコロナに学んだことの一つが「祈り」であることは申し上げましたが、ワクチン接種が始まったとは言え、それがいつどの程度に効果を表わすかと考えるとともかくコロナの収束を祈り続けるしかないというのが人間でありましょう。

 上の法語でウイルスを事典にあった「微粒子」という語にしましたが、はっきりしていることはウイルスが病原性を持っていることであり、無生物か生物かも曖昧な存在であるとなるとウイルス(ラテン語で毒の意味)と言うしかないのでありましょう。となると、私たちはこの得体のしれないウイルスと共存するしかないのだと思います。

 私はコロナの共存の教えを世界人類が学ぶべきだと思います。コロナとの共存を人類の共存にすべきだと思います。コロナウイルスが地球に存在しているということは存在理由があるからに違いありません。人類も同じです。民族が違ってもそれぞれ同じように存在理由を持って存在していることは間違いありません。

 コロナとの共存のためには私たちが感染しない手立てを取らなければなりませんが、人類の共存のために私たちはどんな手立てを取ればよいでしょうか。この手立てを皆さんに考えて頂きたいのです。家族親戚知人という卑近な例から考えて下さってもよいと思います。世界人類平和のために是非皆さまお知恵を下さい。

  

禍を転じて福となす