腰痛顛末記 №420


腰痛顛末記

平成29年2月16日


正月早々私がインフルエンザに罹り、たくさんの方にご心配とお助けを頂いたことを前号に申し上げましたが、実はその続きの話があります。それが表題の腰痛。実のところ、まだそれを引きずっているのですが、これは皆さまもご用心頂きたいことと思い、敢えてその顛末をお知らせしたいと思います。

 インフルエンザが治った頃のことです。それまで時たま感じていたぎっくり腰のような痛みを始終感じるようになり、やがて起床時に激しい痛みで起き上がることが困難になったのです。仕方なく十日ほど後、整形外科に行ったのですが、診断は単なる腰痛ということで痛み止めの内服薬でおしまいでした。

 しかし、その後も状態は変わらず、星祭直前、紹介されて改めて別の整形外科を訪れたところ「圧迫骨折」が判明したのです。骨密度は骨粗鬆症寸前。そのために圧迫骨折が生じたというのです。骨は丈夫と信じ切っていた私にはまさかの診断でした。圧迫骨折というのは本人が気づかないままなることも多いのだそうです。

 この治療は骨折部位をコルセットで固定して骨が回復するのを待つしかないとのこと。で、診断の一週間後から私はほとんど一日中コルセット着用ということになりました。今はただ早く骨折が治ってくれることを願うばかりですが、これはすぐというわけにはいきません。コルセットは三か月ほど着けなければならないそうです。

 私がこの圧迫骨折になって痛感させられたことは食事です。考えると、私のこの数年の食事は骨粗鬆症を引き起こす食事であったという気がします。日常しばしば食事を作る時間も気力もままならぬことを言い訳に、自称「命の水」が先になる生活ではそのツケが体のどこかに現れて不思議ではなかったのです。         

 皆さまの中に上のことに同感されるお方があるかも知れません。どうぞそのお方はこの私の轍をお踏みにならぬようご留意をお願いいたします。日頃、食の大切さを口にしながら自らこの事態に至ったことを恥ずかしく反省せざるを得ません。ご心配頂いた皆さまに心より厚く御礼申し上げます。


     人生三つの坂。
          上り坂。下り坂。まさか!


立春大吉 №419

立春大吉
平成29年2月4日

 昨日節分今日立春。月の満ち欠けでいつも申し上げていることですが、満月や上弦下弦には「その瞬間」があると同様、今日立春もやはり天文学的なことですから立春という瞬間があるのですね。ですからそれで言えば、今日4日真夜中、午前0時34分が今年の立春の瞬間でした。ものはすべて一時も止まらず移り変わるということです。

    厳寒極地浴陽光     日温かく地にそそぎ

    草木虫魚想春望     草木も虫も春を待つ

    万物一転変化時     すべてのものが変わる今

    立春大吉大吉祥     今日よき日なり立春大吉

 禅家ではこの立春を「立春大吉」と祝います。無論そこには春が来たという喜びの気持ちと同時にすべてのものが花を開くいう期待を思うからでしょう。実を言えば立春はまだ冬です。冬が極まったとは言え寒さはまだ続きます。しかし、その寒さの中に確実に春が顔を覗かせます。その第一日が立春なのです。 

 24節気では立春の後、今年は2月18日が「雨水(うすい)」、3月5日が「啓蟄(けいちつ)」となりますが、雨水は雪が雨に変わり水温むということですし、啓蟄は冬籠りしていた虫たちが地上に這い出して来るという意味で、ともに春が進む時を指しています。風は冷たくても日の光が春を感じさせてくれる「光の春」なのですね。

 話変わって私事で恐縮ですが、私、今年は正月早々インフルエンザでとんだ年明けになりました。数日はほとんど動けずという状態でしたが、それを知った皆さまから用事の代行、食事の差し入れ、励ましのお言葉など身に余るご心配とお助けを頂きました。只々有難く厚く御礼申し上げます。本当に有難うございました。


            <歳末助け合い募金御礼>
 ご報告が遅れて申し訳ありません。年末お願いいたしました助け合い募金4310円になりました。寺分と合わせ14310円を昨年12月26日、毎日新聞西部社会事業団に寄託いたしました。ご報告並びに御礼申し上げます。有難うございました。



万燈のまたゝき合ひて春立てり
             ~沢木欣一~

また「己事究明」 №418

また「己事究明」
平成29年2月3日

 ボランティア仕事時代の友人Tさんが下さった賀状に「昨年満八十歳を迎えました。年相応に体力、気力、記憶力の衰えを自覚しています」とありました。数年前、このTさんが下さった賀状に「いよいよ私も後期高齢者の仲間入りです」と書かれてあったのを覚えていますが、それは今回も同様、「え、Tさんもうそんな?」という思いなのです。

 Tさんは多年、野鳥の会に所属して鳥のことは知らないことがなく、山作業の休憩中によく鳥の鳴き声を教えて頂きました。「ジュウイチ」を教えて貰った時は感銘でした。鳥の鳴き声を言葉で表すことを聴きなしと言いますが、確かにこのジュウイチの鳴き声は、ジュウイチと聞こえるのです。Tさんは身のこなしも軽く当時から年齢を全く感じさせないお方でした。

 いやまたのっけから何でこんな話かと申しますのは、私自身が今年数えで後期高齢者ということになって改めて過ぎし時を思い、自分はどれだけ己事究明、すなわち自分を知り得たのかと忸怩たる思いを拭いきれないからです。仏教の目指すところは己事究明だと思います。自己を究めるというのは、人間を究めることに他なりません。

 そのように考えると、私は人間の一生は己事究明に尽きると思います。上のTさんは野鳥の研究によって自分自身を探求され多くの人生の気づきを得られたに違いありません。何であれ他をよく知るということが自然の摂理、宇宙の真理に繋がっていくのでありましょう。それが結局自分を知ることになるのです。

 そのように考えた時、私はこれから先、残された時間の中でどのくらいそれに近づけるのかと思います。願うところは一つでも多くの気づきを得たいということです。そして、同じことを私はこの星祭に縁のある若い人たちにお願いして止みません。星祭はお札を頂いて終わりではありません。それからが始まりなのです。

 皆さん、星祭はお札を頂いて後、自分がその一年をどのように過ごすかという見張り役でもあるのです。自分という存在は一瞬一瞬にしかありません。その一瞬の積み重ねが年月になり、その人の人生になるのです。毎年の星祭はその一瞬の命を気づくためにある有難い機会なのです。


皆さま、今年も星祭有難うございます。
 どうぞ今年も天命成就にご精進下さい