涅槃会の日に №619

 涅槃会の日に

令和3年2月15日

 今日215日は涅槃会。お釈迦さまが亡くなった日です。お釈迦さまは29歳の時、住んでいたカピラ城を出て修行生活に入られ35歳の時悟りを得られました。以来45年間に渡って人々を教え導かれ80歳で亡くなりました。お釈迦さまはその時、懐かしい故郷カピラ城に帰る途中であったと言います。

 お釈迦さまはクシナガラという町に滞在中にチュンダという鍛冶屋が差し上げた食べ物によって体を壊されて亡くなったと伝えられています。いまはどうなっているか知りませんが、私がこのクシナガラを訪れた何十年か前にはお釈迦さまの荼毘をしたという場所に人が登れるほど高く長い土の山がありました。

 お釈迦さまの死には言い伝えられていることがあります。お釈迦さまは百年の寿命を持っておられたがそのうちの20年を後世の私たちに下さったというのです。この言い伝えの通りならば90歳まで生きた人の20年はお釈迦さまに頂いた20年ということになりますね。皆さんはこの話をどう思われますか。

 私は上の話の本当の意味がまだ分からずにいますが一つ思うことがあります。それはお釈迦さまの教えに従うものは人生の晩年20年は教えの意味しっかり考えて生きなさいということではないかということです。お釈迦さまが死の床にあって最後の力を振り絞って教えて下さった遺教経に次のような一節があります。

 「(なんだ)()比丘、悲悩を懐くことなかれ。若し我世に住すること一劫(いっこう)するとも會うものは亦當に滅すべし。會うて離れざること(つい)に得べからず」と。そして、これと同じ言葉がこのすぐ後に「世はみ皆無常なり。會うものは必ず離るること有り。憂悩(うのう)を懐くこと勿れ」と繰り返されています。

 お釈迦さまは最後まで世の無常をおっしゃりたかったのでしょう。

 この世のすべては無常。人間も例外ではありません。人はみなその無常に従って命を終えます。それを悲しんではいけない。苦しんではいけない。ただ一心にお釈迦さまの教えを実践していけば永遠の教えのなかに生きることができるというのがお釈迦さまの最後の教えでありました。更に参究。


            諸行無常

人類共存のために №618

 人類共存のために

令和3年2月3日

 コロナの感染拡大が止まりません。東京はなお1000人台の感染者が出ていますし、大都市を抱えるその他の府県でも毎日「最多」が繰り返されています。この山口県そして下関市でも感染者がいないという日はなくなっています。このままでは昨年同様どころか昨年以上に蔓延が続くのではないかと懸念されている方も多いでありましょう。

    周章狼狽疫病年     コロナ一向収まらず

    右往左往慨嘆天     どうなることかと嘆くだけ

    但如常行雲流水     なれどゆく雲ゆく水から見れば

    人類微粒子同然     人間ウイルス同じもの

 上の星祭法語は冒頭に述べた収まらないコロナを嘆くだけの私たち人間のあり様を思って作りました。私がコロナに学んだことの一つが「祈り」であることは申し上げましたが、ワクチン接種が始まったとは言え、それがいつどの程度に効果を表わすかと考えるとともかくコロナの収束を祈り続けるしかないというのが人間でありましょう。

 上の法語でウイルスを事典にあった「微粒子」という語にしましたが、はっきりしていることはウイルスが病原性を持っていることであり、無生物か生物かも曖昧な存在であるとなるとウイルス(ラテン語で毒の意味)と言うしかないのでありましょう。となると、私たちはこの得体のしれないウイルスと共存するしかないのだと思います。

 私はコロナの共存の教えを世界人類が学ぶべきだと思います。コロナとの共存を人類の共存にすべきだと思います。コロナウイルスが地球に存在しているということは存在理由があるからに違いありません。人類も同じです。民族が違ってもそれぞれ同じように存在理由を持って存在していることは間違いありません。

 コロナとの共存のためには私たちが感染しない手立てを取らなければなりませんが、人類の共存のために私たちはどんな手立てを取ればよいでしょうか。この手立てを皆さんに考えて頂きたいのです。家族親戚知人という卑近な例から考えて下さってもよいと思います。世界人類平和のために是非皆さまお知恵を下さい。

  

禍を転じて福となす