星祭、その今日的意味 №37

平成22年2月3日

星祭、その今日的意味

     大いなるみ仏の手に遊びいて星に願いの祈りをぞ知る

 私たちが人間として生まれ、この世に存在しているということは仏様の手の中に生きているということです。それは意識するしないに関わらず初めから仏様に救われているのだと言えます。 時には悲哀を感じ時には苦しみや困難に直面せざるを得ないのが人生ですが、悲しみも苦しみも実は恩寵としてあるに違いありません。

 私たちの人生は航海に例えることができます。私たちが日本からハワイに向かう大きな船に乗るとします。日本を出れば船は一路南下するでしょう。私が甲板を北へ歩こうが西へ歩こうが船は南のハワイに向かうのです。人生はこれと全く同じと言えないでしょうか。私たちは仏様の手という船に乗って人生の旅を続けるのです。自分で生きていると思いながら実は生かされているというのが真実ではないでしょうか。

 この五十年、私たちが失ってきた最も大切なことは私たちを生かしている大いなる存在に対する畏敬の念であると思えてなりません。私たちが自然とともに生きていた時代には私たちは自然の恵みと脅威を身を持って感じ敬虔な祈りを忘れませんでした。それは同時に自分たちを生かしている大きな力に対する祈りであったのです。生きていること、生かされていることに感謝を忘れなかったのです。

 星祭の「星」とは私たちを生かしている大いなる存在です。「祭」とはその大いなる存在に対する敬虔な祈りです。星祭の意味はここにあります。いまここに自分が生きていることに感謝し自分を生かしている大きな力に祈ること。それが星祭の真実なのです。私たちは自分の力で生きているのではない。恩寵によって生かされている。年に一度、思いを新たにその恩寵に感謝しその一年を明るく有意義に過ごさせて頂けるよう祈りを捧げること。それが星祭の目的なのです。



            生きてあることに感謝し
    大いなる存在に祈る。
                                                それが星祭です。

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