原発再稼働を憂える №702

 原発再稼働を憂える

令和4年10月18日

 先日106日の毎日新聞に経産省が現在は原則40年になっている原発の運転期間の延長を可能にするための法改正方針を原子力規制委員会に示したという記事がありました。委員から大きな異論はなく運転期間の上限の延長を事実上容認する形になったと言います。また一つ原発依存に傾くことに憂慮を覚えてなりません。

 政府は先に脱炭素化を理由に原発の再稼働のみならず新設までをも進めることを明らかにしていますが、どうして脱原発に向かわないのでしょうか。福島事故の恐怖を忘れたのでしょうか。福島事故を正しく理解しているのでしょうか。事故被害を被った人たちのことをどう思っているのでしょうか。怒りが込み上げてきます。

一ヵ月ほど前、これも毎日新聞に避難指示が解除された双葉町に戻った男性が政府の原発再稼働促進に対して「もしもまた原発事故が起きた時国はどう責任を取るのか」とこぼしたと載せられていました。全くです。政府が言う脱炭素化は再稼働のための言い訳に過ぎません。福島事故の重大性を認識していないと言わざるを得ません。

 福島事故は11年以上たった今なお終わっていないのです。溜まり続けた処理水は海に流すと言っていますが漁民は反対しています。放流は安全と言うならなぜ今までしなかったのか疑問です。すれば風評被害は避けられないでありましょう。燃料デブリを取り出すことも出来ていません。係争中の補償費用等は天井知らずです。

 原発はいま世界中が未来の課題にしているSDGsに反するものです。SDGsは「持続可能な開発目標」と訳されていますが、Ssustainable)の第一の意味は「地球環境を破壊しない(に優しい)」です。原発はひとたび事故を起こせば人類の生存を脅かす大惨事になってしまうのです。私たちは福島原発事故を忘れてばならないのです。


 以前、このたよりで紹介した核化学者、高木仁三郎さんは亡くなる直前「後に残る人々が歴史を見通す透徹した知力と大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願って止みません」とメッセージを残されています。いまその決断あるのみです。


「人間が天の火を盗んだ。

その火の近くに生命はない。」

         <高木仁三郎>


「老い支度」考 №701

 「老い支度」考

令和4年10月17日

 皆さんは「老い支度」という言葉に馴染みがありますか。いえまた何でこんな話かと言いますと、「就活」をもじった「終活」という言葉、今では普通に使われるようになりましたが、私はこの「終活」こそ「老い支度」だと思うのです。「終活」という言葉に皆さんどんなイメージをお持ちかと思いますが、人生百年時代であればあるほど「老い支度」が必要と思うのです。

 そう思ってネットを見ていましたら大沼恵美子さんという方が「おひとり様の老い支度7つのポイント」というのを書いておられました。大沼さんは7つのポイントに先だってまず「自立」と「よりよい人間関係」を挙げておいでですが、それに基づいて大沼さんが提唱される7つのポイントをご紹介いたしましょう。

 その1は「老後資金」。老後の生活費は現役時代の80%(男性は100%)が必要と言います。その2は「健康管理」。これは当然ですね。大沼さんはお金以上に重要と言います。その3は「近所づきあい」。大沼さんは買い物代行やおすそ分けなどして普段から近所同士が助け合う関係をつくっておくことが大切と言います。

 その4は「(つい)の棲家」です。50歳代からは「誰とどこに住むかという視点で人間関係を見つめることも必要」だそうです。その5は「金銭管理」。高齢になればなるほど難しくなるのがお金のこと。認知症の心配もありますね。ご心配の方の対策の一つに「任意後見制度」というのもあるそうです。

 その6は「エンディングノート」、万一に備えて終末医療をどうするか。葬儀のスタイルをどうするか等を明確にしておくことです。最後7番目は「身辺整理」。70過ぎたら物だけでなく人間関係も断捨離しようという提案です。大沼さんは「所詮人はひとり」と言われます。皆さんはどのようにお考えでしょうか。

           <ウクライナ・アフガニスタンの子ども支援御礼>


 ウクライナ・アフガニスタンの子ども支援有難うございました。全部で11716円になりました。915日、寺分と合わせて33582円を日赤山口県支部に送金致しました。ご協力に感謝し御礼申し上げます。


広辞苑には「死に支度」という言葉がありますが

「死に支度」よりは「老い支度」ではないでしょうか。

 「台風一過」考 №700

  「台風一過」考

令和4年10月8日

 下関を直撃した先日19日の台風14号、お見舞い有難うございました。予報では未だ経験したことのない猛烈な台風ということでどんなになるかと心配しましたが幸いなことに予報ほど恐ろしいことはなく過ぎました。これも皆さまが心配して下さったお蔭です。この場を借りて厚く御礼申し上げます。有難うございました。

 余談ながら今回の台風で私は初めての体験がありました。台風の眼に入るという経験です。もちろん強い台風に台風の眼があることは承知していましたが、実際にその眼を体験するということはなかったのです。体験は聞いていた通りでした。眼の中に入った一時間余りは雨も風もなく日さえ照ったのです。不思議な体験でした。

 余談はともかく大変にならずに済んだことは有難いことでありました。台風の翌日20日は朝から爽やかな秋の日になりました。台風が過ぎ去った後はとかく上天気になることが多いらしく、それが「台風一過」という言葉を生んだようです。私はこの台風一過という言葉をずっとこの気象的な意味だと思っていました。

 しかしこの度、爽やかな秋の日差しを浴びながらふと思いました。台風一過という言葉は単に気象的な意味だけでなくほかの意味もあるのではないかと。そう思って辞典を引いてみました。したらありました。「広辞苑」に「台風が過ぎ去った後にはとかく上天気が来るということ」の後に「大きな事件が決着し、晴れ晴れとすること」とありました。

 ついでにとほかの辞典を調べましたら、何と語彙数を誇る小学館の「国語大辞典」には「台風一過」がありませんでした。明鏡国語辞典(大修館書店)と大辞林(三省堂)にはありましたが、意味は気象的な解釈だけでした。語彙の選択とその解釈はもっぱら編纂者の意向一つでしょうが今回は広辞苑にさすがと思わざるを得ませんでした。


 いま台風一過を心から待ち望んでいるのはウクライナでありましょう。人類の敵プーチンによってウクライナはもう7ヵ月もの間、武力侵攻という台風に苦しみ続けています。どうか一刻も早くウクライナの人々に晴れ晴れとした台風一過が訪れますようにと祈らざるを得ません。ウクライナに台風一過を!ウクライナに平和を!


どんな猛烈な台風も

台風であり続けることはできない。

台風一過は必ず来る


 「自分の季節を生きる」 №699

  「自分の季節を生きる」

令和4年10月1日

 このたより前号(長寿を生きる)で長寿者が健康に暮らすための十則をご紹介しました。なるほどと共感された方も多かったと思います。長寿になったら行住坐臥、その年齢にふさわしい行動をすることが大切という教えでした。年を取ればそれまで出来ていたことも出来なくなります。意識と行動を改めるしかありませんね。

 そんなことを考えていた丁度その時、上の「自分の季節を生きる」と題する海原純子(心療内科医)さんの新聞コラムが目に入りました。海原さんは最近「年齢の壁」という言葉をよく聞くようになったのだそうです。年齢の壁は確かにある。けれどもう一つ、自分がつくり出した「壁」があってそれに縛られている人が多いと思うのだそうです。

 海原さんはこう言われます。「自然のリズムには逆らえない。だが自分でつくり出した年齢の壁にとらわれてもう年だからと自分の可能性を捨ててしまうのはもったいない。逆にまだまだ若いといって自然のリズムを否定するのも年齢にこだわり縛られている」「たとえ病気になっても生きている限り残された可能性はある」と。

 海原さんの言葉を聴いて思いました。自然のリズムに逆らうことはできません。私たちの一生を季節にたとえるなら青春時代は文字通り春、壮年時代は夏、そのあとは秋、そして老いの時代は冬。この自然のリズムには逆らえません。アンチエイジングをいくら頑張っても悪あがきに終わるばかりです。

 海原さんはこのことについてこうおっしゃっています。「秋になったら夏と同じことはできないし同じ服装で過ごせない。それと同じように、自分の季節に合わせできることを見つけて過ごすのが心地よい生き方になるのだろう」。ということは、今自分がどの季節を生きているのかを正しく認識して生きることが大切ということですね。


 私がコロナに思ったことは「共存」でした。絶滅させることが不可能なコロナウイルスとは共存するしかありません。このことは海原さんがおっしゃることと同じです。自然のリズムには逆らえない年齢。その年齢と共存するのが無理のない生き方。自然な生き方なのでありましょう。



無理に年寄りにならなくてもいいし、

無理に若いふりをしなくてもいい。

自分の季節を生きたいものだ 

        
 <海原純子>