平和共存 №735

 平和共存 

令和5年6月23日

 今日623日は「沖縄慰霊の日」です。今年78年目、沖縄戦で亡くなった20万人に及ぶ犠牲者のうち半数の10万人が住民であったと言いますが、その悲惨な沖縄戦と同じことがいまウクライナで続いています。なぜロシアは許されない武力侵攻を止めないのか。無念でなりません。

 いまから69年前、1954(昭和29)年の折りしもこの6月、中国の周恩来首相とインドのネルー首相とが「平和五原則」という共同声明を交わしました。その第一は「領土・主権の相互尊重」、第二「相互不可侵」、第三「相互内政不干渉」、第四「平等互恵」、第五「平和共存」。この五つです。

 この平和五原則の背景には両国の国境紛争があったことは無論ですが、中国はこの平和五原則をビルマ(ミャンマー)、ベトナムにも当てはめて平和五原則を中国外交の基本原則にすることを内外に宣言しています。翌年の1955年に開かれたアジア・アフリカ会議、バンドン会議では五原則を基礎に平和十原則が確認されています。

 実はこの五原則にある「平和共存」(民族、文化、宗教、社会制度の異なる国が平和裡に共存すること)は、スターリン死後のソ連の対外政策の基本原則でもありました。ソ連は1956年のソ連共産党20回大会以降、フルシチョフ首相が外交政策の基本路線として平和共存を定着させたことがあったのです。

 思えば日本はすでに76年前に施行した憲法で「国際平和主義」を掲げ、世界の国々の共存を言っていますが、上に述べたように中国もロシアも69年前には平和共存を対外政策の基本にしたことがあったのです。中国もロシアも世界の国々が平和に共存することの大切さを思ったのです。


 誠に残念ながら中国とロシアはいま平和共存とは全く反対の国になっています。日本がすべきことは軍事費の増大ではありません。憲法が掲げている国際平和主義に基づいて世界の国々に平和共存を訴えることです。ロシアと中国に69年前に返ることを訴えるべきです。それが日本の役割です。

「いづれの国家も、自国のことのみに

専念して他国を無視してはならない」

     <日本国憲法・前文>


人間はゴミだ! №734

 人間はゴミだ!

令和5年6月16日

 先達てのこのたより(人生は掃除)で私たちの日常は毎日が掃除、そして私たちの身体も毎日、食べ物の摂取と排泄という代謝で掃除をしていると申し上げました。まさに「生きる」ことと「ゴミ掃除」は同義語と言えるのではないでしょうか。生きていなければ掃除をするということはないと思います。

 そのたよりを読んだかみさんが、晴(はる)君(中1の孫)が「同じようなこと言ってますよ」と教えてくれました。その晴君、2年前の小5の時「ゴミ。人間は生み出したゴミで遊んでいる。自分自身がゴミと知らずに」と思いついて、その言葉を紙に書いて部屋の壁に貼っているというのです。

 びっくりでした。この晴君、以前「地球温暖化を止めなければ僕たちの将来はない。戦争なんかやってる場合じゃない。」と言って家族をびっくりさせたことがあるのですが、この小5の時の言葉もゴミが地球の大きな問題になっていることを知って思いついたようです。並みの発想ではありません。

 私がハッとさせられたのは「自分自身がゴミと知らずに」という言葉です。私は「人生は掃除」と思いながらも人間自身がゴミとは思っていませんでした。しかし、言われてみれば確かにその通り。人間自身も間違いなくゴミです。地球から見ればゴミ。ない方がよいもの、ではないでしょうか。

 前にも紹介したことがあると思います。涅槃経の最後に「我今滅を得ること悪病を除くが如し、此れは是まさに捨つべき罪悪の物、仮に名づけて身と為す」という言葉があります。お釈迦さまから見れば私たちの身体は「捨てるべき罪悪の物」です。不用なゴミよりさらによくない物なのでありましょう。


 しかし、私たちは生きている限りこの「罪悪の物」を捨てるわけにはいきません。晴君が言うように、まずは私たち自身がゴミであることを認識し、さらにはお釈迦さまがおっしゃる通り、この身は罪悪の物であるという認識を持って生きていくべきなのでありましょう。


もしも人間がいなければ

 世界はもっと輝いていただろうに

      <晴君の言葉>

同行二人 №733

同行二人

令和5年6月6日

 先達てのお遍路の感想をもう一つ申し上げたいと思います。それが上に記した同行二人(どうぎょうににん)です。お遍路の人が被る菅笠にこの言葉が書いてありますからそれをご覧になった方もお出でと思います。お遍路はたとえ一人でもそばには必ずお大師様がお出で下さるという意味ですね。

 以前、申し上げたことがあったかも知れません。私は最初のお遍路の時にこの同行二人を実感しました。四国にはお大師様がいまもお出で下さっているということを確信する出来事があったのです。信じられないことですが、札所に置き忘れた日記帳をその翌日、ずっと先の宿で受け取ることができたのです。

 それには不思議としか言えないことがありました。私が札所に置き忘れた日記帳を見つけてくれたのが近くの駐在所のおまわりさんでしたが、何とそのおまわりさんの奥様のご実家が私の宿の近く、たまたまその奥様が明日、実家に行く用事があるので手帳を宿に届けて下さるというのです。信じられないではありませんか。

 今回お参りした87番長尾寺の大師堂に「あなうれし ゆくもかへるも とどまるも われはだいしと ふたりづれなり」という歌碑がありました。お遍路の人は多かれ少なかれこの歌を実感するのではないでしょうか。苦しい時あるいは私のように困りごとができた時、この同行二人を実感するに違いありません。

 その実感の現れでしょうか。八栗寺の大師堂前にはご夫婦で月参り700回を達成した記念に100万円寄付したという碑がありました。月参り700回を達成するには58年かかります。記念碑には令和310月と記されていましたが、ご夫婦はいまお幾つでしょうか。20代で始めても80歳を越えておいではもちろんでありましょう。


 私はこの同行二人はお大師様に限らないと思います。親子も夫婦も同行二人。そして私たちと観音さまも同行二人だと思います。本当に苦しい時、困った時、悩む時、その時には親や子や妻や夫が必ず助けてくれる。観音さまが救いの手を差し伸べて下さる。人生は同行二人です。


衆生被困厄 無量苦逼身

 観音妙智力 能救世間苦

     <観世音菩薩普門品偈>

一期一会 №732

 一期一会

令和5年6月1日

 先月下旬、お遍路に行ってきました。今回は最終回とあって85番八栗寺から結願の88番大窪寺までの4カ寺、その後、フェリーで和歌山港に渡り、翌日高野山奥の院にお礼参りという日程でした。実を申しますと、私これまで高野山に行ったことがなかったのでお遍路の掛け軸を仕上げるために有難いことでありました。

 余談はともかく今回のお遍路で考えたことの一つは「ここにも人が住んでいる」ということ。このことはお遍路で時々思うのですが、バスに揺られながら点在する家々を見ていて、そこには下関在の自分が一生会うこともない人たちが暮らしているということに不思議な感慨を覚えました。人が一生のうちに遭う人は本当に少ないのだと思います。

 思ったことのもう一つは表記の「一期一会」です。申し上げましたように私は今回が初めての高野山参りでした。かねて聞いてはいたものの実際に目にする伽藍の偉容には圧倒されましたが、その時ふと思ったのです。私は今生のうちにこの高野山を再び訪れることがあるだろうかと。最初で最後ではないかと思えたのです。

 茶会の心得で言う一期一会は今この時の参会を生涯ただ一度の参会と思えと言うことでしょうが、私が高野山で思ったのは文字通り自分にとって今回のお参りが一生一度のお参りになるであろうということでした。一期一会というのはその根底に無常という観念があるに違いありません。

 今回、バスの窓からあちこちの山裾に咲いている楝(おうち・センダンの古称)を見ていて「妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」という万葉集の歌を思い出しました。この歌は大伴旅人の妻が亡くなった時、旅人の心情を思って山上憶良が詠んだ歌ですが、思えば夫婦も一期一会でありましょう。


 私たちの毎日も同じです。私たちは今日の続きで明日があると思いがちですが、実は明日は今日の続きではありません。今日は今日、明日は明日。今日と明日は全く別の日です。一瞬も留まることのない無常の中にあって私たちが意識できるのはいまという瞬間に過ぎません。一期一会とはそれではないでしょうか。


年たけてまた超ゆべしと思ひきや

  命なりけり佐夜の中山

           西行