ばたんきゅう №555

ばたんきゅう
令和元年9月23日

 今年全国で100歳以上の人は昨年より1453人増えて71238人になったそうです(13日厚労省発表)。7万人を越えたのはむろん初めてですが、老人福祉法が制定された1963(昭和38)年には全国で僅か153人だった100歳以上の人が35年後の平成10年に1万人を越え、今年7万人越えですから100歳長命者が如何に急増しているかでありましょう。

 この分ならこれからも毎年100歳以上の人が千人二千人単位で増え続けて行くでしょうがやっぱり気になるのはそれがそのまま目出度いことなのかということです。むろん長寿長命は医学医療の進歩や国の平和というような条件があってこそですから長寿長命の人が多いということは目出度いことには違いありません。

 しかし、その現実はどうかと思うと目出度いだけでは済まないと思います。毎年この時期長寿イコール幸せかと申し上げてきましたが今年も同じような思いをせざるを得ません。その第一がどのくらいの100歳長寿者が健康で幸せを感じて毎日を過ごしているだろうかということです。生きている喜びを感じられてこその長寿ではないかと思うのです。

 以前、老年的超越ということを申し上げたことがありましたね。100歳以上の人の中には「今が幸せ」「有難い」という多幸感を持ち、見えない人とのつながりを感じて過ごしている人がいるということでした。この境地に到れば長寿イコール幸せでありましょう。しかし、100歳の人みんながそうなれるわけではありません。そこが問題なのです。

 現実的に申し上げれば「長生き高齢者」を待ち構えているのは病気、認知症、生活費など大変なことばかりです。死にたくても死ねないという医療の問題もあります。どのような最期を迎えるか。長命の時代には私たち自身がそれを考えなければなりません。むろん考えてもその通りになる訳ではありませんがその覚悟は必要でありましょう。

 そう考えていて最近思ったのが表題の「ばたんきゅう」です。「ばたんきゅう」は倒れるように眠り込むことですが、倒れるように死ぬのもいいではないかと思ったのです。倒れるように、ということは倒れるまでの努力がなければなりませんね。長命の時代、その長命をどのように生きるか。それが問われていると思います。
 
 
(たお)れて後()
       <礼記>
 
 
 
 

続・供養の本質 №554

続・供養の本質
令和元年9月17日

 先日のこのたより「供養の本質」(№550)で、供養は亡くなった人のためであると同時に自分自身のためであると申し上げましたところ奇しくも神奈川在住のお二人から共感下さる感想を頂きました。その感想に私も改めて思うことがありましたのでそれをご紹介がてらもう一度供養について考えてみたいと思います。

 まずKさん。Kさんは以前から「亡き人への供養は自分のためでもある」と感じていたそうです。最近、ボランティアに行っている高齢者施設で知り合った方々が相次いで亡くなってその感を一層深くしているそうですが、Kさんはボランティアはそれをすることによって逆に自分が生かされていると感じるとおっしゃるのです。

 以前、Kさんを見て「あなたの笑顔は亡くなった主人にそっくりだ」と言ってハラハラと涙を流された方がいたそうです。最後となった将棋対局をした方もあったそうです。その方たちの訃報にKさんは亡くなった人たちへの思いを忘れずにいることで自分が生かされていることを実感できるのではないかと言われるのです。

 もうお一方のTさん。Tさんは供養の原義が「美味しいものを差し上げる」ということに思わず胸によぎることがあってハッとしたのだそうです。Tさんはもう20年以上も前に若くしてご主人を亡くされましたが、そのご主人が生前一度だけ「貝の入ったご飯大好きなんだ。いつかつくってほしい」と言われたことがあったのだそうです。

Tさんはそれができずじまいになったことを心のどこかに思い続けていたのでしょう。たよりを読んで来年のお盆にはぜひその貝のご飯をつくろうと思って下さったそうです。余談ながらこの話を伺って私も初めてアサリの炊き込みご飯をつくってみました。私は本物は食べたことありませんが例の「深川めし」ですよね。美味しかったです。 

 いや脱線失礼。お二方の感想を伺って改めて思うのは供養とは「その人を忘れない」ということ、第二に「お好きだったものを差し上げる」こと。そして同時に自分と亡くなった人がいつも身近にあって「お話」すること。亡くなった人には現実に逢うことこそ叶いませんがいつも身近にお出でになるというのが真実だと思います。
 

うつつには逢ふよしもなしぬばたまの

夜の(いめ)にを継ぎて見えこそ
        
          <万葉集>

見えないお給料 №553

見えないお給料 
令和元年9月16日

 私の仕事時代の女性の同僚、と言っても一回り以上も年下の方ですが、そのNさんが定年を迎えてこの春から再任用で仕事を続けられています。元々仕事に生きがいを感じている方でありお金に不自由しているわけでもないので仕事を続けられるだけで満足ということですが、頂く給料にはさすがに今までとの落差にびっくりされたようです。

 先日、離れて暮らしている子息が来た時たまたまその話になったのでしょう。彼女が「再任用ってお給料半分以下なんだよ。ボーナスもちょっぴりだし……」と言ったら子息に「再任用だからねえ(仕方ないんじゃないの)」と言われたのだそうです。働き方改革が言われている今彼女が給料の落差を思うのは当然なのでしょうが。

 しかし、この話を聴いた私、思わず自分のことを持ち出して子息同様「いや貰えるだけいいかも。あっちなんか仕事時代より働いていると思う時あるけど給料はないんだよねー」と言ったのです。住職に土日祝日はありませんし用事が立て込めば時間制限もありません。正直なところ、時に現役時代よりハードなこともあるのです。

 しかし、この寺が給料を貰える寺ではないことは承知で来たのですから言えば愚痴になります。そしたら何と彼女が「ご住職様は温かい気持ちのこもった人との関係と頑張る気を受け取られてお出でです。それは見えないお給料ですねー」と言ってくれたのです。これには思わず「そう、そうだった」と膝を打つ思いでした。

確かに私は給料は頂いていません。しかし、彼女が言ってくれた通りこの観音寺に来てから私は物心ともに周囲の人の温かい援助と励ましを頂いています。心身ともに耄碌しかかったこの私がこの観音寺にいさせて頂けるのはこの寺と私を援助し励まして下さる周囲の方々のお蔭なのです。思えば感謝しかありません。

Nさんに教えて貰って気づきました。私が時に無給で働いていると思ったのは恥ずべき奢り、慢心でした。私は金には匹敵しない有難い縁の力と援助を頂いているのでした。そのことを教えてくれたNさんに感謝します。そしていま観音寺と私を支えて下さっている篤志の方々に心より感謝申し上げます。有難うございます。
 
 
 
「この花はおれが咲かせたんだ」
土の中の肥料はそんな自己顕示をしない。
おれのような。 
         ~相田みつを~
 
 
 

夏の子どもたち №552

夏の子どもたち
令和元年9月10日

夏休みが終わり新学期になって一週間が過ぎましたが先日、表題のエッセイが毎日新聞(2019.8.25)にありました。書かれたのは心療内科医の海原純子さん。毎日新聞日曜版に連載されている「新・心のサプリ」です。海原さんのこの「新・心のサプリ」は毎回共感させられることが多いのですが今回も同じ思いでしたので紹介させて頂きます。

 話はこうです。海原さんがいつも通っているスポーツジムが休みで別のプールに行った時のこと。折りしもそこに水泳の指導を受けている小学生低学年くらいの子どもたちがいたのだそうですがみんな楽しそうでにぎやか。でも、きちんと秩序が保たれていて見ている海原さん自身が楽しくなったのだそうです。

 ところが、次に海原さんの心に浮かんだのが「夏休みを楽しめない子ども」です。夏休み、旅に行くこともスイミングスクールに行くことも出来ない子ども。みんなが当たり前のように楽しんでいる夏の日々を苦痛に感じている子どもたちなのです。実は海原さんが普段仕事で関わる人の多くが「夏休みを楽しめなかった子どもの心」をいまだに抱えている人たちなのだそうです。

 「貧困や親の都合でしたい勉学やスポーツを断念しなければならない子どもたちはそのスタートラインからそれができる子どもたちとの間に差ができたまま成長し後になってそれを取り戻そうとしても成長すればするほど困難になり挫折することも多い」と言い「せめてスタートラインだけは大きな差がつかないようにするのは大人の役目のように思えてならない」と言われるのです。

 ご意見に全く同感です。日本はいま7人に一人の子どもが日々の食事も満足に摂れない状態にあります。中でも母子家庭にあっては2人に一人が貧困にあると言います。この子どもたちは夏休みはおろか日常的に満足な食事もしたいこともできないという状態に置かれています。それがもの溢れ毎日膨大な量の食べ物が捨てられているという日本の現実なのです。

 いまの与党政府はこの現実に正しく向き合っているでしょうか。海原さんが言われる「大人の役目」を果しているでしょうか。いま国が配備に躍起になっている迎撃ミサイル「イージス・アショア」には6000億円もの金がかかると言われます。この金を使えば子どもの貧困は解消されるでありましょう。私たちがそれをさせましょう。
 
ワシはたらふく食ってるぞ。

貧しい子ども飢えて死ね!

      ~令和の政治屋~

「シベリアシリーズ」を観る №551

「シベリアシリーズ」を観る
令和元年9月9日

先月18日まで山口県立美術館で開かれていた香月泰男さんの「シベリアシリーズ」を観ました。「シベリアシリーズ」とは香月さんが第二次世界大戦で応召した大陸従軍期からシベリア抑留まで4年に渡る自らの戦争・虜囚体験を描いた57点の作品です。香月さんはこの57点の絵を復員した1947年から亡くなる1974まで27年間描き続けたのです。

これまで私はこの「シベリアシリーズ」をテレビなどで断片的に見たことはありますが57点全部を一堂に観るのは初めて。正直圧倒されました。シベリア抑留とは飢えと寒さと劣悪な環境での過酷な強制労働でした。抑留された56万人以上の軍人軍属官吏のうち7万人が死亡したと推定されていますが実際にはもっと多かったに違いありません。

 香月さんは幸運にも何度夢に見たことかという故郷三隅に帰ることできました。それによって私たちはシベリア抑留の実態を香月さんの絵を通して知ることができました。シベリア抑留が如何に非人道的な過酷な労働であったかを知ることができるのはつらく悲しい思い出に鞭打って絵を残して下さった画家香月泰男さんのおかげです。

 絵に「雪」という一枚があります。その絵の自筆解説文に香月さんはこう書かれています。「セーヤの収容所では毛布が柩のかわりであった。死者が出るとそれを毛布にくるんで通夜をした。激しい飢えの果てに死んだ者へコーリャンの握り飯を供えるのがせめての慰めであったがそれも夜中に盗まれる始末であった」

 そして香月さんはさらにこう書かれています。「凍てつく雪の夜、軍隊毛布に包まれた戦友の魂は仲間に別離を告げながら故郷の空へ飛び去る。そして後に残った者には先も知れぬ苦しみが続く。いっそ霊魂と化して帰国したい。現身の苦悩から解放された死者をどれほど羨ましく思ったことだろう」と。

 飢えと寒さのうち死んだ戦友を羨ましいとまで思う抑留生活の厳しさの一端がそこにあります。私たちがこの「シベリアシリーズ」から学ぶべきことはシベリア抑留という過酷な歴史があったという事実。そしてこのよう歴史を再び繰り返してはならないという平和への決意でありましょう。瞑目合掌。
 
私は今自分の生まれ育った山口県の三隅町に住んでいる。
ここで死にたい。ここの土になりたい。 
             <香月泰男・私の地球>