続・馬鹿まるだし
前号(馬鹿まるだし)を書いた後、7月12日付け毎日新聞に「自分をさらけ出せず生きるのがつらい」という50代女性の人生相談が載っていました。この日の回答者はジャズシンガー綾戸智恵さん。例によって「生きている価値、そんなに早く決めんとって。50代これからでっせ」と励ましておられましたが、私も些か思うことがありました。
まず、びっくりしたのが、「生きている価値がありません」と言うほど「つらい毎日」の女性の悩みというのが、部分入れ歯、差し歯であることを話せる人がいないこと、友だちも少なく夢中になれる趣味もないこと、なのです。思わず「えっ」ではありませんか。そもそも入れ歯、差し歯って人に話す必要ってあるんですか。
友だちが少ないとか夢中になれる趣味がないなんて多くの人が同じように思っていることではないですか。それを「生きている価値がない程つらい」と悩むというのは、よほどシャイで内気なお方なんでしょうね。とすると、このお方には自分をさらけ出すなんてことはムリ、できないのと違いまっしゃろか。(綾戸口調)
実は寺の庫裏に「馬鹿を曝け出して生きる」と書かれた額があるのです。それを時々眺めるのですが、恐らくそれを書かれた方は、馬鹿をさらけ出す必要もない立派な人ではないかという気がします。さらけ出すというのは意図的な行為です。自分の馬鹿さ、愚かさを意図して人に見せるという行為は言われて出来るほど簡単ではありません。
前号に書きましたが、馬鹿まるだしは止むにやまれぬ一途の思いです。それはその人の性格や時の状況がさせるものですよね。ですから、馬鹿まるだしは意図的に「馬鹿をさらけ出した」のではなく結果的にそうなったということ。馬鹿を意図的に演じられる人がいるとすれば、それはよほどの達人か役者でありましょう。
「正直は一生の宝」