ワクチン接種考 №652

 ワクチン接種考

 令和3年9月29日

 先日朝のことです。朝課に来られたK子さんが「方丈さんにそっくりな人がいましたよ」と山口新聞のコラム「四季風」の切り抜きを持ってきてくれました。それを読んで頷きつつ思わず笑ってしまいました。記事はその「四季風」の編集子のコロナワクチン接種体験談なのですが私自身似た人がいるもんだと思わせられたのです。

 記事によると、その編集子は持病をお持ちで早い段階から優先接種の対象だったそうですが昔から薬や注射が苦手なうえ、副反応も怖かったので様子見を決め込んでいたというのです。私の場合は年齢で優先対象でしたが、元々予防注射の類には関心がなくて結果的にはこの編集子の様子見と同じ状態になっていたのです。

 この編集子は先日重い腰を上げて接種を受けたとのことですが、そこに至ったのは同調圧力よりは「家庭内圧力」だったと言うのです。先達てこのたよりでもコロナワクチンの「同調圧力」を申し上げましたが、編集子の場合はその同調圧力よりも奥さんや娘さんからの強い勧め、というよりは“家庭内圧力”を受けて観念したというのです。

そのことを読んで私も似たようなものと思いました。私も特段の同調圧力を感じたわけではありませんがカミさんや娘からは何度も[接種を早く]と言われていたのです。私の場合は一緒に暮しているのではありませんから圧力とまでは思いませんでしたが、同居していれば同じように家庭内圧力を感じたことでありましょう。

実は私もつい先日1回目の接種を受けました。私が「重い腰」を挙げたのは周囲に迷惑をかけてはいけないという思いと不接種が移動制限になったら困るという思いからでしたが、結果的には「四季風」の編集子の“観念”と同様でありましょう。コロナワクチン接種は外圧だけでなく自分自身の内圧もあると思いました。

ただこの編集子は最後に「ほとんどの人は自分と大切な人を守るために打ったのだろう。ただ、個々に事情はあるし打たない自由があってもいいはず。決してそこに差別が生まれてはならない」と言うことを忘れてはいませんでした。ワクチン接種をするかしないかはあくまで個人の問題です。そのことは大切にしたいと思います。

 

思想及び良心の自由は、

これを侵してはならない。

   <日本国憲法第十九条>


命長ければ辱(はじ)多し №651

 命長ければ(はじ)多し

 令和3年9月28日

 今年も「敬老の日」に因んで厚生労働省から全国の100歳以上の高齢者が発表になりました。それによると、その数は過去最多の86510人。昨年から6060人増えて51年連続の増加とのことです。この調査が始まった1963年には100歳以上の人数は153人だったそうですからこの58年のうちに565倍にもなったということになります。

 長寿者を男女別にみるとやはり女性が88%以上と圧倒的に多くて、最高齢は福岡市お住い。明治36年生まれの田中()()さん118歳。田中さんは存命中の世界最高齢だそうです。同じく男性は明治43年生まれの上田幹蔵さん111歳。いやすごい、ご両人ご立派です。ここまでくると敬服しかありません。

 当然のことながら日本人の平均寿命も伸びていて昨年の平均寿命は女性が8774歳、男性が8164歳と言います。この平均寿命もともに過去最高を更新しています。伸び続ける平均寿命。そして増え続ける100歳高齢者。これは平和のお蔭でしょうからまずは目出度いと申し上げるべきでありましょう。嬉しいことには違いありません。

 でもその反面はどうか。このたよりでは毎年のように長寿イコール幸せではないと申し上げてきました。いまの日本社会は長寿に関する自助共助公助どの面においても問題なしとはいきません。自助には格差の拡大が、共助には地域共同体の衰亡が影を落としていますし、公助について言えば施策の一層の充実が求められていると思います。。

 人生100年時代と言われる今、いわゆる老後を皆さまはどうお考えでしょうか。嬉しい話でなくて恐縮ですが、表題の「命長ければ恥多し」という言葉があります。これは中国の「荘子」にある言葉だそうですが、その意味は文字通り「長生きすれば何かと恥をさらすことが多い」です。原文は「寿(いのちなが)ければ」となっていますから長寿の半面の言葉でありましょう。

 私は最近つくづくこの言葉を思うのです。兼好法師が「徒然草」で「住み果てぬ世にみにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ恥多し」と言っていることに同感するばかり。心身の老化が増す一方の残された日々をどうしたら意識的に過ごすことができるか。これが人生100年時代の課題になったと思います。

 毎日が 日曜日では いけません

 平日つくる 努力が大事