ウクライナ一年 №719

 ウクライナ一年

令和5年2月28日

ロシアがウクライナに軍事侵攻して一年になってしまいました。いまだ停戦の兆しがないどころかロシアはウクライナの発電施設や病院、学校などのインフラを狙って攻撃するという許されない暴挙を続けています。このためにウクライナの人々は極寒の中で明かりも暖房もない生活を強いられているのです。

     真冬でも日差しがあれば暖かい世界の冬にその日差しあれ

先日ウクライナの人たちの苦しみを思ってこの歌をつくりましたが皆さまも同じ気持ちでありましょう。一刻も早く戦争が終わってウクライナの人々に平和の安寧と心身の温かさが戻って来ることを只々祈らざるを得ません。暖かい日差しをと祈るばかりです。

 それにしてもプーチンの罪過。それを仏教的に見るとどう言えるでしょうか。それを私たちが生活の基本としている波羅(はら)(だい)(もく)(しゃ)(戒律)で考えてみたいと思います。私たちがお釈迦さまの弟子となるためにする最初の儀式が得度ですが、その得度式の第一にするのが戒(いましめ)を守りますという誓い、受戒です。

 この戒を十重禁戒と言います。守るべき十の大切な戒めですが、その第一が不殺生戒、殺すなであり、第二が不偸盗戒、盗むなということです。十の戒の中でもこの二つが先ず言われているのは殺さない、盗まないということが最も大切な戒めだということでありましょう。それは仏教以前、人として守るべきことなのだと思います。

 プーチンがいましていることは謂われなき殺人行為です。プーチンは数多くのロシア兵士とウクライナ兵士を殺しています。兵士だけではありません。ウクライナの多くの罪なき市民を殺しています。その中には沢山の子どもたちもいます。希望に夢を膨らませていた幼い子どもたちを殺しているのです。許されることではありません。


 第二にウクライナへの武力侵攻はウクライナの領土を盗むことです。世界が平和に共存するためにまず大切なことは他国を侵略しないことです。侵略に正義はありません。どの国も他国の領土を侵害してはならいのです。プーチンはその罪を重ね続けているのです。プーチンはその侵略の罪を償わなくてはなりません。


善には善の報いあり。悪には悪の報いあり。

善因善果悪因悪果。これ真実なり。

寒中萌春 №718

 寒中萌春

令和5年2月18日

立春が過ぎて間もなく雨水になりますが、今日の話は寒中のことです。今年の冬は近年稀なほど強い寒波がやってきて寒かったですね。皆さん無事にお過ごし下さいましたでしょうか。私は朝の坐禅と朝課の後、去年おととしは殆どせずに済んだ朝風呂、小原庄助さんにならざるを得ませんでした。やはり寒い冬だったと思います。

 その寒中です。師匠に手紙を出す必要があって出だしの時候の言葉を考えていて、ふと「寒中萌春」という言葉を思いついたのです。その意味は文字通り「寒中に春を萌す」ということです。ん?とお思いの方もおありでしょうが。実は一年で一番寒い寒中であっても植物はすでに春の準備をしていることを言いたかったのです。

 そのことに関連して私が思うのは冬至前後の日の出日の入りの時刻です。冬至は一年のうちで昼が最も短く夜が最も長い日ですね。では冬至は一年で日の出が最も遅く日の入りが最も早い日かと言うとそうではないのです。実は日の入りは冬至前すでに遅くなっており、日の出は逆に1月半ばにならないと早くはならないのです。不思議ではありませんか。

 これで分かることは天体の動きも休むことなく変化しつつあるということです。それは植物についても同じです。寒中に植物は寒さに動かないままかと言えば違います。寒中にあっても花咲く春のために変化を続けているのです。目を凝らしてみればそれら植物の営々たる努力を目の当りにすることができるでありましょう。

 寒中であってもサクラはそのつぼみを僅かずつながら膨らませています。鉢植えのボケはつぼみにうっすらと赤みをつけました。びっくりしたのはシンビジュームです。何と気がつかないうちに花芽をつけた茎が20㎝にもなっていました。気温がどんなに低くても植物はそれに負けてはいません。私たちはそこに春の萌しを見ることができるのです。



 私は上のことに人の世を重ねてみる思いがします。私たちに大切なことは倦まず弛まずです。人生は順風満帆ばかりではありません。寒い北風にも負けず投げ出さずです。そう、宮沢賢治さんの詩の通り「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ」です。そこに人生の春が来るのではないでしょうか。

「雪の深さに埋もれて耐えて麦は芽を出す春を待つ

 生きる試練に身をさらすとも意地をつらぬく人になれ」

                  <人生一路>

チョイス №717

 チョイス

令和5年2月17日

病気になった時、どんな治療を選ぶか。そのチョイスをEテレでやっていますね。たとえその病が生死に関わらなくてもよい治療法が得られるに越したことはありません。苦痛少なく効果が著しくかつ治療代が少なくてすめば有難いことはもちろんです。人誰しもよいチョイスをしたいと思うのは当然でありましょう。

 しかし、今日お話しするチョイスは治療法のチョイスではありません。治療をするかしないか二つに一つ、というチョイスです。実は昨秋、仕事時代の同僚であった女性Iさんが亡くなりました。私より二つか三つ若かったと思います。Iさんは発見されたがんが4期であることを知ると「自然治癒力に期待する」と言って治療しないことを選ばれたのです。

 いくら末期とは言え治療すれば何らかの効果はあるでしょうし回復だって可能かも知れません。しかし、Iさんは治療しないことを選ばれました。そこに至るまでどんなに悩まれたことでしょう。それを思うと、私はIさんの勇気ある決断に敬服するしかなく自然治癒力の増強を祈ってのお守りを差し上げたのでした。

 Iさんには治療しないことに一つの思いがありました。それは子どもたちへの読み聞かせを最後までしたいということです。Iさんは多年続けてきた読み聞かせが自分と子どもたちとのかけがえのない絆になっていることを大きな喜びにされていました。それだけに治療のためにその活動ができなくなることが苦痛であったのだと思います。

 実は私には6年前にも同じように末期がんの治療をしないことを選んで亡くなった友人Tさんがいます。そのTさんも大好きなフォークダンスを最後まで続けたいという強い思いがありました。今回のIさん、そしてTさんの生き方を思うと、IさんもTさんも自分の生き方を納得し自分がしたいことを全うされたのだと思います。


 いま長寿の時代であればあるほど私たちは如何に生きるか如何に死ぬかという切実な問題に直面させられていると思います。緩和ケア医・奥野滋子さんの私終いの極意に「人との縁を大切にする」「自分の生き方を肯定する」「今を大事にする」「捉われない」という4つがありましたね。改めて私終いを考えさせられました。


Iさん亡くなる二日前にお見舞いに行った

Tさんとの会話。

Iさん「Tさんの手温かい!

Tさん「そうよ、ずっと走って来たのよ」

人間には何が必要か №716

 人間には何が必要か

令和5年2月4日

ホセ・ムヒカ。愛称エル・ペペ。正式にはホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノという人の名を皆さまもお聞きになったことがあると思います。そう「世界一貧しい大統領」と言われた人です。ホセ・ムヒカさんは20101月から20153月まで5年間、ウルグアイの第40代大統領を務めました。

 そのホセ・ムヒカさんがなぜ「世界一貧しい大統領」と言われたのか。それはホセ・ムヒカ大統領が月給1万ドルのうち毎月その90%をチャリティー活動に寄付し、自らは一般人が驚くほど質素な生活をしていたからです。先達てのテレビでも相変わらずその質素極まる生活をしておられる様子が紹介されていました。

 そのテレビの中でムヒカさんが「この世に奇跡があるとすれば生まれてきたこと」と言われたことに感銘を受けましたが、その根底には自身の大変な体験があったのだと思います。ムヒカさんは若い時、極左武装組織に加わっていて4度逮捕され、13年間の牢獄生活のうち、2年間は井戸の底に閉じ込められていたと言います。

 そのムヒカさんには数々の名言がありますが、それらを読むと名言はお釈迦さまの教えそのものでもあり、私たちの人生には何が必要かということを考えさせられてなりません。その一つが「足るを知る」ですが、これは「少欲知足」(欲少なく足るを知る)そのものです。欲にはキリがありません。ムヒカさんも人間の基本は知足と気づかれたのでありましょう。

 2番目は「謙虚であれ」。これもお釈迦さまの教えにあることです。人に対してはもちろん、自然に対して、そして生きとし生けるものに対して謙虚でなければなりません。地球温暖化のことにもコロナのことにも謙虚に反省し共に生きる道を探さなければなりません。私たちが大いなる存在への畏敬の念と謙虚な心を取り戻さなければ未来はありません。


 もう一つ。「情熱を注げるものを見つけ、常に情熱的であれ」という言葉。私たちはしたいことしなければならないことがあって生まれてきたのです。そのしたいことこそ自分が情熱を注げるものでしょう。人生は情熱を注げるものを生涯探し続けていくこと。ムヒカさんはそのことを言っているのだと思います。


「自分の心に従えば自由を

手に入れることができる」

     <ホセ・ムヒカ>

人生は砂漠の旅 №715

 人生は砂漠の旅

令和5年2月3日

もう50年も前のことです。バーミアンの石窟大仏を見たくてアフガニスタンを訪れたことがありました。アフガニスタンは砂漠ではありませんが、面積で言えば日本の1.7倍もあるその国土の多くは乾燥した不毛の土地と言ってよいのではないでしょうか。もちろん農業ができる場所もありますが、その場所は限られています。

 アフガニスタンには鉄道がありませんから移動はバスに頼るしかありません。私も何回か首都カブールからバスに乗って地方都市に行きましたが、窓の外に見えるのは草も碌にない赤茶けた土地ばかりでした。バスがなかったころはラクダを連れた隊商がオアシスのある町から町へと荷物を運ぶ旅をしていたのでありましょう。

 今ではもう時代的に隊商(キャラバン)はなくなっているのでしょうが、私はそのアフガニスタンの旅で一度だけ小さなキャラバンに出会ったことがあります。マザリシャリフ近くの小さな村にあるモスクを見に行った帰り、夕日に向かって歩む数頭のラクダを連れた隊商がいたのです。丘の道を黒いシルエットになって去って行くラクダを私は茫然と見送りました。

     征絲綢之路隊商    シルクロードのキャラバンは

     憩砂漠中緑水場    砂漠の中のオアシスに憩う

     人生相似熱砂旅    人生もまさにそれだね

     苦楽存観音妙光    苦楽は観音さまの中にあり

 思えば私たちの人生の旅はまさにキャラバンではないでしょうか。キャラバンを一家とすれば、その一家が夏は暑く冬は寒い砂漠を一歩一歩オアシスを目指して歩み、そのオアシスでしばしの憩いを取った後、また次のオアシスを目指して旅を続けていく。私たちの人生はオアシスからオアシスへの旅そのものではないでしょうか。


 私が皆さんのお話を聴いていて思うのは、何の悩みも苦しみもないという人はいないということです。生老病死。生きていくこと自体が大きな悩み苦しみと言えます。しかし、その悩み苦しみの中にも必ずオアシス、憩いの場があります。それを信じて毎日を一生懸命頑張る、それが人生だと思えてなりません。


皆さま今年も星祭り有難うございます。

どうぞまたこの一年お元気にお過ごし下さいますよう