うどん供へて… №377

平成28年5月17日

うどん供へて… 
   うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする


 昭和133月、山頭火56歳、母フサの47回忌に詠んだ句です。山頭火は9歳の時に母を失いました。母32歳。井戸に身を投げての自殺でした。引き揚げられて横たわる母を目の前にした正一(山頭火)少年の心はいかばかりであったことでしょう。

 上の句の後に、山頭火は「きょうは、36日。母の47回忌。曇、ときどき雨、かなしい、さびしい供養である。わたしたち一族の不幸は、母の自殺からはじまった」と記しています。そして二年後の49回忌には「たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと」と詠み、自分の「酒も放浪も、すべてこれ(母の自殺)がひきがねとなった」と書いています。

 山頭火にとって母の自死がつらく悲しい記憶になったこと、そしてそれが自身の一生に関わる原点になったことは察してなお余りあります。山頭火は上の「たんぽぽちるや…」を詠んで7ヵ月後、昭和15年の10月に亡くなっていますから、思えば一生、母の死から解放されることはなかったのだと思います。瞑目しかありません。

 この8日の母の日、私も山頭火に倣って自分の二人の母に初めてうどんを供えました。私は母親孝行をした記憶がありません。恩知らずの親不幸者です。これは後になって聞いたのですが、私がかつてインド放浪をしていた折、母は毎日陰膳をしていてくれたと言います。妻の母は私に袈裟を2枚縫ってくれていますが碌なお礼もせずじまいになりました。

 親子になること、取分け母子になるのは縁です。人は偶然に親子、母子になるのではありません。母子になる縁、文字通り有難い縁があってのことなのです。お母さん存命のお方はもちろん、すでに亡くされているお方もどうぞお母さん供養をなさって下さい。それは自分がよい縁を頂き続けるためでもあるのです。

 世界にはまだ戦乱のために子を失う母、母を失う子が多くおります。悲しみの母、悲しみの子がいます。どうぞその母、子のために平和を祈って下さい。戦争のない世界のために平和を祈って下さい。


親孝行したい時には親はなし