素朴に生きる №743

 素朴に生きる

令和5年8月17日

 些か前のことになりますが、ある方に醤油せんべいを頂きました。千葉県野田市の「喜八堂」というおせんべい屋さんが作ったものです。「これが昔のせんべいです。こげ具合、ふくれ具合、ひびわれ具合、そり具合そして醤油のしみ具合、一枚一枚様々それぞれに味わいが今も息づく昔菓子です」とありました。

 百聞は一見に如かず、と食べて納得でした。味わい深く実に美味しいのです。説明に書いてある通りのこげ具合、ひびわれ具合、醤油のしみ具合などが美味しさそのものになっているのです。見た目は武骨そのもの。おしゃれな感じはどこにもありませんが、これが昔のせんべいかと頷くものがありました。

 実は丁度同じころ、別の方からクッキーを頂いたのですが、このクッキーも言えばまた昔風でした。ごつごつしていてスマートさは全くありません。でも美味しいのです。下さった方の添え書きに「お精神で作っているものです」とありましたが、そうか、精神かと思うところがありました。

 昔せんべいと“精神”クッキーを頂いて共通するものを感じました。それは「素朴」ということです。二つに共通しているのは素朴そのものだと思いました。ということは、せんべい・クッキーに限らず私たちが日常的に口にしているお菓子類は素朴さを失っているということでしょうか。

 お菓子や食べ物に限らず私たちは素朴なものから遠くなっているのではないでしょうか。食べ物だけではありません。私たちの生活すべてが素朴からは遠くなっているに違いありません。私たちは今一度素朴に生きること、生活の素朴化を図るべきだと思われてなりません。


 人が素朴に生きる時人は人を殺しません。他人のものを奪いません。足ることを知って必要以上に求めません。お日さまに感謝し雨に感謝し、海山川に感謝し、草木に感謝します。生きていることを喜び笑顔が絶えることがありません。もう一度私たちは素朴に生きることを考えなければなりません。


素朴は単、素朴は純、

  素朴は明、素朴は快。

       単純明快


守れ!壊すな! №742

 守れ!壊すな!

令和5年8月16日

 皆さまもすでにニュースなどでご承知でしょう。明治神宮外苑の再開発で外苑の樹木700本以上が伐採されようとしています。計画では代わりの植樹をするとのことですが、大きくなった木を伐採して小さな木を植えるバカらしさに信じられぬ思いがします。

 外苑の再開発は再開発という名の営利事業です。計画している高層ビル2棟がその象徴でしょう。3月に亡くなった坂本龍一さんが計画反対を小池都知事に訴えたと言いますが都知事はそれに応える気はありません。もうこの秋にも樹木の伐採は始まると言います。

 いま我が国では守るべきものが守られず壊してはならないものが壊されるという状況にあると思います。申し上げた神宮外苑破壊はその一つに過ぎません。

その破壊行動の根底にあるのは利欲でしょう。欲と権力にとらわれてウクライナ侵攻を止めようとしないプーチンと同じです。

 守るべきものを壊そうとしていることで私が一番危険だと思うのは憲法9条です。日本は安倍政権の時に専守防衛から集団的自衛権行使に変え、憲法9条に自衛隊を明記しようとしました。驚くべきことには岸田政権もその改憲をしようとしていることです。

 憲法第99条で言っている通り憲法は大臣、国会議員が守るべきものですが国会議員たちはそれが分かっているのでしょうか。憲法第9条が果たしている平和の力を理解しているのでしょうか。憲法第9条を壊してはならない。永久にこれを守っていかなければならない。そう思います。


 守るべきものとしてもう一つ「脱原発」がありますね。岸田首相は原発の稼働年限を60年に延長したたばかりか原発の新設さえしようとしていますが、これは福島事故の重大さを理解していないからでありましょう。これも金と欲にとらわれた浅ましい心のためです。



天皇又は摂政及び国務大臣、

国会議員、裁判官その他の公務員は

この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

           (第99条)


「チャンチキおけさ」考 №741

 「チャンチキおけさ」考

令和5年8月10日

 先月719日は三波春夫さんの誕生日でした。今年は生誕100年だそうですが、三波さんと言えば、まず思い浮かぶのが「チャンチキおけさ」ですね。1957(昭和32)6月のこのデビュー曲が何と200万枚のミリオンセラーになりました。その秘密は一体どこにあったのでしょうか。

 チャンチキおけさは決して陽気な歌ではありません。その歌がヒットしたのは歌詞にあるのだと思います。歌の主人公は出稼ぎ労働者です。当時は全国各地から都会で働く出稼ぎ労働者がいましたが、チャンチキおけさはその出稼ぎ労働者のやるせない切なさを代弁する歌だったのです。

 作詩した門井八郎さんがどんな思いで歌をつくられたかは知りませんが、歌詞2番は田舎に残しっぱなしにしている女性とその母親に対する詫びを言っていますし、3番では夢むなしくしぼんでしまったしがない自分を歌っています。この歌のヒットの裏には歌詞の思いを重ね見る人生の悲哀があったのでしょう。

    涼風一陣爽心身    涼しい風は爽やかに

    驟雨一刻静挨塵    塵を静めるにわか雨

    春夏秋冬季節巡    巡る季節を過ごすのは

    其中衆生皆旅人    とわの旅ゆく我ら人間

 上は本日の火除け法要の法語ですが、巡る季節を過ごす私たちはチャンチキおけさの出稼ぎ労働者と同じように人生の旅人だと思います。その旅は楽しい嬉しいものばかりではありません。むしろつらく悲しい悔恨に満ちていると言った方が当たっているかも知れません。


 7月の観音さまの会の折、人生は遍路、未完成に終る遍路だと申し上げましたが、未完成に終るのはチャンチキおけさの歌のように人誰しも自分の人生に無念悔恨を思わざるを得ないからです。しかし、その無念悔恨があるからこそ次の生まれ変わり、再びの人生があるに違いありません。


故郷を出るとき もってきた 

大きな夢を さかずきに 

そっと浮かべて もらす溜息 

チャンチキおけさ 

平和を祈る №740

 平和を祈る

令和5年8月6日

 8月は祈りの月。今日6日は広島平和記念日、9日は長崎原爆の日、そして15日は終戦記念日。1945(昭和20)年のその日から今年は78年になりました。人の一生に相当する年月が経ったいま世界は平和になったでしょうか。否々と言わざるを得ません。むしろ平和に逆行しているのが今ではないでしょうか。

 日本について言えば日本は辛うじて平和を保っています。これはひとえに戦後の日本が憲法9条を守ってきたからです。しかし、この日本の平和も「薄氷を踏むがごとし」という状況にあることは否めません。これからは一層一国だけが平和であることは不可能なのです。

 その日本は世界の平和のために貢献できているでしょうか。確かに日本もウクライナに対しては相応の支援を行い、米英やEU諸国と共にロシアに対する制裁を続けてはいますが、日本独自の平和外交は全くしていないと言わざるを得ないでありましょう。日本は憲法9条を掲げた平和外交をすべきなのです。

 今年519日から3日間、広島で主要7か国首脳会議(G7サミット)が開かれ、出席した各国の指導者が原爆資料館を訪れたほか、ウクライナのゼレンスキー大統領の異例の訪日がありましたが、会議で問われた「平和」と「核なき世界」への進展はあったでしょうか。私はこれにも否々と言わざるを得ません。

 分けて「核なき世界」については態々広島を会場にした意味は皆無であった思います。被爆者団体がその成果に「幻滅」したように核なき世界への一歩の前進もありませんでした。日本はいまだ核兵器禁止条約に批准どころかオブザーバー参加さえしていませんが、広島でするならそこに踏み出すべきではなかったでしょうか。


 ウクライナへの武力侵攻を続けている“野望鬼”プーチンには正常な判断力は期待できません。このままでは戦争が長引いて罪ない人々が犠牲になるばかりです。一刻も早く戦争が終わり、ウクライナに平和が戻るよう皆さま祈りを続けて下さい。真の祈りは力です、エネルギーです。


史上の戦争はすべて悪。

史上の平和はすべて善。

  <ベンジャミン・フランクリン>