いまこそ九条 №694

 いまこそ九条

令和4年8月15日

       戦争は二度とするなという願い薄れゆくいま守れ九条 

 今年戦後77年、戦争を身を持って体験した人はもうほんの僅かになりました。しかしその体験者が異口同音に言われることは「戦争はつらかった悲しかった。もう2度と戦争はしたくない、。戦争をしてはならない」ということです。

 しかし、その戦争体験者たちの願いを私たちは真に受けとめその願いを継承しているでしょうか。残念ながら私にはそうは思えません。戦争の記憶の風化とともに平和は私たち一人ひとりが守るべきものであるという意識が薄れつつあるように思われてなりません。ウクライナの惨状が毎日伝えられていながらそれを自らの苦しみになしえていないのです。

 私はこのいまこそ「戦争と武力による威嚇と行使を放棄し陸海空軍その他の戦力を保持しない」という憲法9条を守ることを意識すべきだと思います。9条は国権の発動たる戦争と武力による威嚇とその行使を「永久にこれを放棄する」と言っています。なぜ「永久に」か。私はその永久に大きな意味があると思います。

 上のことは以前にも申し上げたことがあると思います。「永久に」という言葉を入れた9条の創案者は時代の流れによって9条が揺らぐことがあることを想定していたに違いありません。だからこそ9条が時代の変化で変えられることがないように「永久に」と言う言葉を入れたのだと思います。この言葉の重さを私たちはしっかり捉えなければなりません。

 いま自民党は改憲、別けて9条に自衛隊を明記することを企んでいます。これこそが「永久に」に反する行為そのものと言うべきでありましょう。自衛隊を明記した9条がどうなってしまうかを知っていて企図するのであればそれはロシアのプーチンと同じです。いつかはプーチンと同じように世界の平和を破壊するに違いありません。


 これも以前申し上げました。9条は日本国民が悲惨な戦争の苦しみと悲しみの末に辿り着いた悟りなのです。悟りは何もないところには生まれません。苦しみ悲しみを体験したからこその悟りなのです。私たちはいまこそ戦争を体験した人たちが辿り着いた戦争はしないという悟りを守り続けていかなければなりません。


「人間は歴史から何も学ばないことを学ぶ」


  ではダメなんだよ。


 「雲水」考 №693

 「雲水」考

 令和4年8月10日

 ものはすべて変化します。すべてのものは変化していきます。例外はありません。我が身を振り返ればそれが納得されるでありましょう。私たちはみな赤ん坊の時がありました。赤ん坊の時を記憶している人は少ないと思いますが私たちは誰一人残らず赤ん坊でありました。しかし茫々ン十年。いまの自分には赤ん坊のかけらさえありません。

 その変化、一刻も留まることのない移り変わっていくことを象徴的に表しているのが「雲水」でありましょう。雲水は雲や水のように諸国を行脚する禅僧を指す言葉になっていますが実は雲や水のように変化しながら人生という旅を続けるという意味では禅僧に限りません。そう思っていて次の法語をつくりました。

      行雲悠々漂蒼穹   雲はゆったり空をゆき

      流水蕩々遊海風   水は流れて海にゆく

      雲水人間回三界   三界めぐる人も同じく

      無常永遠而無窮   永遠無常の旅をゆく

 悠々と空をゆく雲。しかしその雲も常に変化しています。大きくなったり小さくなったりしていてひとときも固定した状態にはありません。水もまた同じです。川となって流れていても早瀬になったり淵になったり一刻として同じ状態ではないのです。私たち人間も全く同じです。雲や水と同じように変化を繰り返しながら旅をしていくのです。

 その変化の旅を修行という言葉に言い換えるならば私たちの毎日は修行です。私たちに一日として同じ日はありません。毎日毎日が変化の日。その毎日毎日の変化の日が私たちの修行の日々なのです。前にも申し上げたことがあるかも知れません。修行は僧侶に専属するものではありません。私たちすべての人の課題なのです。


 私は人が生きること、それが修行だと思っています。生きる毎日は楽しいことばかりではありません。つらいこと悲しいこと悔しいこと腹が立つことがあります。それらに対して喜んだり悲しんだり悔しがったり怒ったりすること、それが修行でなくて何でありましょう。一生は修行。毎日の修行が人生なのです。



世の中は何か常なる飛鳥川

昨日の渕ぞ今日は瀬になる

           古今和歌集


地球温暖化考 №692

 地球温暖化考

令和4年8月8日

    桑の葉の照るに堪へゆく帰省かな    秋櫻子

 上は水原秋櫻子の第一句集「葛飾」に納められている句です。夏の日差しが容赦なく照りつける桑畑の道を久しぶりに帰省する様子が目に浮かびますすね。句集「葛飾」が出版されたのは1930(昭和5)年でした。

 夏の帰省はお盆に合わせることが多かったと思いますのでこの句が詠まれたのも8月でありましょう。このごろはあまり聞かれなくなりましたが、夏の日差しを「かんかん照り」と言いましたね。上の句はまさにこのかんかん照りを詠んでいると思います。句集「葛飾」が出された昭和5年の東京の8月の平均気温は30.6℃だったそうです。

 では昔も今も暑さは変わらないのか。そう思ってこの100年余りの東京の8月の平均気温を調べてみました。そうしましたら18751925年の50年間で平均気温が30℃以下だった年は29年ありましたが、19772021年までの50年間では30℃以下は僅か6年に激減していました。特に最近の4,5年は気温そのものが高くなってきていることが分かりました。

 上の通り、ここ50年の真夏日の増加だけを見ても地球温暖化が確実に進んでいるということでありましょう。気象庁は気温の上昇に伴って熱帯夜や猛暑日が増え、冬日(最低気温が0℃未満の日)が少なくなっている一方、一日の雨量が100ミリ以上という大雨の日数が増える傾向にあると言います。間違いなく地球温暖化のためでありましょう。

 今年の梅雨明けは全国的に早い梅雨明けになりました。ということは雨がいつも通りに降らなかったということであり、このために全国各地のダムで貯水量が減り取水制限をしなければならない所がありました。地球温暖化は世界が取り組まなければならない問題です。しかし、世界もこの日本もどれだけこの問題に必死になっているでしょうか。


 またまた爺ばかになって恐縮ですが、先日小6になる孫(晴くん)が家族を前に「環境問題は自分たちの将来を考えると最も重要なことだから真剣に取り組みたい。戦争なんかやってる場合じゃない」と言ったそうです。私はその若い人若い力に期待して止みません。それなくして地球の未来はないのです。



グレタ・トゥーンベリさんに続け!