温もりの力 №178

平成25年1月23日

温もりの力      

     読経する吐く息白し厳寒の朝のお勤め寒さ身に沁む
 ここ数年、暖冬が続いていたためか、去年今年と冬の寒さが身に沁みます。まして今は大寒のさ中、当然とは言え寒さが応えますね。上の一首はその思いです。この寺の朝のお勤めは毎朝6時ですが、その時間、本堂は冷え冷えとしています。まだ外は暗く戸を開けると雪崩込む朝の冷気に思わず身震いするほどです。

 その日の朝の冷え込みがどの位かは読経に使う鐘や木魚の撞木でも分かります。冷え切っている日はその撞木が冷たくてまるで氷の棒のようなのです。耐えきれず衣手にすると今度は撞木が滑ってうまく打てません。仕方なくお経の合い間に手を擦り合わせたり息を吹きかけたりという最後の手段をとることもしばしばです。

 そんな日はお勤めが終わってお(あかし)を消す時、 香炉の残り火に手をかざすことがあります。香炉には香を焚くために1センチ角ほどの炭を使うのですが、その残り火など高が知れていることは申すまでもありません。しかし、そこに手をかざすとやがてほのかな温もりを感じるのです。残り火の僅かな温もりがかじかんだ手を癒してくれるのです。

 思えば、人の世も同じではないでしょうか。人の人に対する思いやりや祈りが真に熱を持ったものであるならば、その熱がたとえ僅かであっても、それは必ずある時は人を勇気づけ、ある時は癒しの力になってくれるに違いありません。親や先生のたった一言の励ましが子どもの生涯を決定づけることも稀ではありません。それは言葉の力、熱の力なのです。

 道元禅師はそれを「愛語」と言われました。人を励まし勇気づける行為の一つは愛の言葉だと言われました。人に話すとき、あたかも赤ちゃんに接するように慈愛の心を持って話すことが愛の言葉になると言われるのです。敵であろうと味方であろうと、愛の言葉こそ人の世の根本であるとおっしゃるのです。
 
 道元禅師はさらに、その愛語を「直接聞いたならばその人は笑みを浮かべ心楽しくなる。人づてに聞いたならば心に深くその力を刻むであろう。愛語は時勢を一変させるほどの力があるのだ」と言われています。心したい言葉です。



    「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」
               ~水平社宣言~