「魂」ってなに? №634

 「魂」ってなに?

 令和3年5月20日

  先達て52日は重村祥子さんの正当七回忌でした。祥子さんのことは覚えて下さっている方も多いでありましょう。お花守りだけでなくあれこれ寺のお世話をして下さっていたお方でした。それだけにご病気で亡くなられたのは返す返すも残念なことでありました。今でも時折祥子さんの話になるのは人徳でありましょう。

 2日はこの時期とあって毎朝朝課にお出でのいつものお3人とささやかに七回忌の供養を致しました。が、その供養直後のことです。みんなが驚くほどの雷鳴がしたのです。霊的な話をしていると雷が鳴ると聞いたことがありますがまさにそれでした。その時、私たちが揃って思ったのはその日の供養を祥子さんが喜んでくれたに違いないということでした。

 仏教では人の死後、七日ごとの中陰(49日)、百か日に続いて一周忌、三回忌、七回忌と年回忌をするのが習わしになっていますね。これは何を意味しているかといえば人は死んだ後も魂として存在しているということです。個別の魂の存在を前提にしなければ供養はあり得ません。年回忌に限らずお盆もお彼岸も魂を前提にしなければ成り立たないのです。

 上の考えは元々は仏教のものではありませんでした。因縁によって生滅するものに実体はないという無我説の仏教は魂(霊魂)存在には否定的だったのです。しかし、輪廻転生の考えを取り入れる以上輪廻する主体がなければなりませんから必然的に魂の存在を認めざるを得なかったのでありましょう。

 元々輪廻転生を信じている私は魂の存在を疑うことはありませんが、では魂って何かと訊ねられると恥ずかしながら返答に窮します。ただ思うことはあります。シュタイナーが言うように人間は肉体とそれを動かしているエーテル体(気)、アストラル体(龍)、自我から成り立っているとすれば、このうちの「龍」がそれではないかということです。

 日本で言う龍は黒龍赤龍白龍金龍という言い方で人格の成長と発展を象徴していますが、まさにその通り私たち一人ひとりの人格は志向する意識によってつくられていると思います。その意識はエネルギーであり永遠に変化し続けていくものではないでしょうか。その変化し続けている意識こそ魂ではないかと思うのです。


  果てしなき生死の中の意識こそ

   人それぞれの魂なりけり

守ろう憲法9条 №633

 守ろう憲法9

 令和3年5月19日

 昭和2253日に憲法が施行されて今年74年になります。この74年、日本が平和を維持してこられたのはこの現憲法、とりわけその第九条のお蔭であることは多くの人が納得する処でありましょう。しかし、その一方でこの憲法の今後について不安な問題があることも事実です。その最たるものが改憲賛成の増加でありましょう。

 先日の毎日新聞によれば同新聞が社会調査研究センターと418日に実施した世論調査では改憲賛成が48%で反対の31%を上回り、9条に自衛隊を明記することも同じように賛成(51%)が反対(30%)を上回ったと言います。私はこれを単なる時代の流れと看過できません。平和国家日本の行く末に不安を覚えてならないのです。

 もちろん改憲論議には同性婚や夫婦別姓の問題もありますから改憲賛成が増えてもそれ自体が憂慮されるわけではありません。しかし、自衛隊明記は同性婚や夫婦別姓とは全く別の問題です。この自衛隊明記に賛成が多くなるということは第九条そのものの存立にかかわるのです。第九条を失うことになりかねないのです。

 皆さんはどうお考えでしょうか。第九条には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と記されていますが、自衛隊を明記するということはこの条文を削除して自衛隊という軍隊を持つということになります。ということは、第九条そのものを否定することになります。中国や韓国など近隣諸国が心配するのも当然でありましょう。

 憲法に軍隊としての自衛隊を明記するということは日本が軍拡に加わるということです。果てしない軍拡競争に平和はありません。平和に逆行するのが軍拡でありましょう。憲法第九条は多くの戦争犠牲者と悲惨をもたらした戦争の果てに私たち日本人が辿り着いた悟りです。私たちはその悟りを忘れてはなりません。憲法第九条を守らなければなりません。

 前にも申し上げたと思います。私は自衛隊は「地球自衛隊」にすべきだと思います。これから世界中で気象災害が増えるに違いありません。私は自衛隊に日本のみならず世界中で災害の救援と復旧に活躍して貰いたいと思います。世界の人に頼りにされる自衛隊になって貰いたいと思います。そのためにも守ろう憲法第九条です。


また言うよ。

  「平和をあなたにもたらすことができるのは、

   あなただけだ」

                <エマソン>

 

続「早寝早起き」 №632

 続「早寝早起き」

 令和3年5月18日

  前号で「早寝早起きのすすめ」を申し上げました。私たちがコロナに学ぶべきこと、それは「自然との共存」であり、そのための第一歩が「早寝早起き」ではないかという思いからでした。自然との共存は地球人全員に求められることです。まず誰もができることから自然との共存ということに意識を深めていきたいと思うのです。

 ただこれは個人の段階にとどまっていたら効果は限られると思います。この早寝早起きの持つ意味を社会に広げていってこそ大きな力になると思います。私はその取り組みで一番期待したいのが会社や官庁などの職場そして学校です。早起きの1時間を始業時刻を1時間早めることに充てて貰いたいのです。

 職場や学校で始業時刻を1時間早めるということは終業時刻が1時間早まるということです。5時終業が4時になるのですからそのまま帰れば春から秋にかけては家庭菜園の世話もできるでありましょう。家庭菜園に限らず趣味の時間に充てることが可能です。それらができるようになってこそ早寝早起きの意味があると思うのです。

 私は上に加えて労働時間の短縮を望んで止みません。現行の8時間労働制を改めて7時間労働にしたら終業は午後3時になりますからより多くの時間を自分の時間として使うことができるようになります。そうなれば毎日に人間らしい生活を実感できるに違いありません。その実感こそが自然との共存につながるのだと思います。

 皆さんも最近「SDGs」という言葉をよく聞かれると思います。この言葉は「持続可能な開発目標」と訳され、達成すべき17の項目が挙げられています。この中にはエネルギー問題や気候変動対策、海の豊かさ陸の豊かさを守ることなどがありますが、それらの達成には早寝早起きが寄与できるものが大きいと思われてなりません。

 電気やガスなどのエネルギー消費減少につながる早寝早起きは気候変動の要因である二酸化炭素(炭酸ガス)の排出抑制になりますし、自然の有難さを思う生活は海や川、森などを大切にする行動につながっていくでありましょう。未来のためにいま私たち一人ひとりができること、それが早寝早起きではないでしょうか。


孫ひ孫 生きる地球を 守るため

  いま私たち 何をすべきか