「日本の衰退」 №657

 「日本の衰退」

令和3年11月16日

 もう一ヵ月前になりますから些か旧聞になりますが先月1017日の毎日新聞一面トップに「日本の衰退 想像以上」という大見出しをつけた池上 彰さんと高村 薫さんの対談記事がありました。ちょうど衆議院選挙の前とあって選挙のこと初めコロナのこと、日本という国のあり様など興味深い内容でした。私見を交えながら紹介させて頂こうと思います。

 まずは先達ての衆議院選挙のこと。皆さんご承知の通り自民党が数は減らしたものの単独過半数を維持という結果になりました。髙村さんが「若い方の保守化が進んでいると言われていますのでますます自民党が強くなる可能性があります」と予測した通りになりましたね。2030代の投票率が低かったのも保守化の一端だったでしょうか。

 対談の初めに高村さんは「想像していた以上に日本が絶対的に衰退していた」と言われていますが、私は高村さんが指摘された行政のシステムの衰退(劣化)とともに国民の衰退と劣化があると思えてなりません。若者の保守化はまさにそれではないでしょうか。諦めが無気力を生み、政治に無関心なっているのだと思われてなりません。

 コロナについて髙村さんは「日本人はよくやった方だと思います」と言われる半面、「問題は国あるいは首相が責任を取らないことにあった」とし、加えて「不祥事を起こした企業を含めて本当に甘い。日本全体が責任を追及しない社会」と言われています。いま日本全体が責任を取らない社会になっているという指摘には同感しかありません。

 では、この衰退した日本の活路はどこにあるのか。髙村さんは「もっと風通しをよくして自由にしないと若い人が育たない。年寄りが若い人に道を譲ることをしていきませんと」と言い、池上さんもわが国では戦後、否応なしの世代交代が活力になったことを挙げて「世代交代するサイクルを政治や経済でも作らないといけません」と言われています。


 両氏が言われる世代交代には全く同感です。もはや旧来の政治政治家ではこの先の世界も地球もないと思います。いま世界で沸き起こっているグレタ・トゥーンベリさんを始めとする若者による地球温暖化防止の運動、私はその運動こそが近い将来、世代交代をする力になってくれると信じて止みません。


日は中すれば則ち(かたむ)き、

  月は(みつ)れば則ち()

          <易経>

続・コロナに学ぶ №656

続・コロナに学ぶ

令和3年11月11日

 前号(№655)で人類とコロナとは共存しかないこと。それは中井衛さんがチョウの観察で発見した「棲み合い」であること。そしてその共存、棲み合いは対コロナだけでなく人類に当てはまり、その共存こそが世界平和の原点であることを改めて申し上げました。コロナの出現は人類に共存の大切さを教えているのだと思います。

 上のことを考えていて私たちがさらにコロナに学ぶべきことがあると思い至りました。昨年311日にWHOがコロナパンデミック宣言を発して以来一年半以上私たちは様々な対策を強いられました。3密回避、手洗いうがいの励行、ソーシャルディスタンス、在宅勤務、オンライン授業、ワクチン接種等々幾つもの面倒を強いられてきたと思います。

 その結果、私たちはそれまで何ともなくできていたことができなくなったり控えめにせざるを得なくなったりということになりました。そのことによるマイナス面は多かったと思います。小中学校を初め高校大学などで対面授業ができなかったことは教育の原点から見て大変なマイナスであったと思います。

 コロナのために仕事を失った人の多くが生活難に直面しました。分けて母子家庭のお母さんの中には登校できない子供を見るために収入減どころか仕事を失う人も少なくなかったことには言葉がありません。しかし、これらマイナス面の一方、生活の改善改良につながるのではないかと思われることもあります。

 その点で私が最も期待しているのは脱無駄遣い、生活の質素化です。私たちは戦後のこの70数年、大量生産大量消費の掛け声の中で「もったいない」を忘れて生活を過大に膨張させてきたと思います。家族の縦のつながりを失って生活の中の祈りをなくしました。化石燃料の莫大な使用は地球温暖化をもたらしました。


 私はコロナがその反省を教えていると思います。私たちがコロナに学ぶべきことがそれではないでしょうか。生活の中に質素を取り戻し無駄遣いを改めること。人間もまた地球生物の一員として生かされていることを再認識して心に祈りを取り戻すこと。私たちはそのことをコロナに学ぶべきだと思われてなりません。


困ること、不都合なことの中にこそ

  教えが隠されている。


 再び「共存」考 №655

 再び「共存」考

令和3年11月6日

 コロナの感染者が減ってきました。東京都を例にとると、5000人を越える日が何日もあった8月中旬をピークに40003000人台となり、9月半ばには1000人以下に、そして10月半ばからは100人以下になりました。この間、今年最少という日が何日かあり、呼応するように感染者ゼロという県が111日には21県、4日には24県を数えています。

 上の傾向は当地山口県でも似たことが言えるようです。東京で5000人を越えた818,19両日は山口県でも100人を越える感染者がありましたが、その両日以後は100人以下となり、9月半ばからは1ケタ台の日が2ケタ台の日より多くなっています。そして113日、当県も103日ぶりにゼロを記録しました。感染者数でみる限りよい方向なのかと思います。

 上の東京山口の状況からひょっとしてという希望を抱く方もあると思いますが、残念ながら感染者減=コロナ撲滅ではありません。一件落着とはいかないのです。ところへ、「コロナウイルスの終息とは、撲滅ではなく共存」という本を見つけました。著者は池上彰さん。コロナとの「共存」はすでに私も言っていることですが、その本を読んで改めて思うことがありました。

 私が思い出したのは「棲み合い」ということ。棲み合いこそ共存ということです。これについてはこのたよりですでに2回申し上げました。1度目は平成3118日(№520)号、2度目は今年117日(№616)号です。この棲み合いの論理を発見されたのは中井衛さん。中井さんは50年に及ぶチョウの観察によってこの事実を発見されたのでした。

 中井さんが長年のチョウの観察を通して発見された「チョウの近縁種は競争をしない」という事実。中井さんは「チョウの近縁種は互いに分布域が重なるように行動し互いの種の識別能力を失わない仕組みを維持している。その識別能を残すことが相互に生き延びることにつながる。そこに生物多様性の原理が秘められている」と言われるのです。


 中井さんが発見されたこの棲み合いの論理こそ「共存」そのものではないでしょうか。人間とコロナとの共存にそのまま言えることではないでしょうか。そしてさらに人間はこの棲み合いの論理で民族の違いを乗り越え世界平和を達成すべきではないでしょうか。棲み合いは共存。共存こそ平和です。珍重。

やっぱり思うよ。

「棲み合いの論理」の発見はノーベル平和賞だにゃーん