樹木葬(合葬墓)造営 №572

樹木葬(合葬墓)造営
令和二年1月18日

 昨年より計画を進めてきた樹木葬(合葬墓)がまもなく着工できる運びとなりました。ここに至るまでにはまず近隣の皆さまにご同意を頂いたり市の担当課に何回も申請書を提出したりで大変でしたがようやく着工にこぎつけられました。ご協力賜りましたことに御礼申し上げます。

 つくろうとしているお墓がどんなものかは出来上がりをご覧下さらないと分からないと思いますが、簡単に申し上げれば頂点60㎝ほどの墳丘の中央にシンボルツリーとしてカヤの木を植え、周縁に納骨場所を設ける予定です。場所は本堂の真裏。こじんまりながらもホッとして頂けるようにと思い、計画を進めて参りました。お詣りをする方、される方、双方にとって心安らぐ場となって頂けることを願っております。

 この観音寺が上のようなお墓の造営を思ったのは最近お詣りの方々にお墓の悩みを伺うことが多くなったからです。皆さますでに「墓じまい」という言葉を耳にされていると思いますが、この墓じまいを切実に考える方が多くなったのです。中でも多いのは自分の後お墓の面倒を見る人がいないという例です。その方々に息子や娘がいない訳ではありません。しかし、その息子や娘は山口を離れて生活している為、こちらに帰ることはないという訳です。

 また一方、自分のお墓のことで子どもたちに負担をかけたくないと思われる方も少なくありません。これも時代の趨勢と言うべきなのか、いずれにしてもこのお墓の問題はこれから益々増えていくのではないでしょうか。当院がつくろうとしている合葬墓が皆さまの一つの解決策としてお役に立てればと願っております。


         <豪雨災害・首里城復興支援寄付御礼>


 ご報告が遅くなりまして申し訳ございません。台風1519号で被害を受けた方々への支援並びに沖縄・首里城の復興支援ご寄付有難うございました。豪雨災害については寺分を合わせて28896円、首里城復興には寺分を含めて16604円を日赤、毎日新聞、首里城復興募金事務局宛に送りました。御礼方々ご報告申し上げます。


皆さまの温かいお心で豪雨災害被災者が元気を取り戻し、
首里城が早く復興されるよう祈っています。

月の満ち欠け №571

月の満ち欠け
令和二年1月17日

 今年、一番目にするカレンダーを月の満ち欠けが描かれたものにしました。かねがね、ほしいと思っていたのですがなかなか手に入らなかったのです。このカレンダーをお使いの方はご存知の通り、月カレンダーには新月から満月、満月から新月に到る毎日の月がどんな形をしているかが絵で示されているのです。

 以前申し上げたことがありましたね。私たちがよく口にする月の形には三日月、上弦、満月、下弦などがありますが、天体的に言えばそれらを示す時刻があります。天文学的には三日月という瞬間、上弦という瞬間、満月という瞬間があるのですね。ということは、月は新月から満月、そしてまた新月に戻るまで一瞬も留まってはいないということです。

    色即是空   すべてが空で

    空即是色   空なるすべて

    色即無常   すべてが無常

    空即無常   空とは無常

 昨年のこのたより(№559)で「空即無常」ということを申し上げました。「空即是色」を三段論法のAとし、「諸行(色)無常」をBとすればAイコールC「空即無常」となり、色即是空というのは色即無常、諸行無常に返るということでした。このことを思いついてから私は仏教の教えは「諸行無常」に尽きるという思いでいます。

 上の今日初観音の法語はその思いの延長です。般若心経は「色即是空・空即是色」だと言います。観音さまは「五蘊皆空」であることを「照見」して「一切苦厄」を超越することができたと言います。五蘊とは色受想行識、人間の肉体と精神を言っていますが、結局、「五蘊皆空」も「諸行無常」と同義語でありましょう。

 改めて申し上げます。私たちが見ているお月さまは日毎に形を変えています。それはお月さまが一日たりとも同じ形ではないということです。いえ一日どころではありません。一瞬一刻たりとも同じ状態に留まってはいないのです。それはものみな全てがそうなのです。私たち人間も例外ではありません。月と同じように。
 
 
 
 生き物は時間を刻む時計です。自分自身が時計なのです。
 

 

「いまにきっといいことがあるよ」 №570

「いまにきっといいことがあるよ」
令和二年1月5日

 このたより前号で今年がヒューマンルネサンス「人類再生元年」になることを願いました。既成の政治とは無縁の若い力が世界中に沸き起こることを願いました。私はグレタ・トゥーンベリさんの出現にその予兆を感じています。世界の政治や社会が混乱の極みに達した時には必ずその状況を反転する力が生まれると思うのです。

 そのことは同時に私たち自身が新しい力の台頭を信じてそれを願わなければなりません。願いはそれを信じなければなりません。その実現を祈らなければなりません。道元禅師もおっしゃっています。「切に思う心深ければ必ず方便も出で来るようもあるべし」と。そうなのです。真剣に求めなければ願いは叶わないのです。

そこで、皆さんに新しい世界の実現を信じて頂くために私の「まほうの言葉」をご紹介したいと思います。それが表題の「いまにきっといいことがあるよ」です。実はこの言葉はもう60年以上も前、私が高校一年生の丁度この時期、年賀状配達のアルバイトをした時に雑貨屋のおじいさんに頂いた言葉なのです。

 その年、私は友人と二人、学校の掲示板に貼られた年賀状配達のアルバイトに応募したのでした。そのアルバイトはかなりハードなものでした。朝から夕方までまる一日がかりの配達。それも全く知らない農村地区です。局の人が一緒に回ってくれたのは初日一日だけ。二日目からは道順もうろ覚えのまま回らなければなりませんでした。

 三日目だったと思います。生憎その日は朝からみぞれ。配達の家が分からず、訊ねようとして農村ですから聞く人もいません。午後の分を受け取る村の雑貨屋さんに着いたのは予定の時刻をとうに過ぎていました。みぞれ雨に濡れたその時の私は半べそだったに違いありません。「途方に暮れる」という言葉そのものでした。

 その時、雑貨屋さんのおじいさんが言ってくれたのです。「いまにきっといいことがあるよ」と。私はその言葉に救われました。泣きたい気持ちが一遍に救われました。それから60年、雑貨屋のおじいさんがくれた言葉が自分の人生折々の励みになりました。どうぞ皆さんもこの言葉にあやかって下さいますよう。




叩けよ さらば開かれん。

 求めよ さらば与えられん。

ヒューマンルネサンス №569

ヒューマンルネサンス
令和二年1月1日

 令和二年になりました。令和になって初めての正月、皆さまどんなお気持ちで新年を迎えられましたでしょうか。いきなり古い歌で恐縮ですが、宮城真理子さんの「ガード下の靴磨き」に「風の寒さやひもじさにゃ馴れているから泣かないがああ夢のない身がつらいのさ」という歌詞がありましたね。生きる時に一番大切なものこそ「夢」だと思うのです。

 皆さんはこの令和二年にどんな夢を持って下さいましたでしょうか。勉強のこと仕事のこと趣味や願いごと等々に成績を上げたい飛躍したい上手になりたい叶えたいという望みや夢をお持ちだろうと思います。それらが達成できるかどうかよりもまず夢や希望を持つことが先決ですね。まず今年の夢を描いてそれに邁進して頂きたいと願って止みません。

 で、今年の私の夢を申し上げましょう。それは表題の「ヒューマンルネサンス」。訳せば「人類再生」ということになりましょうか。私が今年一番望んでいるのが“人類再生”なのです。私たちは今年を元年にして私たち人類が新しい生き方を目指さなければならない。今までとは反転した生き方をしなければならないと思うのです。

 私がそのように思ったのはいまの世界は上の願いとは逆にあると思われてならないからです。いま私たちにとって最大の課題は地球温暖化対策です。そしてもう一つは世界の平和です。この二つの課題に私たち一人ひとりが真剣に向き合わなければなりません。でも世界の指導者はみな自国ファーストに溺れています。それではならないのです。

 その状態にあって私が唯一希望と感動を覚えたのがグレタ・トゥーンベリさんの出現でした。既成の政治に敢然と立ち向かって地球温暖化対策を訴える16歳の女性。そこに私はこれからの世界、私たち人類が再生する予兆を感じるのです。いま地球そして私たちの世界はこれまでの意識とは反転した生き方をしなければならないと思うのです。


 私たちの地球、私たち人類はいまそこまで追い込まれていると思います。もはやその危機的状況に対処しなければ未来がないところまで来ているのです。私はグレタ・トゥーンベリさんに続く若い人たちが世界中に出てくると思います。もちろん日本にもです。そしてその若い力によって人類が生まれ変わることを切に願っております。


 君と僕が夢を叫ぶ
世界はそれを待っているんだぜ 
<サンボマスター>