如在(いますがごとく) №60

平成22年10月17日

如在(いますがごとく)

 先達て、と言っても九月初めのことですが、NHKテレビを見ていたら洗骨の風習を受け継ぐ奄美大島の家族のことが紹介されていました。洗骨というのは土葬後何年か後に骨を取り出して洗い清めることです。わが国では火葬は奈良時代に始まったとされています。しかし、これはすぐには普及せずそれ以後も土葬の方が一般的でした。そして、その一部に土葬後骨を取り出して洗い清めこれを再び別の場所に葬り直すという風習が残りました。 私がテレビで見たのはその洗骨の儀式だったのです。

 私が感銘を受けたのは今なお洗骨の風習を受け継いでいるところがあるということでしたが、もうひとつ感動的だったのは洗骨を持ち帰った家の祭壇に「如在」と書かれた札が掲げられていたことでした。私はこの言葉を「論語」で知ったのですが、その論語には「祭ること(いま)すが如くし、神を祭ること神(いま)すが如くす」とあります。

 この意味は「ご先祖のお祭りにはご先祖がおられるようにし、神々のお祭りには神々がおられるようにする」ということです。洗骨の儀式をされた家に掲げられていた「如在」という言葉はまさにこの意味であったのです。思えば儀式当主の態度はその日の主役ともいうべき今は亡き母の実在を信じて疑わぬ恭順さであり、それに倣うお孫さんなど家族の人達も祖母その人を目前にしている風でした。
 
 私が常々申し上げることは「神仏は信じる人に実在する」ということですが、観音様であれお地蔵様であれ阿弥陀様であれそれを信じる人にはその仏様が実在されるのです。そしてその実在によって救われ助けられるという不思議を体験することが出来るのです。ですから逆に言えば神仏を信じない人には神仏も神仏による不思議もあり得ないのです。どうぞ皆様もご先祖や神仏に祈るときは「如在」を思って下さい。そのことによって私たちはご先祖や神仏と一体化することが出来るのです。



     すべての人はただ仏を信ずること一つによって
       救われさとりが得られる
            ~仏教聖典「信仰の道」~