念彼観音力
令和3年3月27日
前号で孫娘の幼稚園の送り迎えが終わってしまうのが淋しいと言う私のカミさんのことを申し上げましたが、言ってみればこれも生きていくうちに感じる苦難でありましょう。四苦すなわち生老病死のうちの第一、生苦は普通生れ出る時の苦しみと言われますが私は「生きていく」上での苦しみが生苦だと思います。
ところへ、Yさんから「一人でいるとぽつんと取り残されたような不安に襲われます」とメールを頂きました。ぽつんと取り残されたような不安な気持ちはきついです。皆さまも同じような不安をお感じになったことはあるでしょうか。他人には恐らく分かって貰えない孤独な思いというのはつらいです。
Yさんから不安の解消を尋ねられましたが名案が浮かびません。気分転換に出かけてみるとか歌を歌うとかはどうですかと世俗的なことを申し上げましたが、それをする気持ちになればともかくそんなことで易々と解決することでないことはもちろんです。祈る思いで苦しみからの解脱のチャンスを待って下さいと申し上げるばかりでした。
私はその時苦しみからの解放という意味で解脱という言葉を使いながら恥ずかしいことに観音経を忘れていました。観音経は私たち人間の苦しみからの解脱を言っています。火難水羅刹難王難鬼難などの七難初め数々の災難から逃れる(解脱)ためにはただ一心に観音さまの名を唱えることだというのです。
毎月、観音さまの会の時詠んでいる観音経の偈に何回も「念彼観音力」という言葉が出て来ますね。その言葉です。念彼観音力(彼の観音の力を念じる)とは観音さまのお名前を唱えるということです。降りかかった苦難から解脱させて貰えるように観音さまの力を頂くために一心に観音さまのお名前を唱えるということです。
観音さまのお名前は「南無観世音菩薩」でも「おんあろりきゃそわか」でも随願即得陀羅尼になっている十一面観音様のご真言「おんまかきゃろにかそわか」でもいいと思います。大切なことは一心称名です。ただ一心に観音さまに救いを求めれば観音さまは必ずその願いを聞き届けて下さるのです。合掌。
信心すなわち一心なり、
一心すなわち金剛心、
金剛心は菩提心、
この心すなわち他力なり
<親鸞聖人>