嘱託殺人考 №600

 嘱託殺人考

令和2年8月28日 

 皆さまも記憶に新しいことと思います。先達てALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う52歳の女性が死を強く希望しネットを介して知った二人の医師によって死を遂げたという事件です。ニュースを聴いた皆さんも同じであったと思いますが、その女性が幾ら死を望んでいたとはいえ後味の悪さは拭い切れません。

 伝えられるところによれば女性はALSによって体の自由が効かなくなり介護してくれる人に依らなければ何一つできない体になったことを苦しんでいたと言います。発症前の若く颯爽としたお姿を見ればそれもうべなるかなと思わざるを得ません。治る見込みのない病気になったことをどんなにか悔しく無念に思ったことでありましょう。

 そんな中で女性が早く死にたいと思ったことを責めることはできません。それほどの苦しみを味わった人に「もうちょっと頑張って頂きたかった」とは誰一人言うことはできません。その方の苦しみを思えば思うほど死の選択がその方の文字通り苦渋の決断であったと認めざるを得ないと思います。

 しかし、最初に後味の悪さ、と書きましたのは、この女性の死がネットを介して知り合った二人の医師による「請負」であったことです。二人の医師のうち一人に女性から130万円が振り込まれていたそうですが、これは明らかに報酬を受け取っての「仕事」だったのでありましょう。そこには女性の苦しみに寄り添うものはなかったと思います。

 この事件が裁判になるのか、裁判になった時どんな判決が出るのかは分かりません。安楽死が認められていない我が国では1962年の名古屋高裁判決に、安楽死として違法阻却となるための6要件というものがありますが、その第一の「不治の病で死が目前に迫っていること」については妥当性が疑われるのではないでしょうか。

 そして、もう一つ気になることがあります。それは二人の医師の根底にある生命感です。もしその背後に医療費のことがあればそれは由々しきことと言わざるを得ません。安楽死と医療費増大の問題とは全く別問題であるからです。私たちはいま自らの死の選択を迫られる時代になったと思います。


安楽死は人間の尊厳ゆえの苦しみです。

イヌやネコには安楽死はありません。


戦後75年 №599

 戦後75

令和2年8月15日

      原爆忌75年の今年なお悲願のままの世界の平和

      年経ても癒えぬ悲しみ切なさにただ黙しおり敗戦の日

 今年戦後75年、上の二首はその原爆忌、敗戦の日の思いです。戦後75年という年月は決して短いものではありません。その年月が過ぎてなお上の思いなのです。

 いまから5年前、戦後70年の2015(平成27)年の9月、あの安保法案が自民公明両党によって強行採決されました。皆さまも記憶に新しいことと思います。安保法案は多くの憲法学者を初め元最高裁長官、歴代内閣法制局長らがこぞって「違憲」であることを主張しました。しかし、安倍首相にはそれを聴く耳がありませんでした。

 その安保法案では集団的自衛権が容認され自衛隊が海外に派遣される条件や規模が拡大されました。この二つによって日本は戦争をする国になったのです。9条という世界に誇る平和憲法を持ちながらその憲法9条をないがしろにする法案が安保法案でした。これを成立させた自公両党の罪深さは言を俟たずと言うべきでありましょう。

 皆さんは具体的にどうお考えでしょうか。もしアメリカがどこかの国と戦争になれば日本は安保法によってアメリカに加担します。それがたとえ後方支援であっても相手国は日本を戦争当事国とみなして日本を攻撃するでありましょう。その時再び核兵器が使われたらどんなことになるでしょうか。冗談でなくコロナどころではないのです。

 先日、ラジオ深夜便で硫黄島の遺骨収集に何度も行っているという男性の話を聴きました。その方のお父さんが硫黄島で戦死されたのだそうです。その時残されたのはその方のお母さんとその方を頭とする5人の兄弟。妻や幼い子どもを残し若くして死なねばならなかったお父さんはどんなに切なく無念であったでしょうか。

 その方は何回もの遺骨収集に参加して遺骨が「戦争は二度としてはならない」と語っていることを知ったと言います。戦争による一人の悲しみこそ平和の原点です。一人の苦しみこそ平和の原点です。戦争の悲しみと苦しみは人類の永遠の悲しみ苦しみです。私たちはそのことを忘れてはなりません。


戦争の悲しみ永遠(とわ)に消えぬなり

    その悲しみを平和の(いしじ)