長老になろう! №665

 長老になろう!

令和4年1月18日

 このたより、新年第1号「照顧脚下」を書いていて思い出したことがありました。それが表題の「長老になろう!」です。人生百年時代になった今、私たち自身がその百歳をどう生きるかが問われることになりましたが、と言って、じゃどうする、と自問するとその「どうする」が見つからないのが実情ではないでしょうか。実は私も、なのです。

 仕事も地域活動も卒業となる8090歳ともなると、それこそ毎日が日曜日。今日は何をするかになってしまうのではないでしょうか。いえ8090歳になっても体力気力十分な人はそれまでしていたことを続けられるでありましょう。でもそういう方はむしろ少数。体力気力共に不調をきたして当たり前なのが80,90歳代なのです。

 私が「長老になろう!」と申し上げるのはまさに上の時なのです。体力気力は衰えても80の人には80に至るまでの人生があります。90の人には90年の人生とそこに至る人生の積み重ねがあります。8090年の知識と経験があります。それこそが若い人たちに伝えるべき無形の財産ではではないでしょうか。

 往時、日本の社会は長老社会であったと思います。歳を重ねたものが尊重されたのは年寄りが長老であったからに違いありません。家でも村でも長老は家と村の将来と問題の解決に適確な示唆を与えることができたと思います。若者たちはその長老の意見に耳を傾け納得してそれに従ったに違いありません。長老の長老たる所以はそこにありました。

 振り返って今の日本はどうでしょうか。政官財界に年配者は数多くいます。でも日本の将来のために若い人に示唆を与えられる人がどれだけいるでしょうか。未来を語り得る在野の僅かな文化人以外には世代交代を要求したい人たちしかいないように思います。そのことは世界を見ても同じだと思えてなりません。


 私たちはまず私たち自身が長老になることに努めなければならないと思います。多年培ってきた自身の技量そして見解を若い人たちに伝えられるよう努力しなければなりません。そのような社会になれば日本は再び希望と活力のある社会になれるのではないでしょうか。皆さん長老を目指して頑張りましょう。


老いの身は、無益のことを言わずして、

 言葉少なく要ることを言え。

           新村出「童心録」

また「諸行無常」 №664

 また「諸行無常」

令和4年1月17日

 間もなく大寒ですが、皆さまこの冬は昨年より寒いと思いませんか。暮れにはクリスマス寒波があり年末寒波もありました。クリスマス翌日の26日には積もるほど雪が降りましたね。この時は日本海側の各県が大雪になったようですが下関市の山陽側で年内に積もるほどの雪が降ったのはここ数年なかったように思います。

 私がこの冬は寒いと思う理由はもう一つあります。それは朝風呂です。朝5時前に起きて坐禅して続いて祈祷と朝課で2時間近く火の気のないところにいると全身が冷え切って風呂に入らずにはいられないのです。この冬は12月早々からそれになってしまいました。去年は殆ど朝風呂をしていませんから去年とは全く違うのです。

 いえ、何でこんな話かと申しますのは夏冬がどんなに暑かろうが寒かろうが万物が変化していくことには全く関係がないと思ったからです。表題の言葉「諸行無常」は毎回申し上げている通り「一切のものは常に変化して止まない」ということですが。まさにその一切のもの、人間や動植物はもちろん無生物さえ変化し続けるというのが諸行無常なのです。

     青天朗々清澄朝    空朗らかに清き朝

     厳寒愈増万物寥    すべては寒さに静かなり

     而草木続地中営    されど草木は営みやめず

     耐寒精進待春跳    じっと堪えて春を待つ

 上は今日初観音の法語ですが、これに言う通り寒中厳寒のいまでさえ草木は地中の営みを続けています。草木は温かい春になったら花を咲かせ芽を出してまた一年の活動をします。しかし、その活動はある時ある瞬間に始まるのではありません。一刻の休みもなく続けられる活動によって花が咲き芽を出すのです。文字通り「不断」の営みの結果なのです。


 以前、無常に関連して月の満ち欠けを申し上げたことがありましたね。月の満ち欠けは無常そのものです。不断の無常の中に上弦があり満月があり下弦がありますが、その上弦も満月も下弦も無常の中の一瞬なのです。人間の一生また然り。無常に生きている私たちは不断の営み、不断の努力を怠ってはなりません。珍重。


千里の行も足下に始まる

(千里に道も一歩から)  

       老子(第64章)

共助ということ №663

 共助ということ

令和4年1月8日

 昨年8月、タリバンがアフガニスタンを支配して4ヵ月が経ちました。すべてを「イスラム法の枠内」とする中でアフガニスタンは民主主義国家ではなくなりました。世界の民主主義国家からは国として認められず経済はもとより外交の面でも一国家にはなり得ていません。女性の人権を認めない恐怖政治にあると言ってよいでありましょう。

 その状況で一番被害を被るのは女性と子どもです。とりわけ小さな子どもたちが餓死していると言います。人道支援さえままならぬ状態ではこれから子どもばかりか多くの人が飢え死にしてしまうのではないでしょうか。あまりにも悲しいです。救いの手が差し伸べられないまま無辜の人々が飢え死にするなんて許されることではありません。

 当観音寺では昨年暮れからアフガニスタンの子どもを救う一助にと募金活動を始めましたがつい先日、その募金で感激のことがありました。2年ぶりにこの観音寺に来た小1の孫娘が募金の話を聴くや「私も募金する。忘れないうちにする」と言って500円玉を入れてくれたのです。感激でした。感激しかありませんでした。

 募金に応じて下さる方の中にはむろん千円札を下さる方もあります。ですが孫娘の一か月のお小遣いは200円だそうですから入れてくれた500円が孫娘にとってどんな額であるかは分かっているはずです。孫娘にとっては大金のはずですが、その大金を募金にしてくれたことに私が教えられることがありました。

 実を言えば人間はコロナと「共存」するしかないということを私に教えてくれたのもこの孫娘ですが、今回の募金のことで私は「共助」ということを改めて考えさせられました。共助の根底にあるのは孟子の言う「惻隠(そくいん)の情」です。苦難にある人をいたわしく思う心です。そこに損得はありません。あるのは助けてあげたいという心だけです。


 これまでコロナに関して何回も申し上げてきた「共存」は互いに関りを持たなくとも成り立ちます。人間とコロナの共存はそれです。しかし共助には心があります。私たちはいま改めてこの共助を意識すべきではないでしょうか。これからの人間社会は共助を第一にすべきではないでしょうか。私はそのことを孫娘に教えられました。


惻隠の心無きは人に非ざるなり

      孟子(公孫丑上)


照顧脚下 №662

 照顧脚下

令和4年1月1日

 私の養護学校勤務時代の友人にUさんがいます。何時でしたか申し上げたことのある私を師匠と呼んでくれる貴重なお方です。Uさんは教員はすぐ辞めて特異な絵の才能を活かした仕事をしておられましたが、今はその仕事からも離れて悠々、この10年余りはこれも特異な視点による写真を撮り続けていて月に一度はその写真を私にも送ってくれるのです。

 実は先月の写真が砂浜に脱ぎ置かれたサーファー達のビーチサンダルでした。イメージして下さい。幾つものビーチサンダル。あるものはきちんと揃えられていますし、あるものは乱雑に脱ぎ捨てられています。その様は何かをイメージさせるに十分。Uさんはそれを見ながら「照顧脚下」という言葉を思ったのだそうです。

 Uさんはその照顧脚下という言葉を私から聴いたと言ってくれましたが、この言葉が表面的に意味するのは脱いだ履物を揃えるということです。しかし、この言葉の本来の意味は「おのれを振り返る」ということです。脚下とは自分自身、自分の足下であり、照顧とは省察し反省することです。自身を知るということに他なりません。

 ところへ、やはり私の教員時代のもう一人の友人Tさん、奇しくもこの方も美術教員で今は陶芸作家である方が手紙を下さいました。その手紙の中に「ゴーギャンが遺作に、われわれはどこからきたのかわれわれはなにものかわれわれはどこへいくのか、との問いを込めたのは1898年。この問いの120年後の答えの中に我々は生きています」とありました。

 思いました。UさんTさんの手紙にあった「照顧脚下」という言葉、ゴーギャンの遺作につけられた「われわれは…」という言葉。この二つの言葉こそ令和4年の年頭に際して私たちが意識すべき言葉ではないかと。自分自身そして人間という存在を省察するためにこの二つの言葉を考え直すべきではないかと。


 いま世界は目まぐるしく動いています。温暖化に伴う気象異変は人類はむろん地球上の生物が生存の危機に瀕しています。平和そして貧困も世界の緊急の問題です。今私たちの行動が求められている時、私たちは私たち自身そして人間という存在について深く考察し反省しなければなりません。


サーファーたちは波のりしながら

   照顧脚下しているだろうか。