教科書無償化運動 №408

教科書無償化運動
平成28年11月30日

先達て910日、曹洞宗山口県宗務所主催の人権学習で高知県に行ってきました。私は委員ではありませんが、今回初めて高知県に行くとのことでお誘いを頂き有難く参加させて頂いたのです。研修で教えられたことは、私が知らなかったことばかりで恥じ入りましたが、同時に高知県って日本の人権発祥の地とさえ言えるのだという驚きでした。

 私が全く知らなかったことの第一は、表題の「教科書無償化運動」でした。いま小中学校の教科書が無償配布されていることは、皆さま「当然」とご存知と思います。しかし、昭和45年以前に中学校を卒業している方は教科書を買った世代。その一人である私は、教科書無償化は時代の流れの中で自然になされたようにしか思っていませんでした。

 ところが、違うのでした。教科書無償化は高知市長浜地区小中学校のお母さんや先生たちの大変な運動の結果なのでした。私はそのことを全く知りませんでした。1961(昭和36)年3月、長浜地区に「教科書をタダにする会」が結成され、この運動が全国的に発展して教科書を無償化する法律が作られ、昭和38年から無償化が始まったのだそうです。

 この運動の先駆けとなった長浜というところは当時、半農半漁の貧しい村で、土地の人たちは失業対策事業で一日300円を手にするのがやっとだったそうです。そんな生活では小学校で700円、中学校で1200円したという教科書代を工面するのは容易でなく、毎年3月はお母さんたちにとってつらい月であったと言います。

 そんなお母さんたちの意識を変えたのは、先生たちと続けていた学習会で、憲法第26条に「義務教育は、これを無償とする」とあることでした。その条文は親が子どもに普通教育を受けさせる義務を負うことと同時に国の責務も明確にしているものでした。先生やお母さんたちはこの条文に勇気を得て無償化運動に取り組んだのだそうです。

 この無償化運動は決して順調だったわけではなく多くの困難と挫折があったそうですが、それだけに初めて真実を知った私は驚きと同時に運動に取り組んだ方々の努力に敬服せざるを得ませんでした。今なお声を上げなければ物事が改善しない日本にあって声を上げる勇気と努力の大切さを改めて教えられました。


「叩けよさらば開かれん。
    求めよ さらば与えられん」
        ~新約聖書・マタイ伝~

まほうの言葉2 №407

まほうの言葉2
平成28年11月18日

 たより前々号(№405)で「また来年」は「まほうの言葉」というTさんの体験をご紹介しましたが、実は私、これと全く同じことを言う祭りを知っています。それで一層Tさんが言う「まほうの言葉」に共感するものがあったのですが、私が知っているその祭りは何と千年もの間それを言い続けているというのです。

 私がこちらに来るまで暮らしていた神奈川県大磯町に県の無形民俗文化財に指定されている国府祭(こうのまち)という祭りがあります。この祭りは相模国の一の宮争いで毎年55日、祭りを仕切る六所神社の近くにある神揃山(かみそりやま)と呼ぶ岡にナンバー神社五社が集結し、一の宮と二の宮が一の宮の象徴である虎の皮をめぐって席次争いをするのです。

 一の宮二の宮は争いを三度繰り返します。と、そこに三の宮が割って入り「いずれ明年まで」の一言でその年の決着になります。まさに「また来年」ですね。意見は色々でしょうが、千年の間、争いに至ることなくこの一言で収まってきたことを考えると「いずれ明年」は、まさに「まほうの言葉」そのものと言えるでありましょう。

 「まほうの言葉」が夢と希望のものであるとすれば、仏教にも「まほうの言葉」があります。真言(マントラ)とか陀羅尼と呼ばれるものです。皆さまご存じ、般若心経の最後の言葉「ぎゃーていぎゃーていはーらーぎゃーていはらそうぎゃーていぼーじーそわか」も陀羅尼、祈りの言葉です。敢えて訳さず原語のまま唱えて彼岸に行くことを願っているのです。

 仏さまのお名前も真言です。観音さまは「おんあろりきゃそわか」、お地蔵さまは「おんかーかーかびさんまえいそわか」、阿弥陀さまは「おんあみりたていぜいからうん」、お薬師さまは「おんころころせんだりまとうぎそわか」等々。これらはみな聖なる仏さまのお名前を呼ぶことによってその力を頂こうとするのです。

 ご真言の最初の「おん」はオーム、仏さまへの呼びかけ。最後の「そわか」は「幸あれ、祝福あれ」という意味。仏さまを讃えることによってその力を自分が頂けるように祈るのがご真言の真意です。どうぞ皆さまも仏さまのご真言を折に触れてお唱え下さい。何度もお唱え下さい。それが願いを叶えてくれるのです。

       街で逢った 母さんと子供 
       ちらと聞いたは 「明日」
       なぜか私も うれしくなって
       思ってきたは 「明日」
               ~金子みすゞ~


めぐる季節に №406

めぐる季節に
平成28年11月17日

  晩秋の 夕闇迫る 山の田に 白くひとすじ 煙立つ見ゆ

松山千春さんの「季節の中で」という歌に「うつむきかけた貴方の前を/静かに時は流れ/めぐるめぐる季節の中で/貴方は何を見つけるだろう」という歌詞があります。もう40年近く前の歌ですが訴えるものは変わりませんね。

もの思う秋。めぐる季節の中で皆さまは何を見つけておいででしょうか。上の歌は最近の拙詠ですが、私にとって秋、殊に晩秋、毎年のように見つけるものは、夕暮れに立ち上る稲田の白い煙かも知れません。以前にも同じような歌を詠んだ記憶があるほど、私はその景色に強く惹かれるものを覚えてなりません。

 

     晩秋山村一条煙     秋の夕暮れ煙立つ      

     閑閑寂夕暮庭前     静かな庭に佇めば

     不見人時過不息     時の流れが身に沁みる

     人間去来永遠天     無常の命いまここに

 

上の詩は短歌と趣きを重ねた本日の法語です。夕暮れの静かな庭先に一人佇んでいると秋の寂しさと同時に移り行く季節、時の流れが身に沁みて思われます。

いま長寿の時代になりました。寿命は毎年のように伸びています。といっても精々が百年。人間の一生は悠久の自然、永遠の時からすれば文字通り瞬時、瞬く間のことに過ぎません。それが肉体の命です。しかし、肉身の命がそうであっても人間の命は無常、永遠です。季節が永遠に移り変わっていくように私たちは永遠の命を繰り返していくのです。


 
いつだったか申し上げたと思います。無常というのは変化して止まないということです。変化を止めたらそれは無常ではなくなってしまいます。無常の存在である限り私たち人間は永遠の存在ということになります。その無常を生きている今という時がどんなに大切かと改めて思います。


   いまを生きるということ、それは

   「置かれた場所で咲く」ということ。


まほうの言葉 №405

まほうの言葉
平成28年11月5日


 
 先日、友人のTさんから手紙を頂きました。Tさんは養護学校教員を早期退職してから染織の道一本、今では横浜のシルク博物館の染織展に毎回入賞されるほど実力ある作家になられました。しかし、私がさらにまた敬服するのは、Tさんが染織を教えながらずっと障害を持った人たちとの活動を続けておられることです。

 で、頂いた手紙というのも毎年しているという障害者と一緒の一泊二日アウトドア旅行記です。コメント入り写真ふんだんなA4用紙10枚に及ぶその旅行記は、作るのも大変だったと思いますが、読む方は「へえー、なるほど」とその状況を目の当たりにするように読ませて頂きました。その中に「まほうの言葉」があったのです。

 ことの話はこうです。初日のお楽しみの一つがサイクルスポーツセンターでの乗り物遊びだったそうですが、その中には当然ちょっと怖いものや運動能力を必要とするものもあるのだそうです。と、一行の一人Kさんが難しいうちに入るノッポサイクルに乗りたいと言ったのだそうです。はてここはどうするか、ですよね。

 思案一瞬、Tさんが「あれは腰が痛くなるよね。やめよう」と言うと、Kさんあっさり「また来年にする」と諦めてくれたというのです。この時Tさん「また来年は、すんなり気持ちを切り替える“まほうの言葉”かも」と思ったというのです。確かにそうだと思います。Kさんは自分から「また来年」と言って自分を納得させてくれたのですから。

 考えると、Kさんが自分に言った「また来年」という言葉が持つ最大の意味は「夢と希望」だと思います。来年にする、という言葉には「来年は乗りたい。きっと乗れるだろう」という夢と希望が含まれています。その夢と希望を確信することで今年はやめておくという譲歩が出来たに違いありません。この譲歩は敗北ではありません。

 Tさんの気づきで私も改めて人生における「まほうの言葉」の大切さを思いました。人誰しも苦しみや困難に遭遇しない人はありません。その時、人誰しもにKさんの「また来年」と同じような「まほうの言葉」があるはずです。どうぞ困難や苦しみから抜け出るご自身の「まほうの言葉」を探して下さい。


   ゆめのぞみ 胸に確かな この二つ
         笑顔と勇気の 湧き出す泉

じわじわくるもの №404

じわじわくるもの
平成28年11月1日



 
 先達て、と言っても9月末のことですが、精神科医の海原純子さんが「じわじわくるもの」と題する一文を毎日新聞に寄せられていました(H28.9.25)。おっしゃるには海原さん、この夏は毎日数枚のブラウスしか着ていなかったことに気づき、年々暑くなっていることを改めて思って「こわいのは気がつきにくいじわじわの変化」と言われるのです。

 確かに暑さばかりでなく、台風や集中豪雨のような気象変化はみな同じです。今年もあちこちで雨の被害が起きましたが、ここ数年毎年のようになってくると「またか」と思うだけになりがちです。集中豪雨も3,40年前は今ほどではなかったはずですが、毎年繰り返されるうちにそれを大変と思わなくなってしまうのが私たちなのでありましょう。

 じわじわのこわさ。本当は深刻な状況なのに、その深刻さを思わなくなってしまうことに海原さんは、ご自分の診療現場のことも言われています。海原さんがいま「危ない」と感じていることは、以前は滅多に聞かなかった職場のハラスメント相談が多くなり、それも複数対一人で一人を孤立に追い込むようなものが増えているというのです。

 これは学校のいじめと全く同じではないでしょうか。学校のいじめも以前は命に関わるような深刻なものは少なかったはずですが、いまは複数が一人を死に追い込むようないじめが多くなりました。恐らくいま職場でもそれと同じような卑怯で陰湿ないじめが増えているということなのでありましょう。悲しいことです。

 海原さんはこのような状況に対して「さまざまなことがじわじわ変化している。まあいいか、と見て見ぬふりをして気づこうとしない落とし穴にはまらないよう、現実を直視する必要がある」と言われていますが、誠にその通りと思います。見て見ぬふりで気づこうとしないのは結局自分がその落とし穴にはまることなのです。

 私は日本ではいま“平和”がこの状況にあると思います。安保法が施行され自衛隊の任務に“戦闘”が加えられようとしているのに、これを見ぬふりしていればやがて確実に日本は平和国家ではなくなり孫子が戦争の加害者被害者になるのです。現実を直視し真の平和とは何かを一人ひとりが考えなければなりません。

  また言うよ。
     「平和をあなたにもたらすことができるのは、
     あなただけだ」 
              ~エマソン~