記憶の不思議 №526

記憶の不思議
平成31年2月26日

 承前。私の入院中の話です。私が入院した下関済生会病院は実は筋痛症で昨年来お世話になっている病院ですが入院はしたことはありません。ですから入院して初めてこの病院がどんなところかよく分かりました。まずその第一印象はホテル並みということ。清潔さはもちろん施設設備においてホテル同然ということでした。

 これはむろん有料ですが院内着は毎日交換されます。部屋の掃除も毎日です。欲しいものあればコンビニがあります。レストランもあります。看護師さんが様態を見守って下さることは申し上げるまでもありません。これでは「病院よいとこ、一度はお出で。飯はうまいし看護師さんはきれいだ」と歌いだしたくなりませんか。

 その快適な病院にいて、何故か、若い頃自分がインドに旅して激しい下痢に見舞われ、二、三日安宿で苦しんだことを思い出したのです。快適な病院に入院していることと当時の体験には何の脈絡もないはずですし、今回の入院で私は苦しいと思ったことは全くありません。それなのに何故そんな思い出が甦ったのか。不思議としか言えません。

 話が少しずれますが、皆さんは木など高いところから落ちる瞬間に過去のことが走馬灯のように見えたという経験はありませんか。このこと、道元禅師も落馬の瞬間を例に「世間の人、馬より落つる時、未だ落ちざる間に種々の思い起こる」(巻317)と言われていますから人に共通する体験なのでありましょう。

 人間の記憶はなくなることがないと言います。思い出せないことはあっても記憶自体は消えることがないというのです。そういえばルドルフ・シュタイナーも人は死後数日間にわたって自分の一生をパノラマのように見ると言います。そこでは自分が忘れていた記憶・思い出が改めて思い起こされるに違いありません。

 改めて記憶というのは不思議なものだと思います。私が「脈絡もなく」と思った体験も何か意味があって思い出されたのかも知れません。それだけに記憶がなくならないということは怖いことではないでしょうか。記憶を改めて見せられると時、つらい記憶、恥ずかしい記憶が少しでも少なくなるようにと思ったことでした。
 
 
 諸悪莫作(悪いことはしない)
衆善奉行(よいことをする)
これが人生の秘訣だニャーン

 
 

必死に死ぬ №525

必死に死ぬ
平成31年2月25日
 のっけから私事で恐縮ですが、何と先々週12日から20日まで肺炎で入院という羽目になりました。いやその二、三日ほど前から風邪のだるさは感じていたのですが、それは風邪の症状ではなかったのでしょう。12日午後、皆さんに医院まで連れて行って貰いましたら肺炎即入院となりそのまま救急車で運ばれたのです。
 私、救急車には何回か乗ったことがありますが、患者として乗せて貰うのは初めてでした。その救急車に揺られながらふと頭をよぎったのが表題の「必死に死ぬ」という言葉でした。むろんその時私自身、死ぬということを思っていた訳ではありません。意識的には平常そのものでしたがその言葉が思い浮かんだのです。


 この言葉言い直せば「必死に生きて死ぬ」ですね。人死ぬ前は生きています。その死ぬ前を「必死に生きる」ことこそが「必死に死ぬ」ということだろうと思います。「生きざまが死にざま」という言葉通り「どのように生きるか」イコール「どのように死ぬか」ということでありましょう。その思いが「必死に死ぬ」になったのだと思います。

 では特に私の場合、「必死に生きる」生き方はどのような生き方でしょうか。一つの参考となる話が「正法眼蔵随聞記」(巻616)にあります。その話とは、ある時、大恵禅師がお尻に悪性の腫瘍を患った時「死ぬかもしれないなら益々坐禅しよう」と言って猛烈に坐禅したら、その腫物はうみつぶれて何事もなく済んでしまったというのです。 

 常識(世法)で考えるならば、致命的な腫瘍は治療に専念するのが当然でありましょう。しかし、大恵禅師はそれならと治療ではなく修行としての坐禅に専念し、結果として腫瘍を直してしまったというのです。これは大恵禅師がその自らの生き方として世法ではなく仏法を選んだということでありましょう。

 このたよりでも時々世法と仏法について申し上げておりますが、私たち修行者としての僧侶は世法か仏法かという状況になった時は仏法を取らなければならないと思います。必死に生きる。その中身は一人ひとり違いますね。皆さまにとってそれは何か。時にそのことをお考え下さればと思います。



 

その時、自分ならば どうする

         相田みつを

続「サンライズ・サンセット」 №524

続「サンライズ・サンセット」
平成31年2月4日

 前号で岩谷時子さん訳詞「サンライズサンセット」第4番の「時は行く」「年は行く」が日ごと年ごとの移り変わりであり、それがそのまま私たち人間の一生であると申し上げました。歌詞1抱いてねんねさせた/小さな赤ん坊が/こんなに美しい娘/いつの間にこの娘は大きくなったのか/昨日までが嘘のよう」は全くその意味でありましょう。

 私たち人間の一生は時の流れ、宇宙のリズムの循環にあります。陽がのぼり陽が沈むのは昼夜(一日)すなわち明暗陰陽であり、時の流れによる四季(春夏秋冬)は暖暑涼寒という気温のリズムです。人間にもバイオリズムという周期変化がありますね。その典型が1日周期の睡眠と覚醒。動と静のリズムです。

     毎天陽上東沈西    陽が昇り陽が沈み

     毎年季節廻不迷    季節は決まって移りゆく

     古今東西無別事    天のめぐりのその如く

     人間生死在斉々    人は生死を繰り返す

 上は星祭の法語ですが奇しくも「サンライズサンセット」と同じになりました。私たちの一生は季節の移ろい、年の変化と同じです。季節そして一年というリズムの繰り返しの中に生きているのです。その意味でも四苦とされる「生老病死」は人間一生のリズムを誠に端的に表していると思わざるを得ません。

 「生老病死」は人が生まれてから死に至るまでの経過です。生まれて老いるまでには成長という過程がありますが、その成長も厳密に言えば老化の一過程です。そして殆どの人が病を経て死に到ります。これは朝が来て夜になり春が来て夏になるというリズム変化と全く同様と言えるでありましょう。

 大切なことは「生老病死」も一連のリズムだということです。一日一年というリズムの繰り返し、その天行が永遠であるように「生老病死」というリズムも永遠の繰り返しだということです。陽が昇り陽が沈むことが永遠に繰り返されるように「生老病死」は永遠の循環にあるのです。珍重珍重。


 死ぬも生きるも ねえお前
 水の流れになに変わろ おれもお前も
 利根川の 船の船頭で 暮らそうよ 
          <船頭小唄>

「サンライズ・サンセット」 №523

 「サンライズ・サンセット」
平成31年2月3日

陽はのぼり陽は沈み 時は行く 
 
よろこびと悲しみをのせて 今日も行く

   サンライズサンセット サンライズサンセット

   年は行く しあわせと涙をのせて 今日も行く

 上の詩、岩谷時子さん訳詞の「サンライズサンセット」の第4番です。

 この歌、ご存知ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」で主人公テヴィエとその妻ゴールデとの娘ツァイテルの結婚式に歌われますね。「屋根の上のバイオリン弾き」はロシアに暮らすユダヤ人社会を描いた物語ですが迫害されて村を去って行くことが主題だけにこの「サンライズサンセット」も明るさよりも“しんみり”が先になります。

 それだけに、この歌は人生への思いに達していると思います。サンライズサンセット(陽はのぼり陽は沈む)は日常そのものでありながら実は宇宙の法則に他なりません。その日常(毎日)の繰り返しが季節の移ろい、四季になります。そして、その季節の移ろいが一年になり、一年の繰り返しが私たちそれぞれの一生になります。

 上の岩谷さんの詩で「時は行く」というのはまさに一日一日が季節の移ろいになるということであり、「年は行く」というのは毎年毎年が一生になるということですね。毎日の喜びと悲しみ、毎年のしあわせと涙。私たちの一生はその喜びと悲しみを繰り返していくのだと歌うところに人生に対する達観を見る思いがします。

 諸行無常の教えの通り人間は無常の存在です。この身も心も一瞬たりとも止まってはいません。瞬々刻々に変化し続けています。そしてこの私たちは自力で生きているのではありません。自然と宇宙に生かされているのです。サンライズサンセットはこの無常の真理を歌っているように思えてなりません。

 今日星祭の日。毎年私がお願いしていることはこの星祭を生き方点検のよすがにして頂きたいということ。お札を目につく場所に貼って時にそれを見て自らの生き方に思いを致して頂きたいということです。ついいい加減になりがちな日常を振り返って初心に返り行ないを改めていく。それが精進に他なりません。
 
皆さま今年も星祭有難うございます。
どうぞまたこの一年お元気にお過ごし下さいますよう。