令和元年11月17日
寺のイチョウが今年もきれいに黄葉しました。毎年、このイチョウの黄葉を見る度に自然のマンダラを見る思いがします。イチョウの木丸ごとが四方八方と上下の十方を表わし、黄葉の一枚ずつが私たち人間一人ひとりと思えるのです。何千何万もの葉一枚ずつがそれぞれの場所を持っている立体のマンダラと思えるのです。
しかし、そのイチョウマンダラも言えば一瞬のことです。それこそマダラ模様に色づき出すと日毎に木全体が黄色になりますが、全体が黄葉すれば後は落葉。この間十日もあるでしょうか。
青葉の時にその変化は気づきにくいですが黄葉時にはイチョウもほんの短い間に黄葉落葉という日毎の変化をしていることが分かります。
紅葉黄葉錦秋山 山一面のもみじの錦
満山徧界堂々閑 語らず示す自然の道理
春夏秋冬無別事 めぐる一年また同じ
紅葉黄葉錦秋山 もみじの錦山一面
あたりの山々も紅く黄色く紅葉しました。上に申し上げましたように寺のイチョウ同様、山の紅葉もまばたく間のこと。冬への備えが紅葉と落葉。冬への備えは春の準備です。春にまた芽を出し花を咲かせるための一過程こそが紅葉であり落葉であるのです。樹々は毎年毎年それを繰り返しています。一瞬一瞬の変化を続けているのです。
イチョウの黄葉はその変化を身をもって教えてくれます。イチョウに限りません。他の木々に限りません。私たち人間も同じです。すべてのものは毎日毎日年年歳歳一瞬も留まることなく変化し続けているのです。端的に言えば今日の私は昨日の私ではありません。僅かとはいえ体も心も間違いなく一日の変化をしているのです。
先日のたよりで般若心経に言う色即是空・空即是色の「空」は無常だと申し上げました。結局、般若心経が教えているところも「諸行無常」ということなのです。無常をどう受け取るかは人それぞれでしょうが私は無常は永遠だと思います。無常であるからこそ私たち人間も永遠の存在なのだと思います。
あき空を はとが とぶ
それで よい それで いいのだ
<八木重吉>