共存 №765

 共存

令和6年3月31日

本号をもちまして、小圷洋仙方丈の「かんのんだより」は最終号と相成りました。

右、「遺偈(ゆいげ)」とは“禅僧が臨終に及んで、その禅境や弟子に対する遺誡などを偈頌(げじゅ)したもの。辞世の句”

を言います。方丈はこれを毎年新年の年頭に当たり更新しておりました。しかしながら219日病名宣告を受けたその日、病室に持参していたメモに改めて記し、託されたものがこれです。「いつも皆様と共にいたい」という思いの強い方丈らしい自戒と感謝と 輪廻を信じ、交えた句に思えます。

方丈は「斃れて後やむ(たおれてのちやむ)」をモットーとし、山頭火のように最期は放浪しながら生涯を閉じる「遊行期」を過ごしたいとも語っておりました。山口、小月をこよなく愛しておりましたので、実際遊行期をどう過ごすかは難しい問題でもあったようですが、“死んで(斃れて)、その後に終わる(已む)”=生きている限り懸命に努力を続け、全力でやり抜くについては全うしきった心持ちでいるのではないかと感じております。


死後、人はどこへ行くのか、それは永遠のテーマであり、方丈も常々考えてきたことです。ですが、後年申しておりました「共存」とは死者との生活もまた然り、と考える今日この頃です。語りかけた時方丈は私と共にいる、と捉え、考えて参る所存です。227日遷化し、方丈は「観音五世慈雲洋仙」となりました。皆様にもご紹介しておりました当山かやの木墓苑にて皆様と共に眠りたいとの達ての希望通り、納骨いたします。

しかしながら方丈が最も案じておりましたのは皆様が観音さまへお詣り頂けなくなるのではないかということでした。温かなお心の皆様に支えられ、観音様の会を継続頂けますことは何よりの安心です。「祈りは力」祈りによって人は生かされ、力得ることができる。それは亡くなった方も同じ、と方丈は良く申しておりました。皆様どうぞこれからも折に触れ、祈りを続け、お詣り頂ければ幸いに存じます。そして清浄山観音寺を皆さまの手で発展させて頂けますよう切にお願い申し上げます。            遺族拝




皆さま、長らくご愛読いただきましてありがとうニャーン


地震共存 №764

 地震共存

令和6年2月5日

 11日に起きた能登半島地震から1か月が経ちました。復旧復興は依然として進んではいません。被災者たちが雪の降る寒空の中電気も水道も使えず温かい食事を取ることもお風呂にも入れない苦しい生活を余儀なくされていることを思うと胸の痛みを覚えてなりません。

 今回の地震には幾つかの悪条件が重なったように思います。一つには半島であったこと、もう一つは冬さなかであったことです。海岸べりにつくられた道路が寸断されたために多くの集落が孤立状態になりました。また真冬であったために一次避難しながら病気の悪化や寒さのために亡くなる人も続出してしまいました。

 能登半島というところは地震の多いところです。2007H19)年には今回に匹敵するM6,9の地震が起きていますが死者が1人であったため行政が動くことはなく2020年になって群発地震が活発化してから動き出したものの時すでに遅く今回の地震になってしまったという憾みを拭い切れません。

 折りしも群馬県に住む中学時代の友人から、地震国日本では今後、北陸学院大学の田中教授が持論としているライフラインが復旧するまでの間、生活拠点を代えて避難生活する施策をシステム化するべきだと言うことが伝えられました。全くだと思いました。友人が言う通り、「地震疎開」をシステム化すべきだと思いました。

 この地震疎開は1市町村でできることではありません。近隣の市町村や各府県が協力して協定を結び万一の災害の時には災害を免れた市町村や県が準備しておいた避難生活所を迅速に提供できるように準備しておくことが必要になります。まず第一にはライフラインが確保されていなければなりません。


 そのためにはその場所を事前に確保し、必要が生じた時に即刻避難住宅がつくられるように資材の常時確保とライフラインの提供のための準備がされていなければなりません。日本はこれから先もどこかで地震、津波の災害を受ける国です。間違いなくその災害を受ける国です。国はもちろん各県、市町村がとるべき施策なのです。


自然災害と共存していくこと、

気象異変のこれからは大切なことです。

祈りということ №763

祈りということ

令和6年2月3日

 この地球上には多くの生き物が存在していますね。中にはコロナウイルスのように生物の範疇には入らないものもありますが、ともあれ生物はそれぞれ特有の不思議な力を持っています。分けて人間は「万物の霊長」と言われるほど霊妙不思議な力を持っていると言います。人知を超えた不思議な力を持っているというのです。

 私たち人間が人知でははかり知ることができない力を持っているというのは矛盾しているようにも思いますが、私は霊妙の「霊」にその意味が隠されていると思います。霊という字は「神秘的な力」を表わしていますが、一義的には「たましい」という意味を持っています。霊妙というのは魂の力を言っているのではないでしょうか。

 そう考えると霊妙というのは魂が持っている力、その端的なもの、すなわち祈りではないかと思うのです。前にも申し上げたことがあると思いますが、厳密に言えば祈願と祈祷とは違います。祈願は願いが主であり祈祷は祈りですが、いまではこのどちらも厳密に区別されることなく使われていることが多いように思います。

 前置きが長くなりましたが、私は人間は祈りの存在だと思っています。人間以外の動物たちも魂は持っていますが祈りはどうでしょうか。私は人間以外の動物は祈りは持っていないのではないかと思います。人間は世界の平和を祈りますが、イヌやネコはイヌ世界ネコ世界の平和を祈ることはないだろうと思うのです。

  太陽上東祈   太陽さん東に上がって下さい

  河川下海祈   川さん海に流れて下さい

  是自然摂理   祈りとは自然の摂理と

  祈宇宙同化   宇宙の真理に同化すること

 星祭は私たちの一年一年が自然の摂理に叶い宇宙の真理に同化しようとする祈りだと思います。私たちが生きること、生きていくことはその祈りの中になければなりません。太陽が毎朝東に上がり川のすべてが海に向かって流れるように自然の摂理に叶ったものでなければなりません。それこそが天命なのです。


皆さま、今年も星祭有難うございます。

どうぞ今年も元気にお過ごし下さい。


不断の努力 №762

 不断の努力

令和6年1月17日

いきなり余談ですが、皆さまご存知、千昌夫さんの「北国の春」。この歌は1977(昭和52)年の歌ですからもう47年にもなるんですね~。いえまた何でこの歌の話かと言いますと、この歌は言わば望郷の歌ですよね。歌詞3番とも最後は「あの故郷へ帰ろかな帰ろかな」で終っています。心から故郷を思う気持ちがにじんでいます。

 いや余談失礼しました。この歌1番は「白樺青空南風 こぶし咲く あの丘北国の ああ北国の春」で始まりますね。春真っ先に咲くこぶしは分けて北国の人にとってはうれしい花なのだと思います。春が来たことを実感させてくれるのがそのこぶし。北国の人はこぶしの花に春が来たという喜びを感じたに違いありません。

 しかし、思って下さい。春真っ先に花を咲かせるには真冬のうちにその準備をしなくてはなりませんね。落葉樹の多くは夏から秋にかけて冬芽(冬の休眠する芽)を形成しますが、これは日の長短が関係していると言います。ということは、こぶしの開花は日が伸びたことを真っ先に感じ取ってということなのでしょう。

      厳寒辛夷育花芽   こぶしは真冬も休みなく

      早春先開純白花   春一番に花咲かす

      自彊不息従光陰   時の流れのゆくままに

      流去不断雲水華   水の如くに移りゆく

 因みに仙台の日の出日の入りの時刻を見ますと、1月から2月にかけて日の出は30分近く早くなりますし日の入りは50分近く遅くなっています。つまりは一日のうちで1時間半近く日中の時間が長くなるのですが、こぶしはそれを確実に感じ取って早春にその花を咲かせるということなのでしょう。


 思いました。植物は春夏秋冬、寒暖に関わらず成長を続けていきます。まさに不断。一瞬も活動を止めることはありません。法語に易経の「自彊不息(じきょうやまず・自ら勉めてやむことがない)」という言葉を引用しましたが植物の不断の努力が春には花を咲かせ秋には葉を落とす営為になっているのです。珍重


花開かば 満樹(くれない)

花落つれば 万枝空なり

         「五灯会元」



「共存」考 №761

「共存」考

令和6年1月8日

 前号で共存の祈りの輪を拡げたいと申し上げました。それができたらどんなに素晴らしいかと思います。しかし、祈りの輪が拡がっても共存の実現にはなりません。まずは互いの違いを知ることでしょうが、知った違いを乗り越えるためには容認とか妥協とか宥和とかが必要になるのです。

 先日、面白い話を聴きました。共存を考える上での参考にその話をご紹介しましょう。先達て暮れのこと、奄美諸島の徳之島で飼っていたハブ11匹が逃げてしまうことがあったそうです。どうやら閉め忘れた排水溝から逃げ出したようですが、同じかどうかは別にしてその後11匹は捕らえられたそうです。

 すごいと思ったのは島民の反応です。住民は平然として「共存してます」と言ったのだそうです。むろんハブは人間にとって恐れの対象ですし、他の動物にとっても脅威の存在であることは言うまでもありません。そのハブに対して平然と「共存してます」というのはどういうことなのでしょうか。

 一つにはハブが島の主要農産物であるサトウキビを食い荒らすネズミを食うということがあります。怖い存在ではあるけれども役にも立っている。その思いが「共存」につながっているのでしょう。国立環境研究所の五箇公一さんは「大事なことはこういったものとうまく共存していくというライフスタイル」だと言われますが。まさにそれでしょう。

 昨年秋には東北各県でクマに襲われる人身被害が頻繁に起きました。この原因についてはクマが山でエサにしているどんぐり類が不作だったからだとかクマが人里近くに棲むようになったからだとか言われていますが、これからクマとどのように共存していくかも考えなければならなくなりました。


 暮れ129日に還暦を迎えられた皇后雅子さまがそのご感想で「平和な世界を築いていくために人々が対話を通して相手の置かれている状況を理解しようと努め、互いを尊重しながら協力することがいかに大切か改めて感じます」と言われましたが、まさにこのお言葉こそ人類共存ではないでしょうか。


「地球規模の環境問題は、

 私たちが協力し合いながら

 真剣に取り組まなければならない

 喫緊の課題だと思います」

                  皇后雅子様


「共存を祈る会」同志募集 №760

 「共存を祈る会」同志募集

令和6年1月1日

令和3年のこのたより、11日号で「人類共存元年」ということを申し上げました。その前年、令和2年に発症したコロナ禍が瞬く間に全世界中に広がり、私たちは「3密」を避けながらアマビエに頼るしか手の打ちようがありませんでした。コロナウイルスは人間が撲滅できる存在ではなかったのです。

 その時、私が4歳の孫娘に言われたことが「コロナさんに会わないでね」という言葉でした。コロナウイルスに罹患すればただではすみません。時には死に至ります。そんなコロナウイルスから身を守るためにはコロナウイルスにかからないことしかありません。孫娘はそのことを教えてくれたのです。それが「人類共存元年」でした。

 私はその時思いました。コロナウイルスはこの地球上のあらゆる生物の共存を教えるために出現したに違いないと。地球上の生物はみな意味なくして存在していない。コロナウイルスと人間のように互いの利益に反するものがあってもそれぞれはそれぞれの存在意義を持っているのです。

 私が共存ということを思った時、まず第一に思ったことが人類共存でした。しかし、この3年で私たちは共存が進んでいるでしょうか。否々ですね。ロシアによるウクライナ侵攻、そして昨年からはイスラエルとハマスが戦闘になってしまいました。共存どころか互いのせん滅を意図した悲惨な戦いは終わる気配がありません。

 私はいまこの時、人類の共存を祈る同志を募りたいと思います。私たちに出来ることは祈りしかありません。しかし、皆さんが「共存を祈る会」の自発的会員になって下さり、共存を祈る祈りの輪が百人千人万人と拡がっていけばそれは必ず大きな力になるに違いありません。私が祈りの同志を募る所以です。


 皆さん、観音寺「共存を祈る会」の同志になって下さい。そして一日一回時間を決めて「人類が共存しますように」と祈り、世界の平和を願って下さい。私たち一人ひとりの小さな祈りが大きな輪になって拡がっていけば、そこに必ず人類平和共存への力が生まれます。一人ひとりは小さな存在でも大きな力を生むに違いありません。


祈りの波紋は消えることなく拡がっていきます。

この一年 №759

 この一年

令和5年12月25日

令和5年ももうすぐおしまい。皆さま今年はどんな年でしたか。うれしいこと悲しいこと様々なことのあった一年ではなかったかと思います。私も同じです。でも考えたら私にとってはうれしいことや楽しいことより痛恨極まりないこと、いまなお怒りを抑えきれない悔しいことの方が多かったように思います。

 まず痛恨極まりないことの第一はイスラエルとハマスの戦争です。この2か月余りの戦闘でガザでは15000人以上もの死者が出ていますが、そのうちの半数近くは女性と子どもだと言います。罪のない子どもが命を奪われ、また親を失った子どもが悲嘆に絶叫している姿を見ると胸の痛みを覚えてなりません。

 たより前号でも申し上げましたが、人類はなぜ共存ができないのでしょうか。イスラエルとパレスチナは共存しない限り戦闘は終わりません。日本はどうしてこれを強く言わないのか。アメリカの後ろでイスラエルをかばっていては何の解決にもなりません。日本が独自の平和外交ができないことに残念を覚えてなりません。

 そんな日本の岸田内閣。支持率は20%台にまで低落していますが、国民が望む政治をしていないのですから当然でありましょう。申し上げた平和外交どころか核兵器禁止条約会議にはオブザーバー参加もしていません。その一方で国民の生活困窮化をよそに軍事費増強や原発回帰に躍起になっているのを見ると気は確かか、と言いたくなります。

  怒りに任せて言い過ぎましたでしょうか。寺のこの一年の反省もしたいと思います。正直のところ、恥ずかしながら寺は満足なことができませんでした。この一年はこの観音寺が住職そっちのけでみんながわいわいがやがややってくれる寺になってくれることを意識しましたが十分ではありませんでした。


 反面、寺は皆さまの援助には助けられました。いつものお花替えの方々が庭掃除や草取りはじめトイレや階段掃除、観音さまの会の時の調理やお接待などをして下さりそのご援助がなければ寺の運営は成り立たなかったと申し上げて過言ではありません。私の一年は感謝の一言に尽きます。厚く御礼申し上げます。

 守られている ありがたさよ

 生かされている うれしさよ

 朝に夕に 手を合わせよう

 感謝のまことを ささげよう

       
         <坂村真民>

いろとりどり №758

いろとりどり

 令和5年12月16日

いま放送されているNHKの「みんなのうた」に「いろとりどり」という歌があります。幾つかのバージョンがあるようですが、そのうちの一つ「ツバメ」という歌に心惹かれるものがありました。多分皆さんもお聴きになっているだろうと思います。ちょっと長い歌詞ですがその1番をご紹介しましょう。

 「きらめくみなものうえを むちゅうでかぜきりかける つばさをはためかせて あのまちへいこう うみをこえて ぼくはそう ちいさなツバメ たどりついた まちでふれた たのしそうな ひとのこえ かなしみにくれる なかまのこえ みんなそれぞれ ちがうくらしのかたち まもりたくて きづかないうちに きずつけあって しまうのはなぜ おなじそらのしたで ぼくらは いろとりどりのいのちと このばしょで ともにいきている それぞれ ひともくさきも はなもとりも かたよせあいながら ぼくらはもとめるものも えがいてるみらいも ちがうけれど てとてをとりあえたなら きっとわらいあえるひがくるから ぼくにはいま なにができるかな」 

 この歌詞を読むと、まさにこの歌はいまの世界今の私たちを歌っているではありませんか。世界の人はそれぞれ違う暮らしをしていていい筈なのにそれを忘れて傷つけあってしまっています。人も草木も花も鳥もみんなそれぞれ求めるものは違っても肩寄せ合って生きるべきなのにそれができていません。

 この歌の根底にあるのは「共存」ですよね。求めるものも描いている未来も違うけれど、その違いを認め合って存在するのが共存ですよね。まして人間、民族宗教言語文化習慣が異なるのであればその違いは違いとして容認し、そこに足を踏み込まないというのが共存の基本ではないでしょうか。


 ロシアのウクライナ侵攻がいまだに続いている今、新たにイスラエルとハマスが戦争状態になって多くの罪のない人々が命を奪われています。犠牲者の多くが子どもや女性だということに胸の痛みを覚えてなりません。世界の人々が「いろとりどり」の生活ができるように私たちはいま何ができるでしょうか。



鈴と、小鳥と、 それから私、

みんなちがって、みんないい。

         金子みすゞ


また「あぶらんけんそわか」 №757

また「あぶらんけんそわか」

 令和5年12月12日

 もう4,5年前のことですが、このたよりで「あぶらんけんそわか」というお話を申し上げました。神奈川にお住いのEさんは、子どもの頃、お母さんが新しい靴を下ろす時に「あぶらんけんそわか」と唱えながら靴底をやかんの胴に交互に当ててケガなどしないように祈ってくれたというお話でした。

 Eさんはその後結婚してからもお母さんがしていたように「あぶらんけんそわか」のおまじないをして、ご主人から「何してるの」と笑われたそうですが、幼少時の体験はそれほど根強く心に残っているということでありましょう。私もまた未だに新しい履物を下ろす時は必ず玄関を一度出てまた入るという母の教えを守っています。

 実は今日の「あぶらんけんそわか」は上のこととはちょっと異なりますが、小さい頃に母に聞いたことで未だに実践していることがあるのです。油料理の鍋やフライパンを洗う前に先ずその底を冷たい水で流すのです。そのことによって油がよく落ちるかどうかは分かりませんがともあれそのことを続けているのです。

 上のことはある日、母が「油鍋は洗う前に底を水で流すとよく落ちるね~」と言ったことによっています。母がそのことを何で知ったのかは知りません。新聞かラジオで知ったのかも知れませんが、ともあれその時の自分にはそのことが印象深かったことは間違いありません。それで未だに洗う前に水かけをしているのです。

 Eさんの「あぶらんけんそわか」も私の「靴を履いて玄関を出てまた入る」もその底にあるのは祈りです。その靴を履いて出かけて交通事故や悪いことに出逢わないようにという素朴な祈りがあってこそでありましょう。小さい時にその祈りを自然のうちに母に学ぶという有難さがあると思います。


 油鍋の底に先ず水を流すというのは祈りではありません。しかし、小さい時の体験を今なお継続しているというのは幼少時の体験が人間にとって如何に大きな意味を持っているかということであり、それが母親に教えられたものであればその人の母はその人の胸にずっと生き続けているということでありましょう。


幼少時、何を教えられ何を学ぶか。

そのことがその人の一生を貫く


ノラ猫考 №756

 ノラ猫考

令和5年12月8日

先月初めの季節外れの夏日数日から一ヵ月、朝晩の冷え込みはやはり冬に相応しくなってきましたね。寄る年波か、私は年々寒さに弱くなっているように思いますが皆さまはいかがお過ごしでしょうか。寒さが厳しくなってくるこの時期になると気になることがあります。ネコ。そう、ノラ猫のことなんです。

 以前にもお話ししましたが、この観音寺境内には常時数匹のノラ猫が徘徊しています。そのうちの一匹に時々エサをやるようになってもう数年になると思いますが、今年になってそのノラが本堂の縁の下に“常駐”しているらしいことが分かりました。。朝、エサやりの時間にその気配を感じて縁の下から飛び出してくるのです。

 実は2,3 年前の冬にそのノラが数日姿を見せないことがあって凍死してしまったのではないかと心配したことがありました。その時は別の場所にいたようで無事に戻ってきましたが、これから寒くなる一方ですから本堂の縁の下で冬の寒さを越せるだろうかと心配になるのです。ノラ猫も大変ですよね。

 思えば可哀相なノラ猫ですが、私はノラ猫の本当の悲哀は人とのつながりを持っていないことだと思います。いや人とだけではありません。ノラ猫同士もつながりを持っているようには思われません。ということは、ノラ猫はいつも一人。触れ合う仲間も話をする相手も持っていない孤独の存在ということになります。

 サン=テグジュペリの「星の王子さま」に王子さまがキツネと出会う場面があります。王子さまはキツネに「遊ぼう」と声をかけますが、キツネは「きみとは遊べない。なついてないから」と言います。それを聴いた王子さまは「なつくってどういうこと。なつくってどういうこと」と2度訊ねます。


 キツネは答えます。「なつくって絆を結ぶということだよ」と。私はいま改めて思います。私たちは絆を結んだ生活をしているでしょうか。親子兄弟夫婦友人知人、そして民族宗教文化を異にする人たちと絆を結べているでしょうか。絆を結ぶということはどういうことなのか改めて考えたいと思います。


「もしきみがぼくをなつかせたら、

 ぼくらは互いに、なくてはならない存在になる」

                <キツネ>