この一年 №661

 この一年

令和3年12月20日

 今年も残り旬日、皆さまにとって今年はどんな一年だったでしょうか。「いやよかった。すばらしい年だった」とおっしゃる方がお出ででしたらそれは羨ましいこと。多くの方にとっては可もなく不可もなく変りばえしない一年だったのではないでしょうか。私も全く同じです。今年もアッという間の一年になってしまいました。

 変りばえしないという点ではやっぱりコロナでしたね。東京を例にとれば8月には一日の感染者が5000人を越える日が何日もありました。さすがに10月中旬になってようやく100人以下になりましたが、今度はオミクロン株とかいう新手が出現しました。果たしてこの感染を抑えることができるのか油断がなりません。

 しかし、コロナもさることながら私にとって胸が痛んだのは今年も近親の大人によって命を奪われる子どもが何人もいたことです。父親が3人の我が子を殺害ということがありました。17歳の兄が6歳の妹を殺してしまうことがありました。先月には小学生の甥二人を焼死させる事件がありました。なぜ子どもを殺害する悲惨な事件が続くのか、無念この上ありません。

 世界的には平和の危機の年でありました。1月にはミャンマーで軍が政権を奪い取って強権政治を敷き、これに反対する多くの市民が軍によって命を奪われました。8月にはアフガニスタンで米軍の撤退に乗じたタリバンが政権をとって女性の人権を奪ったばかりか国を混乱に陥れています。中国もロシアも民主主義国家とはとても言えないでありましょう。。

つくづく思うのです。なぜ日本で幼い子の命を奪う事件がなくならないのか。なぜ世界で平和に逆行する国がなくならないのか。生まれてきた子は元気に育たなければなりません。親や国はその成長を援助しなければなりません。世界のどの国も国民が平和に暮らせる国でなければなりません。為政者はそれをしてこそ為政者です。


 いまこの時私たちがすべきことは何か。それはお釈迦さまの教えに立ち返ることです。一人ひとりが人間に生まれた有難さとその貴さを改めて思うべきです。そしてもう一つはいまの政治家の全とっかえです。新しい時代は今までの感覚を脱した若い人にしかつくれません。出でよ若者!がんばれ若人!


 Change!

其(そ)れ恕(じょ)か №660

 じょ

令和3年12月17日

 先達て葬儀会館を通して葬儀を頼まれました。観音寺は檀家さんを持ちませんので寺が葬儀をすることは滅多にありません。しかし時に信者さんの中に観音寺の葬儀を望んで下さる方がお出でですので3年に一遍くらいは私もしているでしょうか。という訳で信者さん以外に葬儀を依頼されるというのは殆どないのです。

 余計な前置きを申し上げましたが、曹洞宗の葬儀は受戒(仏門に入るものが戒律を受けること)であり、その時に受ける名前が戒名ということになります。ですからその戒名を考えるに当っては故人がどんな仕事に携わってきたか趣味信条は何であったかどんな性格であったかなどを教えて貰わなければなりません。

 そうしたらその奥様が亡くなったご主人の性格について「優しい人で怒るということがなかった」と言われたのです。その奥様の話を聴いていて私は即座に思い出すことがありました。それが表題の「其れ恕か」という言葉です。この言葉は論語の中でも有名な言葉、巻八「衛霊公第十五」に出てくる言葉です。

 論語には次のように記されています。「子貢問うて曰わく、一言にして終身これを行うべき者ありや。子の(のたまわ)く、其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」と。子貢さんは孔子様のお弟子です。その子貢さんが一言だけで一生行っていけるということがありましょうかとお尋ねすると孔子様は「それは恕だね」と言われたというのです。

 恕というのは思いやりです。孔子様は私たちが終生意識していくべきことは人に対する思いやりであり、その思いやりこそが人との関係を滑らかにしていくと思っていたに違いありません。その思いやりの根本にあるのが、自分が望まないことは人にしむけないということだったのだと思います。奥様のご主人はその思いやりのお方だったのでしょう。

 私はそのご主人の戒名を迷わず「寛恕」としました。その方の戒名に「恕」の字をつけることが最もふさわしいと思ったのです。振り返って自分はどうか。思えば私には懴悔しかありません。思いやりに欠けた自分がこれまでどんなに沢山の人を傷つけてきたことかと思うとその至らなさ申し訳なさに絶叫するばかりです。


よそから来た子は よそ言葉、

どんな言葉で はなそかな

      金子みすゞ「転校生」

黄葉幻想 №659

 黄葉幻想

令和3年12月11日

   一陣の 風のまにまに 散るいてふ ゆめかうつつか まごうばかりに

 上の一首は先達てイチョウ黄葉が風に誘われて散るさまを見ていて詠みました。まさに風に誘われるがごとくに黄葉が散りしきるさまを見ていて夢かうつつかという気がしたのです。いえ夢かうつつかというよりは夢でもなくうつつでもないという一瞬でした。

 私がその時そこに見たものは異界であったに違いありません。異次元、異空間であったに違いありません。広辞苑には異界の説明として「日常とは異なる世界。物の怪や霊のすむ領域」とあります。また異次元の説明として「日常的な空間と異なる世界」とあります。それによれば広辞苑では異界と異次元はほとんど同じということになります。

 しかしながら広辞苑では「日常とは異なる世界」が現実に存在するかどうかについては言及していません。「物の怪や霊のすむ領域」という説明だけ聞くと、異界は想像の空間であり現実には存在しない世界であるようにも思えます。とすると、私が夢かうつつかと思ったのは単なる錯覚であったということになります。

 しかし私は異界は現実に存在すると思っています。いつでしたか、「相対論では過去と未来以外に、光の世界線を境にした非因果的領域という部分が現れてくる」(橋元淳一郎著「時間はどこで生まれるのか」)ということを紹介したことがありましたね。橋元さんはその非因果的領域について「比喩的に言えば“あの世”である」と言われるのです。

 橋元さんは非因果的領域について次のようも言われます。「われわれはそのような奇妙な領域が存在することを長い間知らないで来た。しかし、時間の本質を考えようという時に、過去でも未来でも現在でもない領域がすることを、われわれの日常感覚で捉えられないからといって無視するわけにはいかない」と。


 私は上の文章を読んだ時「あの世」を理解し得たように思いました。私たちは日常生活において非因果的領域に気づくことはありませんし、そのことによって困ることはありませんが非因果的領域は存在するのです。私が夢かうつつかと思ったのはあの世、異界に通じるタイムトンネルであったに違いありません。


  秋山の 黄葉(もみぢ)を茂み (まと)ひぬる 

  (いも)を求めむ 山道(やまぢ)知らずも

          柿本人麻呂

すごい!タツナミソウ №658

すごい!タツナミソウ

令和3年12月8日

 このたより№642718日)の「雑草考」で一輪挿しで楽しんだ後のタツナミソウを何気なしに鉢に差して置いたらそれが根付いてしまったという話をしましたね。むろん私は鉢に差してもまさかそれが根付くとは思ってもいませんでした。雑草考を書きましたのはそのまさかが起きたことへの驚きからでした。

 ところが、です。そのまさかに続きがありました。先月11月下旬のことです。また何気なくタツナミソウの鉢を見ましたらそのタツナミソウが花を咲かせているのです。思わず「えっ、どうして」でした。タツナミソウは春に咲く野草です。寒さが募ってくるこの時期に花を咲かせるなんてあるだろうかと思いました。

 で、元々そのタツナミソウが咲いていた場所を確かめました。そうしたら一本だけ小さなタツナミソウが咲いていました。でも、そのタツナミソウは数日後にはもう見えませんでした。タツナミソウは多年草です。寒くなれば地上部は枯れてなくなり翌年春になってまた芽を出すのですから姿が見えなくなって当然でありましょう。

 でも、鉢に咲いたタツナミソウは12月になってもまだ咲いています。一つには鉢の中ということが好条件になっているのかも知れません。にしてもです。時季外れに花を咲かせ続けているというのは尋常ではありません。私はそこに「雑草考」で野草の強さしぶとさを改めて見る思いがしました。「すごい!」としか言いようがありません。

 それは植物が持つ生命力でありましょう。皆さまも「大賀ハス」はご存知でありましょう。ハスの研究者大賀一郎博士が1951(昭和26)年に千葉市検見川の遺跡から発掘した2000年前のハスの実の発芽・開花に成功し、大賀ハスとして世に知られるようになりましたが、これこそ植物の生命力の強さを象徴するものでありましょう。

 古代ハスとまでは行かずとも、今回私がタツナミソウに改めて学んだことは植物の生命力でした。一本の草と雖もその持てる力いっぱいに生きているということでした。植物に限りません。私たち一人ひとりが生命力を持った存在です。命分(みょうぶん)という言葉通りそれぞれ頂いた命を生きるのが人生でありましょう。


置かれた場所で咲きなさい。

        渡辺和子


「日本の衰退」 №657

 「日本の衰退」

令和3年11月16日

 もう一ヵ月前になりますから些か旧聞になりますが先月1017日の毎日新聞一面トップに「日本の衰退 想像以上」という大見出しをつけた池上 彰さんと高村 薫さんの対談記事がありました。ちょうど衆議院選挙の前とあって選挙のこと初めコロナのこと、日本という国のあり様など興味深い内容でした。私見を交えながら紹介させて頂こうと思います。

 まずは先達ての衆議院選挙のこと。皆さんご承知の通り自民党が数は減らしたものの単独過半数を維持という結果になりました。髙村さんが「若い方の保守化が進んでいると言われていますのでますます自民党が強くなる可能性があります」と予測した通りになりましたね。2030代の投票率が低かったのも保守化の一端だったでしょうか。

 対談の初めに高村さんは「想像していた以上に日本が絶対的に衰退していた」と言われていますが、私は高村さんが指摘された行政のシステムの衰退(劣化)とともに国民の衰退と劣化があると思えてなりません。若者の保守化はまさにそれではないでしょうか。諦めが無気力を生み、政治に無関心なっているのだと思われてなりません。

 コロナについて髙村さんは「日本人はよくやった方だと思います」と言われる半面、「問題は国あるいは首相が責任を取らないことにあった」とし、加えて「不祥事を起こした企業を含めて本当に甘い。日本全体が責任を追及しない社会」と言われています。いま日本全体が責任を取らない社会になっているという指摘には同感しかありません。

 では、この衰退した日本の活路はどこにあるのか。髙村さんは「もっと風通しをよくして自由にしないと若い人が育たない。年寄りが若い人に道を譲ることをしていきませんと」と言い、池上さんもわが国では戦後、否応なしの世代交代が活力になったことを挙げて「世代交代するサイクルを政治や経済でも作らないといけません」と言われています。


 両氏が言われる世代交代には全く同感です。もはや旧来の政治政治家ではこの先の世界も地球もないと思います。いま世界で沸き起こっているグレタ・トゥーンベリさんを始めとする若者による地球温暖化防止の運動、私はその運動こそが近い将来、世代交代をする力になってくれると信じて止みません。


日は中すれば則ち(かたむ)き、

  月は(みつ)れば則ち()

          <易経>

続・コロナに学ぶ №656

続・コロナに学ぶ

令和3年11月11日

 前号(№655)で人類とコロナとは共存しかないこと。それは中井衛さんがチョウの観察で発見した「棲み合い」であること。そしてその共存、棲み合いは対コロナだけでなく人類に当てはまり、その共存こそが世界平和の原点であることを改めて申し上げました。コロナの出現は人類に共存の大切さを教えているのだと思います。

 上のことを考えていて私たちがさらにコロナに学ぶべきことがあると思い至りました。昨年311日にWHOがコロナパンデミック宣言を発して以来一年半以上私たちは様々な対策を強いられました。3密回避、手洗いうがいの励行、ソーシャルディスタンス、在宅勤務、オンライン授業、ワクチン接種等々幾つもの面倒を強いられてきたと思います。

 その結果、私たちはそれまで何ともなくできていたことができなくなったり控えめにせざるを得なくなったりということになりました。そのことによるマイナス面は多かったと思います。小中学校を初め高校大学などで対面授業ができなかったことは教育の原点から見て大変なマイナスであったと思います。

 コロナのために仕事を失った人の多くが生活難に直面しました。分けて母子家庭のお母さんの中には登校できない子供を見るために収入減どころか仕事を失う人も少なくなかったことには言葉がありません。しかし、これらマイナス面の一方、生活の改善改良につながるのではないかと思われることもあります。

 その点で私が最も期待しているのは脱無駄遣い、生活の質素化です。私たちは戦後のこの70数年、大量生産大量消費の掛け声の中で「もったいない」を忘れて生活を過大に膨張させてきたと思います。家族の縦のつながりを失って生活の中の祈りをなくしました。化石燃料の莫大な使用は地球温暖化をもたらしました。


 私はコロナがその反省を教えていると思います。私たちがコロナに学ぶべきことがそれではないでしょうか。生活の中に質素を取り戻し無駄遣いを改めること。人間もまた地球生物の一員として生かされていることを再認識して心に祈りを取り戻すこと。私たちはそのことをコロナに学ぶべきだと思われてなりません。


困ること、不都合なことの中にこそ

  教えが隠されている。


 再び「共存」考 №655

 再び「共存」考

令和3年11月6日

 コロナの感染者が減ってきました。東京都を例にとると、5000人を越える日が何日もあった8月中旬をピークに40003000人台となり、9月半ばには1000人以下に、そして10月半ばからは100人以下になりました。この間、今年最少という日が何日かあり、呼応するように感染者ゼロという県が111日には21県、4日には24県を数えています。

 上の傾向は当地山口県でも似たことが言えるようです。東京で5000人を越えた818,19両日は山口県でも100人を越える感染者がありましたが、その両日以後は100人以下となり、9月半ばからは1ケタ台の日が2ケタ台の日より多くなっています。そして113日、当県も103日ぶりにゼロを記録しました。感染者数でみる限りよい方向なのかと思います。

 上の東京山口の状況からひょっとしてという希望を抱く方もあると思いますが、残念ながら感染者減=コロナ撲滅ではありません。一件落着とはいかないのです。ところへ、「コロナウイルスの終息とは、撲滅ではなく共存」という本を見つけました。著者は池上彰さん。コロナとの「共存」はすでに私も言っていることですが、その本を読んで改めて思うことがありました。

 私が思い出したのは「棲み合い」ということ。棲み合いこそ共存ということです。これについてはこのたよりですでに2回申し上げました。1度目は平成3118日(№520)号、2度目は今年117日(№616)号です。この棲み合いの論理を発見されたのは中井衛さん。中井さんは50年に及ぶチョウの観察によってこの事実を発見されたのでした。

 中井さんが長年のチョウの観察を通して発見された「チョウの近縁種は競争をしない」という事実。中井さんは「チョウの近縁種は互いに分布域が重なるように行動し互いの種の識別能力を失わない仕組みを維持している。その識別能を残すことが相互に生き延びることにつながる。そこに生物多様性の原理が秘められている」と言われるのです。


 中井さんが発見されたこの棲み合いの論理こそ「共存」そのものではないでしょうか。人間とコロナとの共存にそのまま言えることではないでしょうか。そしてさらに人間はこの棲み合いの論理で民族の違いを乗り越え世界平和を達成すべきではないでしょうか。棲み合いは共存。共存こそ平和です。珍重。

やっぱり思うよ。

「棲み合いの論理」の発見はノーベル平和賞だにゃーん

平和を祈る日清観音 №654

 平和を祈る日清観音

令和3年10月18日

 1971918日に日清食品のカップヌードルが発売されて今年50年と言います。その記念すべき今年、先日14日、日清食品下関工場の観音さまの25周年祭が行われました。前にも申し上げましたね。カップヌードルをつくられた安藤百福さんご夫妻は観音さまを深く信仰されて日清食品の全工場に観音さまを祀っているのです。

 この下関工場にも正面入り口の左手に立派な観音堂があり、5年ごとに周年祭をしておられます。当観音寺はその観音さまの仲立ちをしたご縁で毎回その周年祭をさせて頂いておりますが、奇しくも今年カップヌードル発売50年という年に当観音寺が周年祭に携わることができましたのは誠に有難いご縁であります。

     清秋涼風渡蒼天   秋風渡るこの佳き日

     日清観音廿五年   二十五年の観音さまに

     改想起食足世平   祈るは一つ食足世平

     祈只管世界一円   世界が平和でありますように

 上はその二十五年祭の香語です。五年前の二十年祭でもこの食足世平という言葉を申し上げたましたが、今私がさらに痛切に思っているのがこの「食足世平」なのです。この食足世平という言葉は安藤百福さんの言葉ですが、百福さんは「食のあり様が乱れた国は必ず衰退する」と言い、食足世平を信念とされました。「食品は平和産業です」とも言っておられます。

 改めて考えてどうでしょうか。いま世界は平和の危機にあります。アフガニスタンはタリバンによって、ミャンマーは軍によって、香港は中国によって平和が失われています。アフガニスタンではいま多くの子どもが餓死していると言います。北朝鮮の食糧危機は以前から伝えられています。ミャンマーはどうなのでしょうか。


 日本も例外ではありません。日本でも子どもの7人に一人が毎日の食事が満足に摂れない状態にあるのです。日清食品はいま「カップヌードルDO IT NOW」という活動を立ち上げて環境、防災、健康、社会をテーマとした課題に取り組んでいますが、これからも観音さまのお力を頂いて世界平和の実現に寄与して頂きたいと願ってやみません。

(しょく)(そう)()(せい)」。生き物の根本である

「食」の創造をし、もって世の為に尽くす。

         安藤百福


幸せは日常の中に №653

 幸せは日常の中に

令和3年10月17日

 私はいま一枚の絵のとりこになっています。あのミレーの描いた「ついばみ」という絵です。ミレーはパリ郊外のバルビゾンに住み「落穂拾い」や「晩鐘」など農民の生活を描いた画家として知られていますが、この「ついばみ」もその一つでありましょう。農家の庭先で若いお母さんが三人の子どもにおやつをあげている時の絵です。

 ついばみとは文字通り母鳥からエサをねだるヒナの様子を表わす言葉ですね。絵を見れば一目瞭然ですからお見せできないのが残念ですが、まさについばみ、その通りの絵なのです。古びた石造りの農家の上がり框に座った3人の姉弟が小椅子に腰を下ろしたお母さんからスプーンに盛ったおやつをもらっている絵です。

 いまそのおやつを口にしようとしているのは一番下の男の子。その様子を静かに見守っているのは長女。男の子より僅かに上に見える次女は弟が上手に口にできるか心配で弟の左手を握り右手を肩に置いています。その微笑ましいお姉ちゃんぶりには胸を打たれます。自分は最後と静かに順番を待つ長女は手製の人形を抱いています。

 ミレーはこの絵について友人に宛てた手紙で「母鳥のくちばしから餌をもらうひな鳥を連想させたかった」と書いているそうですが、まさにその意図通りの絵でありましょう。足元には鶏が駆け回り、家の向こうには畑仕事をしている父親の姿が見えます。ミレーはその何でもない日常のひとこまの中の幸せを描きたかったのではないでしょうか。

 この絵が描かれたのは1860年頃だそうです。日本で言えばまだ明治にならない安政万延の頃。160年以上も前のことです。しかし、今なおこの絵が私たちを惹きつけて止まないのは変わることのない母子の関係を見事に描いているからでありましょう。たとえ貧しくても母子の幸せな関係は変わらないということを描いているのです。


 この絵の母子もこの絵の時を幸せとは意識していなかっただろうと思います。それほどに日常そのものであったと思います。しかし、考えればこの絵の表わすものは幸せそのものです。何でもない日常の中に幸せがあることを教えてくれていると思います。私たちの人生も何でもない日常の中にあるのではないでしょうか。

「青い鳥」はどこにいる


ワクチン接種考 №652

 ワクチン接種考

 令和3年9月29日

 先日朝のことです。朝課に来られたK子さんが「方丈さんにそっくりな人がいましたよ」と山口新聞のコラム「四季風」の切り抜きを持ってきてくれました。それを読んで頷きつつ思わず笑ってしまいました。記事はその「四季風」の編集子のコロナワクチン接種体験談なのですが私自身似た人がいるもんだと思わせられたのです。

 記事によると、その編集子は持病をお持ちで早い段階から優先接種の対象だったそうですが昔から薬や注射が苦手なうえ、副反応も怖かったので様子見を決め込んでいたというのです。私の場合は年齢で優先対象でしたが、元々予防注射の類には関心がなくて結果的にはこの編集子の様子見と同じ状態になっていたのです。

 この編集子は先日重い腰を上げて接種を受けたとのことですが、そこに至ったのは同調圧力よりは「家庭内圧力」だったと言うのです。先達てこのたよりでもコロナワクチンの「同調圧力」を申し上げましたが、編集子の場合はその同調圧力よりも奥さんや娘さんからの強い勧め、というよりは“家庭内圧力”を受けて観念したというのです。

そのことを読んで私も似たようなものと思いました。私も特段の同調圧力を感じたわけではありませんがカミさんや娘からは何度も[接種を早く]と言われていたのです。私の場合は一緒に暮しているのではありませんから圧力とまでは思いませんでしたが、同居していれば同じように家庭内圧力を感じたことでありましょう。

実は私もつい先日1回目の接種を受けました。私が「重い腰」を挙げたのは周囲に迷惑をかけてはいけないという思いと不接種が移動制限になったら困るという思いからでしたが、結果的には「四季風」の編集子の“観念”と同様でありましょう。コロナワクチン接種は外圧だけでなく自分自身の内圧もあると思いました。

ただこの編集子は最後に「ほとんどの人は自分と大切な人を守るために打ったのだろう。ただ、個々に事情はあるし打たない自由があってもいいはず。決してそこに差別が生まれてはならない」と言うことを忘れてはいませんでした。ワクチン接種をするかしないかはあくまで個人の問題です。そのことは大切にしたいと思います。

 

思想及び良心の自由は、

これを侵してはならない。

   <日本国憲法第十九条>